九、優しさにやるせない。
投稿するの忘れてました
それから、翌日のことである。
「「………。」」
昨晩の出来事からか、俺たち二人の間にはどこか気まずい空気が漂っていた。どんな理由があれど、あんなことがあってはどうしても互いを気にかけてしまうものか。
しかしながら俺は千里より一つ年上であり、彼女にも「年上が好きだ」なんて事を抜かしているため、ここで狼狽えていてはこの後の関係すら疑われる。
だから言ってやった。
「ま、まあ? 俺は別に? と、年下に抱きつかれたからって全然気にしてない、けどなあ???」
「そんな嘘で一抜けしようだなんてみっともないわ! それに抱きついてきたのは涼の方でしょう!?」
「んなわけあるかっ! 俺からお前に抱きつくなんてありえねえよっ!」
そこまで言うと、千里は少しばかり俯いて体をもじもじとよじらせはじめ、それから、
「んっ……そうですね。抱きついた、というよりかは、抱きしめてくれた、というのが正しい…かな」
そう言った。
その様子に俺は見事に調子を狂わされた。
でもそうか、そうだよな。昨日はお互いに色々と考えることがあって、それであんな事になったのだ。今日になってこういった態度を取るのは年上としてどうかと情けなさを自負してしまう。それに、昨晩彼女は辛い過去を俺に打ち明けてくれたのだ。そういった彼女の勇気を踏まえても、俺のこの態度は些か相応しくないかもしれない。
「あ、ああ…そうだな」
そう言った刹那だった。
バンッ、と机を叩く音が聞こえたかと思うと、目の前には千里の人差し指がピンと伸ばされていた。
そうして、
「はあ~んっ、認めたな? 今「そうだな」って言ったからね? 聞き逃さなかったからね?」
そんな悪戯っぽい台詞が吐かれた。
その後、頭を抱える男が一人と、愉快そうな鼻歌を響かせる少女が一人、この部屋に残された。
「ところで涼、今日は予定空いてるの?」
朝食後俺が流しで皿洗いをしていると、千里がリビングからそう尋ねてきた。
「ああ、どうかしたか」
忌引き休暇の残りがある為その間にどこかへ行こうという話をしていたが、正直その期間に遊びに行くというのはどうかと今更になって思ってしまう。きっと姉ちゃんは気にしない。かといって、それがこの休暇を遊びに利用して良いという事になるわけではない。
「ううん、予定空いてるなら、用事もなしに散歩にでも行きたいな。なんて思ってみたり、ね」
千里のその言葉を聞いて、俺は少し驚いた。一昨日の彼女は遊園地に行きたいと言っていたにも関わらず、今提案したのはただの散歩。俺はそんな彼女を少し訝しく思った。
「ただの散歩って言っても、特に楽しいところなんてねえぞ」
千里の橋をスポンジで撫でる。
「じゃあモールでも良いよ」
「ずっと俺は電話してるふりをしとかなきゃいけねえのかよ」
「嫌なの?」
「嫌だよ」
「何だよー」
背中越しに、後ろで千里がバタバタと駄々をこねているのが伝わってくる。俺は最後に自分が使った湯呑を濯いで伏せた。同時に目を伏せて、どこか散歩に行けるところはあったかと少しばかり思案に暮れる。
そんな、時だった。
部屋のインターホンが、水の止まった静まり返った部屋を響く。その後に続いて、コン、コン、と二回、扉をノックする音が聞こえてきた。
千里は顎で俺に出るように促す。俺はそんな彼女に「いつからそんなに態度デカくなったんだよ」と呆れて返して、それでもそのまま玄関へと足を運んだ。
そして、扉を押し開く。
「やっほ、来ちゃった」
「来ちゃった、じゃねえよ。どうしたの」
開いた先にいたのは、浜簪だった。一昨日会った時はポニーテールをはねさせていた彼女だが、今日はどうやらおろしているようだ。セミロング、といったくらいか。
「こないだのお礼」
浜簪は腰の後ろで組んでいた手を前に解いて、手に持った紙袋を俺に差し出した。袋に書かれているのは、有名なケーキ屋の店名だった。
普段の学校生活とは裏腹なそんな律儀な彼女の態度に俺は苦笑する。案外、彼女は俺が思うよりきっちりとした女の子なのかもしれない。
「別に気にしなくて良かったのに、ありがとう。よかったら上がれよ」
おもてなしのつもりでそうは言ったが、考えてみればうちには千里が居て、それに前回、浜簪は千里に抵抗を感じているようだった。
かえって彼女に気を遣わせてしまった気がして、俺は少しだけ不味い気持ちになる。
しかし、そんな俺の気持ちとは裏腹に、彼女はニコッと笑ってこちらへ足を踏み出した。
「それじゃ、お言葉に甘えて。お邪魔しま〜す!」
「お、おう」
俺は彼女の態度に呆気にとられたが、まあ彼女が良いなら良いかと考え直し、そのまま玄関の扉を閉めた。
そこで靴を揃える彼女をみて初めて気がついたが、彼女の背中にはリュックサックが背負われている。まだ何か持ってきたのだろうか。
なんて観察している俺をよそに、彼女はそそくさとリビングへ入っていった。
「えっ」
先で千里のそんな声が聞こえて、俺はくすりと笑ってしまった。
リビングに戻ると、困惑して俺に助けを求める千里の姿がまず目に付いた。何をそんなに、と思い、俺は浜簪にお茶を出す用意をしようと彼女に目を向ける。
すまんかった千里、俺も困惑した。
「あのー浜簪さん、貴女何してるんですか」
彼女はデカデカとそこに腰を下ろして、背負っていたリュックサックから大量の女性服を取り出し並べている。何がどうなってこうなっているのか全く検討もつかないが、少なくとも千里が困惑するのも納得できる事態であることは確かだった。
「私の古着なんだけどね、捨てるのも勿体無いし誰かにあげたくて」
彼女は俺を振り返ることもなくそう言って、引き続き服を並べている。
「わざわざ持ってきてもらったとこすまないが、生憎俺に女装趣味はないんだ」
寧ろ彼女は俺をどういった目で見てきたのだろうか。そっちの方が気になるところである。
「馬鹿、アンタじゃなくて何…その、千里さんによ」
突然自分の名前を出されたことに、千里が視界の隅でぴくんと反応する。しかしその反応は彼女のみならず、俺だってなまじ似た感覚だ。まさか浜簪が千里の為にこんな事をしてくれるとは思わなんだ。
千里は自分の名前が出されたことで浜簪の一連の行動に関心がいたようで、部屋の隅から俺の横へと、服を踏まないようにジリジリ寄ってきた。
俺はそんな彼女と一度顔を見合わせて、浜簪の様子に共に困惑する。
「千里にって、お前一昨日はあんなに気味悪がってたのに。どんな風の吹きまわしだよ」
俺は浜簪の背中にそう尋ねる。千里だって、恐らく俺と同じ気持ちのはずだ。
「そりゃあ急にあんな事を言われたら誰だって気味悪がるわよ、幽霊みたいなものじゃない」
横で千里がしゅんと方を窄める。
「おいそんな言い方ないだろ、今だって千里はここに…」
「だけどね、それでもそこにいる限り、女の子ならお洒落しなきゃ!だからね、私の服!」
食い気味に、浜簪はニコッと笑って一着を俺の方に差し出す。薄緑のワンピースだった。
気になって千里の方にちらっと視線を送ると、そこには感動にも似た面持ちで浜簪を見つめる彼女の姿があり、俺は安堵してため息を付いた。
「良かったな、千里」
言うと、浜簪は俺の目線から千里の大体の場所を予測したのか、自身には見えていないその姿を捉えるようにそこに視線を送っていた。
千里が、浜簪から差し出されたワンピースに触れる。
薄い生地が、彼女の指に沿って空中を揺らぐ。
浜簪がこくんと喉をうねらせた。きっとこの時点で、彼女も他者からは認識できない状態にあるのだろう。
特別な三人みたいな空気が、ワンピースを中心にこの部屋を充満する。
千里の感嘆した面持ちを、浜簪にも見てもらいたいと、切実にそう訴える。
何に、一体何に訴えるのか。
そんな対象は何処にも在りはしない。ただ、今千里は喜んでいるのだと、浜簪、お前の手によって救われているのだと、そう伝わってほしかった。
そんなことを考えながら引き続き千里の様子に見惚れていると、千里はワンピースを撫でていた手をゆっくりと浜簪のワンピースを握る手に向ける。
今掴んだ。が、彼女の手は浜簪の手をすり抜けた。
浜簪を見上げる。
さっきと変わらぬ表情で、千里を見て微笑んでいる。
どうやら泣きそうだった。俺も、千里も。
「どうかしたの」
何も知らない浜簪が、苦笑して俺を向く。俺はやるせない思いで、こう、口にするしかなかった。
「ありがとう、ってさ、浜簪」
浜簪は、はっと口を抑えた。
ああ、そうだ。
千里の言う、ショッピングモールに行こう。
お読み頂きありがとうございました。
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