変身ッ!!
「僕、ヒーロー辞めようと思ってます」
駅前の居酒屋で久しぶりに会った同業者の口から、そんな台詞が飛び出した。
ちょうどビールのジョッキを呷った瞬間に不意打ちを喰らったのだからもう堪らない。非番中の変身ヒーロー『宇宙警視ギャリバー』は思い切り咽せてしまった。
「本気なのか、『仮面ライター』!?」
喉の苦しさにも構わず、咳き込みながらテーブルの向かいに座る青年に尋ねる。アクション俳優ばりの精悍な体つき。ヒーロー協会が公表しているプロフィールによると年齢は二十歳そこそこらしい。
彼はザ・ヒーローとでも呼ぶべき男だ。身体能力も高く、勇気と根性も人一倍。既に十指に余る悪の組織を壊滅させて日本を救い続けている。それでいて決して驕らない、礼儀正しい好青年。この国に関わる全てのヒーローから一目置かれている。それが仮面ライターという存在なのだ。
そんな彼が、なぜヒーローを辞めるなんて言うのだろう。
「そういえば最近、お前の怪人撃破スコア(ヒーロー協会調べ)が止まってたな。もしかして今回闘ってる悪の組織、よっぽど手強いのか?」
「強いとか弱いとか、そんな話じゃないんですよ……」
俯いてぼそぼそ呟くライターからは普段の彼らしさが感じられない。常ならば溌剌とした表情で快活に話し、見る者に自然と勇気を与えるような男だというのに。
これは重症だな。剃り残した顎鬚を撫でながらギャリバーは心中で呟いた。
過去に共闘して以来、青年はギャリバーを慕ってくれているようだ。今日の会合だってライターの方から誘ってきた訳だし、そこで悩みを吐露するなんて気の置けない存在と思われている証拠だろう。よくぞ打ち明けてくれた、とギャリバーは思う。
この男は「ヒーローを辞めたい」などと他の誰にも言わない筈だ。本来ならば苦悩を抱えたまま闘い続け――そして、その悩みが原因で戦死を遂げていたはずだ。
ヒーローは常に命懸け。僅かな迷いが生死を分かつ。であるならば迷いは今ここで取り除かねばならない。しくじれば戦友は死ぬ。
ギャリバーはジョッキに映った己の顔を何気なしに眺めた。数年前に地球へ赴任してきた宇宙人だが、肉体的には地球人と大差ない。三十代も半ばに差し掛かったが、宇宙警視正に出世して母星勤務に戻る見込みはあまりない。鉄火場のたらい回しにももう慣れた。
俺には現場が合ってるのかもしれんな。悲観するでもなくギャリバーは小さな笑みを零した。よしと気合を入れて若者と正面から向き合う。
「話してみろよ。俺でよければ力になってやる」
「ギャリさん!」
感極まったライターが顔を上げ、縋りつくようにして両手を掴んできた。見れば男泣きしているではないか。
ギャリバーとしては複雑な心境である。心を開いてくれるのは嬉しいが、コイツの無自覚な行動のせいで宇宙婦警の間ではギャリバーとライターは鉄板のカップリングになっている。密かに狙っていた職場のアイドルから「割って入る隙間なさそうですもの」と苦笑いされた時なんか、ショックのあまり意識が外宇宙まで吹っ飛んでしまったくらいだ。
悲しい事件を反芻しているうちに野郎同士が手と手で交わす男臭さ100%の抱擁は終わっていた。ギャリバーは反射的にジョッキを手に取り、まだ残っていた黄金色の液体と共に溜め息を飲み込んだ。
* * *
「ギャリさん、変身するのに最短でどれくらい時間かかります?」
追加でビールと何品かの料理を注文し終えたギャリバーは、唐突に発された質問の真意を掴み損ねていた。
何かの冗談かと思ったが、ライターの瞳は真剣そのもの。あれこれ考えてもしょうがないので正直に答えた。
「最短で、となると0.2秒くらいだな」
訂正。少し鯖を読んだ。以前の定期検査で計った変身タイムは0.24秒。都合よく四捨五入させてもらった。
ギャリバーの内心には気付いた風もなく、答えを聞いたライターの表情に影が落ちる。
「速いですよね、やっぱり」
「変身といっても宇宙船から強化スーツを転送してもらうだけだしな。変身ポーズも省けるし、そんなもんだろ」
宇宙警視ギャリバーは地球担当の所轄宇宙船を拠点にして活動している。彼自身が口にしたように悪の組織と対峙した時は宇宙船からメタリックグリーンの専用スーツが送られてくる。転送は念じるだけで行われるので変身に時間は掛からない。
ギャリバーにも変身するときのポーズや掛け声は設定されているのだが、余裕があるときに行う只のファンサービスだったりする(数少ないギャリバーファンの間では公然の秘密だ)。
ちなみに掛け声は「刹着!」。刹那で変身を遂げられるよう願いを込めて設定したが完全に名前負けしている。
仲の良い所轄の巡査いわく「警視はキャリア組の中じゃダントツ速いから自信持っていいっすよ。叩き上げの刑事に比べるとド遅いですけど」
転送完了に要する時間は、訓練や経験を重ねることで少しずつ短くなっていく。実力が物を言う宇宙刑事の間では0.1秒を切ってようやく一人前と伝え聞く。もはや伝説になっている宇宙刑事に至っては0.05秒で変身を終えるという。化け物か。
「心底うらましいですよ。僕は変身にたっぷり10秒も掛かるんです」
物憂げにため息を吐いてライターが項垂れる。お造りのマグロを頬張りながら「はて」とギャリバーは首を傾げた。
仮面ライターは改造人間である。他人を助けるために瀕死の重傷を負った青年の心意気に打たれた正義の博士(自称)が、本人の断りも無く勝手に改造手術を行った結果、仮面ライターは誕生した。
独特の変身ポーズを取ることで人間形態から改造人間の姿に変貌を遂げる。
腕を水平に構え、半円を描くようにゆっくり動かし、しかる後に繰り出される大ジャンプ。一度目撃したら誰の記憶にも残る、特徴的な変身シーンだ。
特に日本の子どもには大人気で、少子化が叫ばれて久しい昨今でも公園でライターごっこに興じている光景を当たり前のように見かける。
それを眺めながらギャリバーはいつも思う。なんでギャリバーごっこは誰もしてないんだろう、と。
宇宙警視の知名度は自分でも驚くほど低い。これは地球全体を股に掛けて活動しているため、日本を拠点に闘っているヒーローと比べて地域住民との触れ合いが少ないせいだ。ギャリバーが自分にそう言い聞かせている。真偽のほどは定かではない。
「お前、いつだったか言ってなかったか。『この変身ポーズは僕がヒーローである証。今日も誇りと信念をもって悪と闘います!』とか何とか」
鳥の唐揚を平らげたギャリバーは次の料理を品定めしつつ、以前ライターが雑誌のインタビュー(俺にはこなかった)に答えた時の台詞を暗誦してみせる。
なお、意識の8割が料理の方に向けられているのはご愛嬌。ギャリバーにとって地球の料理は美味すぎるのだ。特にこの日本の、食に懸ける情熱たるや。
故郷の味も素っ気も無い、だが栄養だけはある配給カプセルを思い出す。
「もうあの日々には戻れない、か」
「さすがギャリさん。まさにそんな心境なんですよ」
口をついて出た戯言に対してライターが神妙な顔で相槌を打つ。そんなつもりじゃ無かったんだが。バツの悪さを誤魔化すように視線を彷徨わせたギャリバーの所へ、タイミングよくビールと料理を持って店員がやってきた。
これ幸いと妙に愛想よく店員に応対しながら、料理をテーブルに並べていく。チラリとライターを盗み見たが、ギャリバーを非難するでもなく意気消沈している。自分の悩みで手一杯という様子だ。悪いとは思ったが心中で安堵した。
そうこうしているうちに動きがあった。ライターがようやく意を決したらしい。肺いっぱいに居酒屋の煙たい空気を吸い込むと悩みの原因を口にした。
「敵が変身中に攻撃してくるんです」
重苦しい沈黙が舞い降りた。他の個室から聞こえてくる賑やかな笑い声が空虚に響く。変身ヒーロー達のテーブルだけが周囲の喧騒から完全に切り離されていた。
熱気に満ちた居酒屋の中でギャリバーの頬を冷たい汗が伝う。重すぎるって、この空気。これに比べたら悪の組織が構えるアジトに単身で乗り込んだときの空気なんて陽気なダンスホールも同然だ。
「悪の組織が考えた作戦を実行するため、怪人が取り巻きの戦闘員を連れて現れる。ここまではいつも通りなんですよ。でも連れてきた戦闘員を倒して、いざ決戦とばかりに変身ポーズを取ったら腕を水平に構えた時点で飛び道具がズドンです」
「よ、容赦ねぇな」
「おかげで連敗を喫しています。何とか生き延びてはいますが。僕が今回闘ってる組織は考え方が合理的なんですよ。ヒーローが変身したら勝てないから絶対に変身させない。これをスローガンに掲げてるみたいですね」
「悪の組織としてどうなんだ、それは」
絞り出すように相槌を打つ。せっかく届いた料理にも箸が伸びない、伸ばせない、伸ばせる訳がない。ライターが眉根に皺を寄せて嘆きを綴っている間は粛々と受け止めるしかないだろう。
「ヒーローと怪人が互いの全力をぶつかり合わせて、死闘の末どちらかが勝利する。僕はとってはそれが当たり前の認識でした。あろうことか悪の組織とは、相容れないけれど実力は認め合っている、みたいな相互理解が在るとすら思ってたんですよ」
こんな場でなかったら「ロマンチストめ、ハハハ」くらいの軽口を叩いているところだが、今は無理。
変身中のヒーローを攻撃してはならない。これはヒーロー業界に根付いている暗黙の了解だ。ギャリバーだってヒーローになったばかりの頃は「なんで変身中に攻撃しないの? 馴れ合ってんのお前ら?」と訝しんだものだが、同僚に訊いてみたところ「お約束なんだよ」と答えが返ってきたのでそれで納得してしまった。
世界は非合理な慣習に満ちている。深く考えたところで一介の宇宙警察官に何が出来ようか。
しかし暗黙の了解は既得権とは異なる。こうして一方的に破棄される展開も当然ありえるのだ。「お約束」に夢を抱いていた若者の気持ちを、遥か彼方へ置き去りにして。
「全部、ただの幻想でした。以前の悪の組織にとって僕は好敵手と目されていたことでしょう。ですが今では少し厄介な障害物程度の扱いです。僕は変身のおかげで悪の組織と――敵と闘えるようになりました。でも今は、変身のせいで敵と闘えないんです」
ライターは目を固く閉じ、己の無力さを痛感しているようだ。
さて、どうするか。ライターの目を盗んで串焼きに手を伸ばしたギャリバーは思案に暮れた。ついでに途方にも暮れた。
程よく焼き上がった鳥モモ肉に一味唐辛子を振りかけ、口に運ぶ。美味い。
いっそ、俺自身が出張ってそのナンチャラいう悪の組織(そういえば名前を聞いてなかった)を壊滅させたら話が早いのでは。変身時間が約0.2秒の俺なら隙を突かれることもないだろうし。ギャリバーの脳裏にそんなアイディアが去来したが、首を振ってすぐさま却下した。
確か「授人以魚不如授人以漁」だったか。魚をくれてやるよりも魚の釣り方を教えろ、とかそんな意味の言葉だ。
この先、同じような敵がまた出てこないとも限らない。そのときギャリバーがまだ地球に(もしくはこの世に)留まっている保証はどこにもないのだ。
ならば乗り越えさせるしかあるまい。
「お前、明日は空いてるか?」
「はい。ヒーロー協会からも少し休むように言われてますし」
不意に投げ掛けられたギャリバーの質問に戸惑いながらライターが答える。
「だったら丁度いい。明日は俺もオフだ。少し付き合えよ」
「それは勿論構いませんよ。でも何をするんですか?」
「敵を乗り越えるためにヒーローがすることなんて古今東西ひとつっきゃねえだろ」
ギャリバーはジョッキを呷り、ひとしきり冷たいビールの喉越しを堪能した後、ニヤリと笑った。
「特訓だよ」
* * *
翌日早朝、二人は某県某所にある採石場に足を運んでいた。この手の採石場はよくヒーローと怪人が示し合わせて闘いの舞台に指定する。
しばしば勘違いしている人を見かけるが、悪の組織は市街地に被害が出るのを好まない。彼らの最終目標は世界征服。建物は全て自分達が未来に手にするもの、という皮算用で活動しているのだ。
単に地球を破壊したいだけなら、怪人の研究なんかより大量破壊兵器の開発に勤しむ方が理に適っているだろう。守ると奪うの違いはあるが、ヒーローと悪の組織は思惑が一致していた。
そこで「場所を変えて存分に闘おうぜ」となる訳だ。ここなら爆発が起ころうが、レーザー光線が飛び交おうが一向にお構いなし。気兼ねなく特訓に打ち込める。
「ヒーロー協会に根回しして貸切にしてもらった。思う存分やれ。ひとまず、いつも通り変身してみろ」
「はい! ライ、タ~~~、へん、しんっ! トゥ!!」
たっぷり10秒の時間をかけてライターが変身を完了する。
砂利を敷き詰めた大地に降り立ったのは、昆虫めいたヘルメットとライダースーツを合わせたような奇怪な姿。ちなみに子ども達にはバカ受けらしい。
「いつも『タ~』のあたりで銃弾を叩き込まれるんです。変身したらどうってことないですけど、さすがに生身には堪えますよ」
「悪の組織もそれだけ仮面ライターを恐れてるってことさ」
相槌を打ちながらギャリバーは震撼していた。お前、銃で撃たれても「堪えますよ」で済むのかよ。
俺だったら、のた打ちまわる自信があるぞ。当たり所によっては二階級特進も充分ありえる。宇宙警視長ギャリバー。ムフフ。響きだけに想いを馳せたところでギャリバーは我に返り、真面目くさった顔でライターに質問した。
「変身時間の短縮は出来ないのか?」
「僕もそう考えて試したことはあるんですけど」
ライターは一度変身を解き、生身の状態に戻る。直立不動の体勢で目を閉じて深呼吸。緊張感がギャリバーにも伝わってくる。
「変身ッ!!」
突如ライターが目を見開き、その場で大きく跳躍した。前口上を潔く取っ払った、西部劇の抜き打ちみたいな早業だ。
しかし空中で回転し、着地を終えたライターの姿は生身のままだった。
「ご覧の通り、いつもの変身ポーズを踏襲しないと変身が完了しないんです」
「予想はしていたが、やっぱり駄目か。厄介な縛りだな」
頭を掻きながら嘆息するギャリバーの発言に、ライターが頷きでもって同意を示す。
「こんなとき、僕を改造した博士が居てくれたらと思わずにはいられません。どこに行ってしまったんでしょうね、博士は」
遠い目で行方知れずの博士に救いを求めるライター。ギャリバーは無言だ。
ここに居ない人物を頼っても仕方ないからだ、と冷静に考えている訳ではない。むしろ居場所なら知っている。だがそれを言い出すことは絶対に出来ない。
民間人(当時)だったライターを勝手に改造した件で注意したら博士がヘソ曲げて国外逃亡した、なんてことは。
結局ただのマッドサイエンティストで地球の裏側で悪の幹部に就任。怪人を次々と量産していた、なんてことも。
たまたま現地へ派遣されたギャリバーが必殺武器のビームブレードで亡き者にしてしまった、なんてことに至っては特に。
「あんまり弱気になるなよ。博士が泣いちまうぞ」
草葉の陰で、という言葉を口にしないよう注意を払いながらギャリバーはライターを励ました。
「今は俺が付いてる。必ず実戦でお前が変身できるように仕上げてやる」
「ギャリさん!」
激励を受けたライターが感極まってギャリバーの手を取った。男泣きしている。この展開、昨日も見たぞ。
宇宙警視は苦虫を噛み潰したような表情で天を仰いだ。
早朝の空は雲ひとつなく澄み切っている。そういえば地球では、故人は星になるという扱いだったな。しばし博士の星を探してみたが見つけることはできなかった。
おそらく心を入れ替えたんだろう。主張の激しい人物だったが、今はそっとお隠れになっているようだ。
* * *
遥か向こうの山間に燃える夕陽が落ちていく。二人の男は荒い息を吐きながら、どちらからともなく採石場の砂利に倒れこんだ。
あれから二人の特訓は休みなく続いていた。ライターが何とか変身しようとする。それをギャリバーがビームガン(非殺傷モード)で妨害するという流れだ。トライ&エラーの方針で、どちらかが思いついた変身方法を片っ端から実践し続けた。一部を紹介しよう。
早口で変身する。録音を使って変身する。敵の攻撃を避けながら変身する。隠れた状態で変身する。「UFOだ!」と叫んだ後で変身する。バイクや自動車に乗った状態で変身する。果ては、あらかじめ変身してから現場に向かうなんてアイディアも出た。
数多くの着想を試したが、どの方法にも重大な欠点があって採用できる代物には至らなかった。というか途中から大喜利合戦になっていた感は否めない。
「やっぱりUFOダメですかね? 種を知らなければ引っかかる可能性はゼロじゃないですよ。少なくとも僕なら確実に見ます」
「お前、一周まわってバカだよな。だいたいUFOなんて声を張り上げるほど珍しくないっつーの」
宇宙警視ギャリバーにとって宇宙船なんて当たり前すぎて何の感慨も湧いてこない。地球の乗り物の方がかえってテンションが上がったりする。アンティークな味わいが何とも言えないのだ。
そうだ、乗り物といえば。ギャリバーは不発に終わった、ある変身方法について言及した。
「バイクに乗って変身するのはイケると思ったんだけどなぁ。仮面の大先輩だって最初は変身するときポーズ取ってなかっただろ」
「無理に決まってますよ。あの人は乗り手の『ライダー』。僕は着火器の『ライター』ですからね」
「記者の方のライターじゃないのかよ!?」
ここに来て驚愕の新事実。まさかの無機物である。
「その証拠にほら、変身しなくても火を起こすくらいは出来るんですよ」
ライターが得意げな顔で人差し指を立てると、その先端から勢いよく炎が噴き出した。ゆうに人の背丈ほどもある。呆然としながらギャリバーが呟いた。
「ほぼ火炎放射器じゃねえか、これ。怪人にもダメージ入るだろ」
「どうなんでしょう。闘いの本番は変身してから、と思い込んでたんで試したことはなかったです」
「発火能力に磨きをかければ変身しなくても勝てちまうかもしれんぞ」
ギャリバーが率直な感想を述べる。それを聞いたライターは反射的に左手を突き出し「待った」を掛けた。
「ギャリさん、ひとつだけワガママを言わせてください。僕は変身に拘りたい」
表情は真剣そのものだ。どうやら伊達や酔狂で言っている訳ではないらしい。
語ってみろと言わんばかりにギャリバーが顎をしゃくる。
「僕にとって変身は『闘う手段』以上の意味があるんです。悪の組織は暴力の化身。ともすれば逃げ出したくなるほどに恐ろしい。変身して生身の人間からヒーローに変わることで、僕は自分を奮い立たせているんです」
拳を握り締めライターが力説する。
「変身した僕は強い。言い逃れしようもなく。だからこそ、その力は使って力なき市民の代わりに悪の組織と闘おうと不退転の覚悟で臨めるんです」
変身は僕がヒーローである証、か。ギャリバーは雑誌のインタビューでライターが語った台詞をもう一度思い出した。
コイツなりの信念なんだな。頭を掻きながらギャリバーは息を吐いた。
「だったらしょうがねえ。どうにか変身する方向で頑張るか。幸い、さっきの発火能力を見て考え付いた方法があるしな」
「本当ですか!?」
「一朝一夕で実現するとは思えないが、やってみる価値はある。あとは日々努力を重ねられるかどうか、お前の覚悟が問われるだろう」
* * *
「やった! やりました! これなら確実に変身できます!」
5分後。ギャリバーが提案した割と無茶振りな変身方法をライターはあっさり実現させてしまった。「すぐには無理だ」と言ってしまったギャリバーとしては立つ瀬が無い。ライターの才能を過小評価していた。完全に自分より上の存在だ。
炎の中に佇むライターの姿は控えめに言って化け物だった。コイツだけは敵に回さんとこ。離れた場所で観察していたギャリバーは内心の動揺を押し隠しながら、ライターへと歩み寄った。ヒーローとしてのなけなしの矜持で先輩然とした笑顔を浮かべる。
「見事だったぞ、仮面ライター。さすがは俺が見込んだ男だ」
「もったいない御言葉です! ギャリさんが居てくれたから僕は頑張れたんです! ありがとうございます!」
感極まったライターが抱きついてくる。夕闇の中、熱い抱擁を交わす男達。勘弁してくれと辟易するが感動的なシーンなので邪険にも出来ない。
同僚に見られたら憤死するな、俺。自然とこみ上げる苦笑いを風に溶かしながら、同時にギャリバーは苦悩する若者を導けた喜びも噛み締めていた。
なお宇宙船に戻った直後、件の光景がパトロール中の宇宙婦警に目撃されていた事実を知ってしまい、ギャリバーの精神は無事に死亡した。
* * *
後日。ライターが闘う悪の組織が、またしても怪人を送り出してきた。変身中のヒーローを攻撃するという、件の連中である。
現場に直行したライターは怪人と邂逅を果たした。そして市街地への損害を鑑みて、双方の合意により例の採石場へと移動を開始する。
何度も煮え湯を飲まされた相手にライターが尻込みしていないだろうか。心配したギャリバーはこっそり隠れながら採石場の様子を伺っていた。
「性懲りもなく立ちはだかるか、仮面ライター。余程あきらめが悪いとみえる」
蜘蛛をモチーフにした怪人が勝ち誇ったかのように嘲笑する。連れてきた戦闘員は既に根こそぎ倒された後だが、余裕の態度は崩れない。
しかし口調とは裏腹にライターの実力は認めているらしい。変身されたら勝てないと悟っているようで、銃口は油断なくライターに向けられていた。
「心を砕かれても尚! 欠片を集めて立ち上がる! それが僕達ヒーローだ! 次に砕かれるのはお前達の野望と知れ!」
雄々しい叫びが響き渡る。完全に自信を取り戻したライターの姿は同業者のギャリバーから見ても憧憬に値する。敵である怪人にしてみれば恐れを抱かずにはいられまい。
事実、怪人は狼狽し落ち着きなく銃を構え直す羽目になっていた。
「ほざけ! 貴様など変身できなければ所詮、我らにはかなわんのだ!」
「ああそうだ! 認めよう! そしてその上で予告する! 僕は変身を成し遂げる!」
「やれるものならやってみろ!」
それが蜘蛛怪人の最期の言葉になった。
膨大なエネルギーがライターに収束し、採石場全体を震わせる爆発となって顕現した。蜘蛛怪人は灼熱に身を焦がされ、爆風によって遠く離れた地面に叩きつけられた。ぴくりとも動かない。
「ライ、タ~~~、へん、しんっ! トゥ!!」
怪人の妨害が無くなったため、ライターはたっぷりと時間を掛けて定められたプロセスを全うできた。
無事に変身を完了したライターが炎の只中に着地して見得を切る。
「仮面ライター、参、上ッ!」
何とか本番でも上手くいったか。遠く離れた場所から見守っていたギャリバーは安堵の息を吐いた。
ギャリバーが提案したのは単純明快。ライターの発火能力で変身前に大爆発を起こして相手の隙を作る。ただそれだけだ。ようは「変身を妨害されるなら、一発かまして変身時間を確保すればいいじゃない」である。
ライターの発火能力と卓越した才覚だけで成立した、攻防一体の変身技。想像以上に上手くハマった。
「これでアイツはもう大丈夫だな。先輩風を吹かしてウザがられる前に退散するとしよう」
ギャリバーは意気揚々と採石場を後にする。肩の荷が下りた足取りはこの上なく軽かった。
* * *
「やっぱりヒーロー辞めようと思うんです」
「なんでだよ!?」
気管に入ったビールに咽せながらギャリバーは盛大に突っ込みを入れた。
「あのとき闘ってた悪の組織、きっちり壊滅させたんだろ!? その後だって別の組織を潰してる! 怪人撃破スコアだって鰻登りじゃねえか!」
蜘蛛怪人との戦闘から数ヶ月の時間が経過していた。あの後、南極に現れた悪の組織と闘うために日本を後にしたギャリバーは、今日久しぶりに例の居酒屋を訪れている。またしてもライターからのお誘いだ。
変身を妨害されなくなったライターは破竹の快進撃を続けている。ヒーロー協会が発行する機関誌でライターの活躍をチェックしていたギャリバーは密かに鼻を高くしていたものだ。
しかしそれだけに理解できない。なぜまたヒーローを辞めたいなどと言うのだ?
「変身のせいで敵と闘えないんです」
問い詰めるギャリバーに向かってライターが静かに答えた。それはいつか聞いた台詞とまったく同じだった。
やれやれとばかりにギャリバーが小さく首を振る。
「また手強い敵が現れたのか? なんかお前だけ、ヒーロー人生ハードモード過ぎない?」
「強いとか弱いとか、そんな話じゃないんですよ……」
憂いと帯びたライターの呟き。それもまたいつか聞いた台詞と寸分違わなかった。今度は一体なんなんだ。目眩と頭痛を堪えながら、ギャリバーは独白の続きを待った。
ややしばらくして、ライターが口を開く。
「変身する前の爆発で、敵がみんな死ぬんです」
いつかの重苦しい沈黙がまたしても舞い降りた。
かつてギャリバーは爆発と共に変身する方法を攻防一体の変身技と評したが、実際はそんな生易しいものではなかった。
変身すれば敵は死ぬ。例の蜘蛛怪人以降、ライターは怪人と一度も拳を交えることなく勝利し続けている。彼の凶悪な発火能力によって繰り出される爆発は、もはや変身必殺技とでも呼ばれるべき代物だった。
濁った瞳でライターが愚痴を零す。
「変身しても戦うべき相手が存在しない。虚しいものです」
「俺達は力ない市民に代わって悪の組織と闘うヒーローだ。闘いによって達成感を得るのは過程であって目的じゃない。そうは思わんか?」
「でもギャリさん! ただ倒せばいいだけなら敵のアジトにミサイルを撃ち込むだけでよくないですか!?」
ぐうの音も出ない正論だった。そのままライターが変身の意義について滔々と語りだす。ギャリバーはこの後の展開を悟り、せめて日本の料理を堪能しておこうとただひたすら箸を動かした。ヒラメが美味い。茶碗蒸しも美味い。モツ煮込みなんか絶品だ。
ライターの変身論(ヒーローの美学やら何やら)を右から左に聞き流し、なんの生産性も無い相槌を適度にかます。あまりにも不毛な時間だった。
やがてライターが語り終え、テーブルに短い沈黙が訪れた。頃合だな。
「ライター。明日、時間は空いてるか?」
「ギャリさん!」
「みなまで言わすな。敵を乗り越えたヒーローが次に乗り越えるべきものは何か。そんなものは決まっている。自分自身だ」
それらしい台詞を嘯く。宇宙警視は死んだ瞳でビールを飲み干し、シニカルな笑みを浮かべながら仮面ライターに告げた。
「特訓しよう」
この瞬間、ギャリバーは心の中で全く別のことを考えていた。
変身中のヒーローが攻撃されるから要らぬ苦労を背負い込む羽目になるんだよ。やっぱ暗黙の了解とかいう曖昧なものに立脚してるのがダメなんだな。
連鎖反応のようにアイディアを閃いた。頭の中で壮大な計画が組み立てられていく。それは長く困難な道のりだが挑むべき価値のあるものだった。遂行には権力が必要だ。トコトン出世してやろう。まずは手始めに宇宙警察のトップにでも上り詰めようじゃないか。
宇宙警視ギャリバーは闘志を燃え上がらせた。
* * *
十数年後。ギャリバーは宇宙警察の枠を飛び越え、宇宙連盟の議長にまで上り詰めていた。
今日、一つの条約が結ばれる。それは全宇宙に存在するあらゆる知的生命体が、善悪の垣根を越えて締結する条約。宇宙の歴史を紐解いても例が無いほど大規模かつ広範囲。空前にして、おそらく絶後だろう。
条約締結はギャリバーの試みによって実現した。当初は誰も耳を貸さなかった。気紛れで耳を傾けた者も、なぜそんな条約を結ぶのだと揃って首を傾げてしまった。
普通ならば断念する。狂気の沙汰と面罵されたことすらある。しかしギャリバーは不屈の闘志でもって全ての存在を説き伏せ(あるいは叩き伏せ)条約の締結まで漕ぎ着けた。
不毛な連鎖を断ち切ろう。ただその一念を胸に抱いて。
条約の内容はある業界に根付いていた暗黙の了解を、全宇宙で守るべきルールとして定めたものだ。
調印に使われる文書を手に取り、ギャリバーは万感の想いを込めて条約の全文を読み上げた。
ただ一言。「変身中のヒーローを攻撃してはならない」、と。