プロローグ〜第1章
プロローグ
沈黙の友であり、時に孤独に寄り添い、あるいは高揚した気分を宥めてくれるような音色が客の居ない狭い店内を撫でていく。
店の主は変わり者で、常連客みたくカウンター席の薄暗い奥まった隅で椅子に寛いだ様子で座りバーテンダーの動きを眺めている。
何か飲むでも無く、ピーナッツを摘みながら。
「もうそろそろ部屋帰って寝た方が良いぜ。アンタ、近頃じゃあ夜更かしすると朝飯あんま喰わねぇんだから」
鎧のような鍛え上げられた体躯からは想像もつかないほどの繊細な指使いで全てのグラスを拭き終わったこの店唯一の店員でゼブラ柄の蝶ネクタイが似合う強面のバーテンが声を掛ければ、
「年寄り扱いするなよ。お前だってオレと歳、そんなに違わないだろ」
同じく強面だがどこか甘さを残した顔を顰め、店主は言い返す。
百戦錬磨の闘犬を彷彿とさせるバーテンと違い、ゴミを漁ってやっと見つけた骨で心底満足し、しゃぶり続ける野良犬っぽい雰囲気を持つ店主の身体はしかし、初老に差し掛かった外見とは違い、しっかりと筋肉がついていて年齢を感じさせない腕の確かな刀匠が打ち上げた抜き身の美しさがあった。
「俺はアンタみたいに夜中に何度もトイレに起きないね」
「そりゃあお前の作る酒が美味すぎるのが悪い。おかげで飲み過ぎちまう。気持ち良く寝てんのに便所に起きねぇとならないのもしんどいんだぜ」
「だから今日は珍しく禁酒ってか。やっと副業の締切から解放されたんだろう」
「ああ。けど禁酒ってわけじゃない。後で飲むのさ」
「部屋に帰ってから飲みたいってことか?ならどうせ客も来ねぇだろうし少し早いがもう店、閉めるか?」
「いいや、まだ店は閉めらんないようだぜ。客が来た。」
店主が言い終わると同時に甲高い鈴の音を鳴らし店の扉が開いた。
入って来たのは黒縁眼鏡の中肉中背のこれといった特徴がない青年がひとり。
「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」
先ほどの店主に対する接し方とはうって変わってバーテンは丁寧な口調で青年に語りかける。
青年は俯きかげんでカウンターへとぼとぼとした足取りで近寄ると店主とは椅子ひとつ分を開け隣へ座った。
「何かお作り致しましょうか?」
「…お任せします」
「かしこまりました」
バーテンと青年のやり取りを伺っていた店主が、
「だったらあれが良い、オリジナルカクテルのVas vitreum。お客さん、まるで恋に悩んでいるっていうツラだ」
口を挟んだ。
「…顔に…出てますか?」
「オーナー、不躾過ぎるぜ」
「そうかぁ?」
「オーナー?」
あまりにも予想外ですっていう反応で聞き返されて微苦笑で答える店主のかわりに今度はバーテンが口を出す。
「といっても客の居ない時間帯にカウンターで酒を飲んでるだけの酔っ払いですが。今日みたいに素面なのが珍しい」
「余計な口効いてないでさっさと酒をつくれよ」
「はい、はい」
「初めて店に来てくれた祝いにオレの奢りだ。遠慮なく飲んでくれ」
「はあ、ありがとうございます」
胡散臭い店主に戸惑いながらも礼を述べる青年に、
「で?フラれでもしたのか?なんなら話してみろよ。楽になるかもしれないぜ」
往年の友人みたいな気さくさで愚痴っちまえよと促す。
バーテンの、またアンタはと咎める視線を知らんぷりして。
「……好きになってはいけない人に惹かれてしまったんです」
青年の唇は迷い、幾度か開いては閉じた後、グラスにそっと注いだ液体が溢れるような呟きをもらした。
「へぇ…」
「その人は僕の幼なじみで、兄貴の嫁さんになる人で、結婚式の日取りも決まっていて。ウチ、結構な名家ってやつで古い仕来りでお見合い結婚ってのが当然で…。兄貴は僕なんかと違ってイケメンだし、跡取りだから、きっと彼女は幸せになれる。なのに…」
「なのに?」
「彼女が欲しいと叫びをあげながら暴れる僕の心はいつか、何もかもをめちゃくちゃにして、例え彼女を不幸にしたとしても、この手を伸ばすんじゃないかって。いっそ、こんな煩い心は砕け散ってしまえば良いのにっ」
「ふん。なるほどな」
「お待たせしました。こちらが当店オリジナルカクテルのVas vitreumです」
想像の中の自分を殴り付けたいのか、それとも怯えているのか、カウンターの上で拳を握り締め、震える青年へバーテンは美しい色をしたカクテルを差し出す。
「Vas vitreum。捉え方としてはガラスの物体なんつぅ意味もあるがウチとしてはガラスの器って意味を用いている。今のお前にピッタシかもな」
「この店のオーナーは大変な変わり者で、昔からオリジナルカクテルを作っては物語をつけて楽しんで、今ではその物語を小説として出版してるんです」
「作家さんなんですか!?」
青年は、この男が先だってこの店の主だと知った時よりも驚いて、分厚いメガネの奥の目玉が落ちそうな表情をした。
仕方のないだろう。
店主で作家のスキルを持つ男はボサボサの髪で無精髭を生やしている辺りは締め切り間近の作家っぽいが、耳と唇に幾つものピアス、指や腕には装飾品をジャラジャラとつけ、全てのアクセサリーは金ピカに輝き、薄暗い店内ではこれらも立派な照明となって、身に纏う男は影と化していた。
「信じらんねぇってツラだな。良いぜ。そのカクテルの物語、話してやるよ。苦しい愛への慰めに…」
優然と笑む店主の瞳の色がカクテルと同じで、底抜けに明るい空と果てが無いほど暗い海を混ぜたみたいな色彩へと吸い込まれるように、青年は黙って頷いた。
第1章
魔法使いであることに嫌気が差して男は、一介の兵士として生きていた。
まあ、元魔法使いといっても魔法薬を作るだけで杖からビームが出たり、魔物を召喚出来たりするわけじゃあないから、戦場で剣を振り回し、仲間と助け合い、部下に慕われる兵士としての平穏な日々。
男には愛する人が居た。
手を触れることも、許可なく側に近づくことも、目を合わせることすら無礼に当たる相手だ。
戦は苛烈を極めていたが魔法使いとして長く生きてきたし、愛する人を守って戦場で散るのも悪くないと考える男は常に前線で戦い勝利を収め、その度に愛する人に労いの言葉をかけて貰えるだけで充分だった。
だがある日、愛する人の婚約者が大病で倒れたと聞いて男は、悲しみに暮れる愛する人の為、禁断の魔法薬を作った。
その魔法薬は、飲み干した後に瓶の中に結晶化して現れる副産物を飲めばどんな病も治すが、魔法薬を飲んだ者は愛する人に対して胸が高鳴れば硝子の如く身体にヒビが入って行き、終には砕け散ってしまう代物だ。
男は躊躇いも無く魔法薬を飲み干して、中に残った結晶を戦場で手に入れた万能薬だと偽り愛する人へと渡した。
魔法薬が効いて、婚約者の病状が回復へと向かうにつれ、愛する人は親愛の情を持って男との距離を縮める。
男は、労いの言葉だけで充分だったはずなのに、目を合わせることを許され、信頼に足る友として側に侍り、いつでも手を触れられる距離に在れるようになって、恋に犯され強い魔法にかかった心は高鳴り続け、最期には身体が砕け散ってしまった。
「という、もう残り少ない伝説の魔法薬ですが、よろしいので?」
如何にもといった感じの歪なボロい小屋から現れ、突如現れた客へと説明を施し、見惚れるほど美しい青い液体が入った瓶を片手に確認を取る中年の強面男は、この国では見かけたことの無い動物の皮で作られたフード付きのマントに頑健な体格を包み、短く綺麗に整えられた金色の顎髭を蓄え、同じく少し長めの金色の髪は無造作に後ろでひとつに縛り付けてある。行儀悪く纏まり切らずに溢れた髪がサラサラと風に靡き、松明の火に照らされ妖しげに光る瞳は鼈甲の中でも高価な白甲色だ。謎めいた部分も確かに持ち合わせてはいるが、とても魔法使いの弟子には見えない。
「はい、この子が助かるなら何だって良いです。どうか私達にその魔法薬を売って下さい」
だが顔の皺が気になる年頃の女と、妻より年上だが尻に敷かれまくって疲弊仕切った面構えの男は信じ切って魔法使いの弟子だと名乗る男へと縋る。
女の腕には愛らしい顔を苦しげに歪めた幼子。そして少し離れた所から様子を伺う幼子よりも少しだけ年長の少女。
「わかりました。それで、どなたがお飲みに?お母様?それともお父様が?」
魔法使いの弟子が尋ねれば女は子を心配する母の顔に迷いや怯えといった色を差し、
「私には、とうに惚れた夫がおりますし、母親の私が居なくなればこの子が可哀想。それは夫も同じこと。なので、ミア、いらっしゃい」
ミアと呼ばれた少女は躊躇いがちに女の元へ駆け寄る。
「はい、母様」
「この子なら、良いですわ。この子なら居なくなっても困りませんし、器量もあれですから恋などとは無縁でしょう。ミア、聞こえていたでしょ。あの薬を飲みなさい。あなたの可愛い妹を助けるためよ。もちろん嫌とは、言わ無いわね」
「…わかりました」
頷くとミアは魔法使いの弟子へと歩み寄り、無言で手を差し伸べた。
なるほど、実母に姉妹か。同じ腹から産んだのにどちらかだけを可愛がる。よく聞く話だが。
魔法使いの弟子は一度深く息を吸い込み、吐き出してからミアと目線を合わす為にしゃがみ込み、その小さな手に己の手を重ね、柔らかな掌へともう片方の手に持っていた瓶を乗せ離さぬまま、ミアの母親へ聞こえ無いようにそっと囁く。
「おい、お嬢ちゃん、本当にわかってんのか?将来、お嬢ちゃんがイイ女になるかどうかは正直わからねぇが、どんな奴でも何れは愛に打ち当たる。お嬢ちゃんに心から愛する人が出来た時、身体が砕け散って死ぬってことだぞ」
粗野な口調は本来のもので、魔法使いの弟子が、相手から本意を引き出すのなら自身も真味を出さなければという信条の持ち主だからだ。
「うん、わかってる」
ミアも感じ取ったのかこの子自身の言葉で話す。
「本当に…良いのか?」
くどい位の確認にミアはしっかりと頷き、
「良いのっ。だって初めてなんだもん。母様がミアを必要としてくれたの。だから良いの。」
嬉しげに笑った。
「フッ、前言撤回だ。お嬢ちゃんはイイ女になるぜ」
魔法使いの弟子は優し気な笑みを浮かべ、手を離し魔法薬をくれてやった。
「ありがとう。魔法使いさん」
「いいや、俺は魔法使いの弟子さ」
「さあ、ミア、早く飲みなさい」
母親に促されて、ミアは瓶の中身を一息で飲み干す。すると瓶の中にビー玉ほどの紅い結晶が現れた。母親は瓶をミアの手から奪い、結晶を取り出し、幼女へ飲ませる。
結晶が喉元を通り過ぎた途端、幼女の顔は安らいだものになり血色が戻った肌の上へ母親は安堵の息を落とした。
「近い内に完治する筈です」
「ええ、ありがとうございます。助かりました」
「いいえ、俺は魔法薬をお売りしただけ。本当に偉いのはこの魔法薬を作ったバカな魔法使いと、臆病風に吹かれて飲めなかった両親に代わって飲み干したそこのお嬢ちゃんだ」
目を潤ませて礼を述べていた母親は、魔法使いの弟子に皮肉られ侮辱された怒り、もしくは図星を指された羞恥からか青褪め、
「代金、これで足りますわよね」
冷淡に言い放ち、横暴な仕草で金貨の詰まった小袋を押し付け、
「あなたっ、こんな薄気味悪い場所、さっさと帰るわよ」
魔法使いの弟子が頷けば幼女を腕に抱いたまま背を向け夫を連れ、去っていく。
魔法使いの弟子に手を振りその背を追って駆け出すミアへと警告しようとして思い留まる。
砕けた硝子の中心から現れる真紅の宝石は何よりも価値が高く、美しい為、それを知る者に狙われ無いようにと。
だが警告した所で、どうにかなるものでも無い。
不逞の輩が力で奪える訳じゃ無し。自らの意思で何とかなるってものでも無い。
愛、というこの魔法薬を飲んだ者には災厄な事態だけが紅玉を生み出すのだ。
それに、彼女に言ったとしてあの子のことだ、もし母親が金に困るようなことでも起きれば、黙っていられないだろう。
と、色々考えて魔法使いの弟子は大きな舌打ちをして、
「胸クソ悪ぃ。酷ぇ法則付きの魔法薬作りやがって。大体、弟子と薬品放って何処いきやがったあの人はっ」
だが、法則は絶対。則らなければ全くの別物。
ウチの師匠である魔法使いなら、ミアにあの魔法薬を渡しただろうか。
「………渡した。だろうな、あの人なら」
面白そうなことが大好きな人だ。
あのミアという少女はそこらの乙女みたいな多少のいざこざを乗り越えれば良いだけの平和な恋愛は出来やしない。魔法薬を飲む運命に当たった者はいつもそうだ。
金も受け取らないまま渡して、並大抵の魔法使いじゃあないから魔法薬を飲んだ者が年頃になれば見つけ出し、ふらりと近付いて、最期まで見届けて。
そうして渡した魔法薬の所為で散って仕舞えば笑うんだろう。
「哀しい表情して」
魔法使いの弟子の呟きは、ボロ小屋と彼を包む夜気だけが聞いていた。
愛っていったい何かしら。使い古された疑問でしょうけれど、それがアタシの命を握っているの。いちばん愛した女には愛されず、あの日から余計に疎まれて、十五を境にもう子供じゃ無いんだからと家を出されて、行く宛も無く。辿り着いたのは幸せとは縁遠い女達が働く酒場になんとか雇って貰って今日まで生きてきた。
容姿は可もなく不可もなく、ただねお前には華が無いんだと言われ、馴染みの客も居ない。
毎日のように店主には叱責され、溢れた客の酒の相手をしながら愚痴を聞いて、八つ当たりをされて。
最近までアタシの日常はそんなだったのに。
近頃は突然湧いたひとりの客に何故か入れ込まれて掻き乱されてしまっている。
それも、良い方向へと。
とても怖い。
だって、アタシの生存本能が言っているの。
この男から逃げろって。
「悪いなミア、待たせたか?」
「いいえ、アタシが早く着きすぎただけです」
今日は唯一ミアを御贔屓にしてくれる男と店外デートだ。
店外デートは割高でこの男はミアの為に事前に大枚を店に払い、デートの時のショッピングや食事などにも金を出す。
はじめの来店時に「彼女と飲みたい」と指名された時は随分と物好きな男だと思ったものだ。
何せ、この男ときたら先日店に立ち寄った商人が見せてくれた、宝石と同等、或いはそれ以上にお高い、大金持ちや王族しか口にしないと言われるチョコレートみたいな男で髪や瞳はありふれた茶色なのに光沢を放ち、顔と身体の造形は最初店に来た時に店の中でも飛び抜けて美しいとされる女達が色めき立つほどの美丈夫。
「キヨタカさんこそ、ひどい汗。あんなに走っていらっしゃらなくてもまだ早いのに」
ミアは次々と額を流れ落ちるキヨタカの汗をバッグから取り出したハンカチで拭ってやり、「よろしければ、どうぞ」と手渡した。
「ありがとう。なんだか気持ちが急いてしまって。貴女との初デートが楽しみで、気が付けば職場から走ってしまっていた」
そう言って微笑み、首元の留め具を外し受け取ったハンカチで汗を拭うキヨタカ。
商人が下卑た笑みでチョコレートは閨事を盛り上げる効果があってと話していたのを思い出す。
禁欲的に見えるこの男のこういった仕種はとても性的で。
茶色く硬質な外見で、甘いお菓子ヅラして媚薬。
ミアは視線を逸らし、心を逃がして、
「先ずはどちらへ参りましょう?」
などと問いかける。
「そうだな、いつもは職場の同僚と軽く飲みに行くくらいで勝手がわからん。どこか行きたい所はあるか?」
「そうですか。では、あの辺を散策して、お腹が空いたらランチをして、でどうでしょう。」
店が立ち並ぶ大通りだ。きっと興味を惹くものや楽しめるものがあるに違いない。
「ああ、そうだな」
「では、参りましょう」
「あ、ちょっと待ってくれ」
「はい?」
「せっかくのデートなんだ。手を繋ぎたいんだが、駄目か?」
「いいえっ、アタシもキヨタカさんと繋ぎたいです」
ミアにはキヨタカの金で買った女に対する遠慮や気遣いが堪らなかった。今迄相手にした客や他の女達に来る客の殆どが金を払ってるんだからと自分勝手な振る舞いをし、傲慢で、時には暴力を振るう事もあった。けれど、このキヨタカという男は、
「…ありがとう」
照れたように笑って礼を言ったりする。
その度に魔法に囚われた乙女心が動じ無いよう静めるのに大変だった。
だけど最近、この男になら、粉々に砕かれても良いかと思い始めた。
ミアの十八年の人生の幕引きが、数え切れないくらい出会った人々のなかで、唯一しっかりと美しく煌めく瞳にミアを映し、優しく声をかけ、微笑み、紳士然とした気遣いをみせるキヨタカなら最高かも知れない。
差し出された大きな手を取り、握り締める。
キヨタカの手はあちこち皮膚が硬くなった部分が有り、自称腕の立つ剣士が客として来た時にコレは剣ダコだと自慢していたのを思い出す。
あの時見せられたものよりもずっと硬く大きなものだが。
無作法に当たるから詳しく聞いたことは無いが、キヨタカの鍛え上げられた体格と剣ダコ、きっちりと着こなしたシャツから露出した肌に所々見受けられる傷跡。
お金持ちの用心棒か、城勤めの兵隊さんか。
「行こうか、ミア」
握った手を促すようにソッと引かれ歩き出す。
もし、お金持ちの用心棒なら、男の性格上、雇い主から離れて遊んでいる訳も無く、城勤めの兵士なら、こんな所で商売女と歩いていたら外聞が悪いと最悪クビになる筈だ。
じゃあ、何者なんだろう。
気にはなったが、歩幅を合わせ、ゆっくりと歩くキヨタカの冷んやりしているのに暖かな手を離したくないから、どうでも良くなってしまった。
あらかた散策し終え、キヨタカはハンカチを汚してしまったからと遠慮しまくるミアへ新しく買い与え、その後お腹が空いたからと個人が経営する小さなパスタ屋へ入った。
「もっと明るい色の物もあっただろう、ミアは渋い色が好みなのか?」
武骨な外見からは想像もつか無い上品な作法で食事をするキヨタカに対し、子供の頃はいつも家族から離れて独り食事をしていて作法を教えて貰えず、店に雇われてからやっと、客と接するのに食事のマナーは基本だよとマダムに厳しく躾けられたが、こんなに上品なものでは無く、不安かられつつも食べているミアが、先程選んだハンカチの色についての質問が飛ぶ。
「いえ、ほらアタシの髪や目の色って、くすんだ色をしているので、あまり明るく可愛い色は分不相応って感じがして」
「そんなことは無い。特に深い緑色をしている虹彩の色はオーロラの一部かと見紛うほど神秘的で、俺は、その……好き、だ」
普段は平気な顔で可愛いと言ったり肩を抱いてくるくせに、好きだ、の部分で頬を紅潮させ珍しくも視線をミアから外し絞り出すような声で呟くのを見て、ミアの心はトキッと不規則な音を奏で、ピリッとした痛みが走り、じわりと熱が広まる。
「…あ、アタシ…」
胸を抑えて俯き青ざめる。魔法が発動したのだ。
「どうした?」
「アタシ…実は魔法にかかっていて」
明らかに様子のおかしいミアへ心配げに声をかけるキヨタカに、そんな突拍子の無い説明をしても訳がわからないだろう。けれど、わかってはいたが実際に発動してしまい動転し説明にならない説明が口から溢れたのだ。
「そうか。それは良かった」
「え?」
何が、と聞き返そうとして俯いていた顔を上げると、そこには冷たい眼差しの男。
別人では無い、紛れも無くキヨタカだ。
「捕らえろ」
キヨタカの号令により、ミア達の後に入って来た客達がミアを両脇から取り押さえた。
「嫌っ離してっ」
暴れてもビクともしない男達に押さえ付けられたミアへと手を伸ばしキヨタカは、ドレスの胸元の紐を解き、襟元を左右へ開くと僅かに心臓辺りから蜘蛛の巣のごとく模様を描きひび割れた青い線を見つけ、
「ん?おかしいな。確かにヒビが入っているが、砕けるほどじゃない。まあ、仕方ない。城へ帰ってこのまま女王陛下へ差し出すか」
「やっぱさぁ、アンタみたいな堅物がこんなに早く商売女を口説き落とすなんて、オイラのお手製ドギドキっこれで一発落とそうぜマニュアルのおかげだよね」
独り言のように呟いていると、横から肩を並べるように、ちょっと長めの赤い髪をサイドの右側だけ編み込んだこの国では珍しい髪型の男が話しかける。
「ああ、そうだな」
「でもさぁ、ホントに良いの?命令とはいえちょっとはこの子にイイなとか情が移ってたりしてるんじゃ無いの」
「こんな女、女王陛下の命令で無ければ興味など無い」
最初から愛され無いよりも、少なくとも好意を向けられていると思っていた相手の裏切りは痛い。
怒りより悲しみよりも痛い。
「お前を女王陛下へ連れて行く。光栄に思え。店のことは気にするな。謝礼金を渡してある」
そこには、紳士然としていたキヨタカは無く、従って当然だという一方的な申し渡し。
「連れて行け」
命ぜられた男達に連行される間際、裏切られたと頭では理解しているのに、愛によってヒビが入った身体は主犯であるキヨタカへと助けを求めて無意識に縋る眼差しを送る。
だが、キヨタカは最早ミアに興味など無く、編み込み男と談笑していた。
ミアが見たことの無い穏やかな微笑みで。
それを目の当たりにして、魔法にかけられた心は尚、トクリと脈打ちまたピシッとヒビが広がり、ミアは自嘲を零す。
心から愛してしまった人とやらに酷いことをされたばかりなのに、自分に向けられた訳では無い本当の笑顔を見ただけで、未だ愛しいと騒ぐ心に。
そうして、ミアは城へと連れて行かれる。
ズタズタになったのに傷など見当たらない心が収まる、ひび割れた身体を引きずられながら。




