第4問 先輩の下校実験
校門を出てから駅までの、徒歩15分ほどの道のり。相変わらず横の先輩は白衣を着たまま下校していた。
「白衣で下校って、校則に引っ掛かりません?」
「いや、服装に関する条項には『制服で下校』と『体操服で下校するのは禁止』しかない。この場合、白衣は上着だからセーフだ。文月が着ているカーディガンと一緒だろ」
ストップ。カーディガンと白衣は等しくない。
「でも、カーディガンの色は紺って指定されてるじゃないですか」
「あー……なら白衣はカーディガンではないな。しかし、どちらにせよ白衣での下校は規制されていないだろう?」
カーディガンと白衣の間の等号を成立させずに済んだものの、状況は変わらない。
そう、人々から帳先輩に注がれる視線がめっちゃ気になるのである。
『白衣は制服に含まれますか?』
どこかで聞いたことがあるような気がした。あ、遠足前の定番、バナナとおやつの質問じゃん。
「ところで、文月」
「……何ですか?」
車の往来が途切れない大通り沿い、突然先輩が疑問を投げかけてきた。
「魔法少女になりたければ、異世界に行った方が早いのではないか?」
「まあ、極論はそうじゃないですかね……」
嫌な予感がする。まさか先輩の次なる夢が「異世界転生」がなったりしないよね。
「ふむ……それにしても大抵の場合、異世界に転生する者がトラックに轢かれるのは何故だろう……」
ごもっともである。それは皆が突っ込みたくなることであり、かつ皆が黙っていることでもある。
「まさか……異世界転生には、走っているトラックの運動エネルギーが一定以上必要なのでは……?」
異世界に行くためにエネルギーが必要なら、転生者の死に方が限られてしまうだろうに。
とは言うものの、交通事故による異世界転生に限ってしまうと否定できないのがツラい。
「異世界に転生できましたか?」と確認するのが不可能である以上、調べようがないのだ。
一般的に「○○ではない」ことを証明するのは非常に難しいとされている。ちなみに、カッコよくいえば悪魔の証明。
「速度v[m/s]で動く質量m[kg]の物体の運動エネルギーは『(1/2)mv^2[J]』で表される。ここにトラックの値を代入すればいいだろう」
白衣のポケットからサラッと電卓を取り出した帳先輩。それを取ってもなお膨らんでいる白衣のポケットには、一体何が入っているのだろうか。
「サイズ的に2tトラックくらいが妥当か……となるとmは5000だな」
「あれ? 2tトラックなら2000じゃないんですか?」
「2tトラックは、総重量5t未満、最大積載量3t未満のトラックだぞ」
へえ。何で2tトラックの定義覚えてるの、この先輩。
「vは法定速度の時速60キロにしよう」
定めた値をカタカタと電卓に入力していく。歩きスマホならぬ歩き電卓はなかなか斬新……というか通行人が二度見しそう。
「出たぞ。6.9×10^5ジュールだ。有効数字2ケタでな」
答えが出たのはいいのだが、エネルギーで言われてもその大きさがイメージしづらい。
「大体、0℃の水1.7リットルを沸騰させられるくらいだな」
「えーと……」
帳先輩あるある。言い換えたはずが、余計に想像しにくくなる現象が発生。
水の比熱は割と高めなので、十分大きいエネルギーではあるが、1.7という数字のせいで小さく見えてしまう。
うーんと……一般的な袋麺を茹でるときに必要な水の3から4倍くらい。すなわち、そのエネルギーがあれば最低3食のラーメンが作れる。トラックがラーメンへと繋がった瞬間だった。
* * * * *
帰宅ラッシュ前の駅は空いていたものの、ある程度の人の目はある。そしてその殆どが、私の隣を歩く先輩に向いていた。
「あの、帳先輩……やっぱり白衣脱いでくれませんか?」
「何故脱ぐ必要がある? 白衣が無くなることによって生じるメリットはあるか?」
「白衣の存在が、私にとってはデメリットなんですよ……」
私への視線ではないにも関わらず、気になってしまう。目立つのが好きかと言われれば、無論答えはノーである。
「……仕方ない、今日は脱ぐか」
「へ?」
帳先輩が根拠のない私の申し入れを承諾するのは、極めて稀だ。いつもはしつこく理由を求めてくるものだが……。
「今日は文月がいる。1つだけ条件を変えるのは、実験ではよくあることだ」
うんうん、白衣の有り無しによって私の態度が……って、え? 今、実験って言った?
「何ですか、実験って?」
「ああ、これ『コミュニケーションが比較的苦手な私でも、帰り道なら後輩と楽しく会話できるか』という実験だからな」
なんだその実験は。というかタイトル長過ぎないか。
帳先輩はコミュニケーションが苦手とか、それ以前の問題として、会話の相手がネタについていけないのだ。下校中に走るトラックの運動エネルギーを計算したことがある人は流石に少ないと思う。
到着した電車の椅子は、見事なまでに1つおきに空いていた。先輩と一緒だと座るわけにはいかない。一度も開かない側の扉に寄っ掛かっていることにした。
「なあ、文月」
「何ですか?」
「『魔法少女になりたい』なんて言ってる私は……おかしいか?」
その問いに対する答えを、ストレートに言っていいのだろうか。帳先輩は……変わっているとか、よく分からないとか、周りに思われているのだろう。正直、私もそう思ってる。
ただ、それは定められた1つの夢を叶えるための努力だ。本気で言っているのか、高校時代限定のネタなのか、それは誰にも分からない。他人の夢を否定する権利など、誰にも存在しない。
後輩である私が、先輩にできることはただ1つ。
「魔法少女なんて、女の子らしい可愛い夢じゃないですか? 先輩の夢を叶えるためにあるんですよ、魔法少女研究部は」
応援することだけだ。