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3.震災の日の東京

 こんな話を偉そうに語り始めてるけど、僕は実は、東日本大震災の揺れ自体には気づかなかったんだよね。

ニュース見たら、家のあたりは震度2揺れでたらしいけど、いつも歩いてる通学路の田んぼ道歩いてたら気づかないような揺れ方だったみたい。

家に帰ってテレビ見ようとしたら、みんなやっている内容が津波の生中継ばかり。

そこでやっと、あっちの深刻さがやっとわかった。

ニュースで伝えていたのは、宮城や岩手の津波のこと、震災被害のことばかりだったから、遠く離れたところの被害が大変そうとしか思わなかった。

そして起こった原発事故。

避難を余儀なくされた人たちがたくさんいて、町中が避難区域になって…。

客観的な事実しか伝えられなかった当時のニュースで知ったことはこれだけだった。


そんなこんなで2年が過ぎた春、進学する予定の高校は、大規模な耐震改修工事が行われていた。

中高一貫校だった僕の母校には、中学からいる人も何人かいた。

中学からいるということは、震災の時に学校にいたということになる。

震度5強の揺れの中みんなで避難し、グラウンドで集まっている途中にも強い揺れが来たらしい。

都心の交通網が麻痺して、家に帰れなくなった人の避難場所として、教室で寝泊まりしていた人もいたそうだ。

中には、いつもはバスで20分の道のりを1時間以上かけて歩いて帰った人もいた。


いつもは交通量が多くて、絶え間なく車が行き交う学校近くの大通り。

そこを走る車が、時を止めたようにすべて動きを止めて、渋滞したまま全く進めない状態になっていたらしい。

その大通りの歩道はといえば、帰る場所に困った人で溢れかえって、危険な状態だったという。


遠く離れた地元でも何度か聞いた「帰宅困難者」とまとめられるたくさんの人たちは、混乱の中、こんな状況だったらしいのだ。


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