山の何者か
美しい景色に感動し、汗をかく心地よさを求めて、手軽に幅ハイキングで山に登る人は多い。しかし、山がハイカーに与えるものはそれだけではない。
山に残る、訪れた人の記憶は、木々の中に眠り、一つ一つの石の中に潜んでいる。
何かの気配がすると、あなたは振り向くがそこには、もう戻ることのできない、鬱蒼とした森が続いているだけ。
そしていつの間にか山は意思を持ち、あなたを・・・
その日の私は、山に登るつもりはなく、ゆっくりと日曜日を過ごすつもりだった。いつものように、ソファに寝そべり朝の政治番組を見ようとしてリモコンを探し始めた時、ソファの下に古い雑誌があるのに気づいた。
「ん、なんだ、沿線おすすめハイキング、いつ買ったんだろう」
見る気もなく、ページをパラパラとめくっていると、その山の写真に目がいった。なんということのない山の写真であったが、山腹付近に少し写っている鄙びたお寺らしい建物が妙に気になった。
その雑誌には、お寺の近くには、いつの頃かわからない、古びた祠があると書かれてあった。そして、決して行くときは、一人で登っては・・・
「山か、長く登っていないな、ハイキングコースなら、すぐに帰ってこれるか、暇だしいってみるか」
私はその山に呼ばれるようにハイキングを決めてしまっていた。記事の最後まで読むことなく・・
その山は、家から電車で一時間もあれば行ける山だった。
駅に降りたった私は古くて朽ちかけた観光案内板で、山腹には源氏ゆかりの古刹があることがわかった。雑誌に載るハイキングコースであるが、回りを見回したが、駅から山に登るものは、だれもいなかった。
一時間ほど歩いて行くと、山腹へのお寺へは2週間前の台風で、車でも登れる道が、がけ崩れで通ることができないと張り紙があり、
その横に「参道」と薄い字でかかれた道標が、薄暗い山道の方を
指して、土に打ち込まれていた。
「がけ崩れか、少し気味悪いが、とりあえす、行くか」私は、写真で少し見えた山頂の寺に向かって山の中に踏みいった。
しばらく歩き続けると、台風の影響なのか、あちこちで竹の節があり得ない方向に折り曲がり、左右の景色を見えずらくしている
山道は、小さな橋にでた。橋の向こうは、少し斜面になっており、20メートル四方の空間が広がっていた。
少し行ってから休もうと、橋を渡った時、空間が歪んでいるような、感覚に襲われた。しばらくその場に立ち止まると、その感覚はどこかえ消え去ったが、ここへ来てはいけなかったと私は後悔した。
振り返った、後ろの橋と、歩いてきた道がなくなっていた。
震える膝は、自分の意思とは関係なく空間の中へ、中へと私を歩かせた。
空間の真ん中には、古い祠があり、中にはなにも置かれておらず、下へ向かって空洞があり、その底は全く見えなかった。
私は、不思議と怖さが薄れていくのを感じた。膝の震えも収まり、心が落ち着いてくるのがわかった。
しばらくして、祠の中に見える空洞が気になり出した。ゆっくりと一歩、一歩、祠に近づいた。
丸い空洞の縁は、しっかりとした木で出来ていた。木枠に両手つけ、体を支え、私は空洞の中を覗きこんだ。
「ああ、これは」と叫び声をあげた。私はすでに山の何者かにとらえられ、引き入れられたことを悟った。
回りの景色は次第に立体感を無くし、私自身の体は薄っぺらい
ひと書きの線になっていった。
お父さん遅いわね、「なに、このハイキングの雑誌、古くて汚いわね、いつ買ったのかしら」ポイと、雑誌は、明日、回収される新聞紙のかたまりの中に放り投げられた。
新聞紙の上で、無造作に開いた雑誌のその山の写真には、山腹付近にある祠の中の、暗い穴の向こうからこちらの世界を覗いている、大きく開かれた目が、はっきりと写っていた。
終わり。