Episode4
「お、神谷くん久し振りー。 来ないかと思った」
コンビニに入るなりすぐに、カウンターの奥で偉そうに椅子に腰をかける中年が話しかけてくる。 一応は店長兼オーナーの人だが、この人の接客態度は酷すぎる。 ちなみに名前は知らない。 名乗られていないわけじゃなく、名乗られたけど覚えていない。 確か……山田とかそんな感じだ。
俺が唯一、まともっぽく話せる人である。 話す前はすっげえ緊張するけどな。
「あっと……山田さん、カップラーメンまだあります?」
「俺、郷島だけどね。 名前覚えようね」
笑顔で中年男性は言う。 基本、この人は笑顔だ。 何を言われても笑顔。 というか郷島だった……。 何一つ被ってなかったじゃねえか。
「ああ、それでラーメンだけどさ、さっき来た人が全部買っちゃったんだよね。 買い占め。 あはは」
「へ、はぁ!? 買い占め!? てか、俺の分は……」
「だから、もうないって。 裏にある補充用のやつも買い占められちゃって。 はは」
そうじゃなくて。 そうじゃなくて……俺、一応毎月来ているんだから取っといてくれても……。 予約してなかったのも、言ってなかったのも俺だけどさ。 それでも毎月三十一日は来るんだから、多少は気を利かせてくれても。
「そいつ、そいつはいつ来ました!?」
「んーっと、ついさっきだよ。 五分くらい前かな」
「五分……ありがとうございます山田さん!」
「いやだから、俺郷島だって……あはは」
俺はそれを聞き、コンビニをあとにする。 五分ならば、まだ近くに居るはずだ。 俺が使った道では誰一人としてすれ違わなかったから、反対方向を走れば追いつくはず。 そんで、追い付いたら……追い付いたら、どうするんだ俺。 基本的にコミュ障で話すのは山田さんくらいだけの俺が、どうする?
……いや、これは死活問題だ。文字通り、俺の命がかかっている。 贅沢なんて言ってられない。
夜遅くの十月末は、さすがに寒い。 コンビニに行くだけだと思って、ジャージだけってのがそれを余計に加速させる。 だが、歩道を歩く人影を見つけた瞬間に、そんな寒さなどどこかへ吹っ飛んでいった。
「あ、あんたッ!!」
「……私?」
声をかけると、そいつは両手に持った大きな袋と共に、振り返る。 それを確認し、俺は走る動作から歩く動作へと変え、近づいた。 次第に、そいつの顔と袋の中身が見えてくる。
……ラーメンだ。 ラーメンだ! 両手で抱えきれないほどのカップラーメンだ! 間違いねぇ、こいつが犯人ッ!! 俺のラーメンを返せッ!
「その、えっと」
俺は言いながら、顔を上げる。 すると、目の前に居たのは女だった。 それも俺と同年代くらいの、女子。 髪は黒いが、その眉は白い。 外人か? フードをかぶっている所為で、その顔はハッキリとは見えない。 と、それよりも。
……最悪だ。 人間耐性がない俺だが、女子耐性はもっとない。 同年代の女子とか、今まで話した量は俺が一日で呟く独り言より確実に少ないレベル。 RMTで例えると、スキルレベルゼロどころか、会得不可能のスキルに分類される。 俺というクラスが、コミュニケーションスキルを会得不可能だからな。
「私に何か用事? ジャージ男」
俺のことか。 ジャージ男って俺のことか。 ポイズンエッジを撃ち込みたい。 あ、ポイズンエッジというのは対象にダメージを与え、より強力な毒を与えるスキルだ。 武器に付与する毒とは違い、消費MPは大きいが毒の効果はかなり強い。 HP総量の多い敵相手だと、非常に便利なスキル。
「あ……っと。 ら、ラーメンを」
「……ラーメン? これ?」
女は言うと、右手に持っていた袋を上にあげる。 中には、大量のカップラーメン。
「そ、そう。 単刀直入に言うと……なんだ、そのラーメンを売って欲しい……みたいな……感じ」
「良いよ。 一個二百円ね」
……一個二百円? おいちょっと待て、それって一個百円で買ったラーメンだろ!? それを二百円、つまりは倍の値段で売るってのか!? 転売師も真っ青な暴利じゃねーかよ!
「百円……だろ? それ」
「うん。 けど、私があのコンビニからここまで歩く労力も含まれての値段。 一個の重さが八十グラムで、それが占めて二十七個だから二千百六十グラム。 その重さと歩いた距離から、今は一個二百円の価値があるの」
「……フード女め」
俺がぼそっと言うと、フード女は体をぴくりと反応させる。 そして、言う。
「ジャージ男に言われたくない。 根暗髪ボサ貧乏ジャージ男」
「貧乏かどうかは分からねーだろ!? 勝手に決め付けんな! ラーメンフード女ッ!!」
根暗、髪ボサ、ジャージ男は否定しない。 ありのままだからなそれ。 だが、貧乏というのは否定させてもらうぞ。 にしても一々癪に障る女だな……。
「ラーメン、フード……。 ラーメンに対する食べ物としてのフードと、私がかぶっているフードをかけたの? 中々やるね」
いやかけてねーよ。 偶然だ。 というか、それ良く気付いたな……。 ていうか、こいつやっぱり売る気ねぇだろ。 ただ、ラーメンを欲している俺を馬鹿にしてるだけだろ。
「もう良い。 お前がラーメン売る気がないのは良く分かった。 そのまま栄養偏って死んでしまえ」
「初対面の相手にそこまで暴言が吐けるのもすごい。 けど、分かってくれたなら良いかな。 それじゃあね、ばいばいジャージ男」
フード女は振り返り、歩き始める。 俺は小さくなっていく背中が消えるまで、死んでしまえと念じ続けた。 RMTだったら速攻殺してやるのに……クソ。
……これだから、外は嫌なんだ。
最悪なことってのは、大体尾を引くものだ。 例えば、ひとつのクエストに失敗したあとは次に受けたクエストも凡ミスで失敗したりする。 そういうのを負の連鎖と言うんだと思う。
それもゲーム内ならまだ良い。 少しだけイライラとするだけで、落ち着いて対処すれば問題なくクリアできる。 だが、それが現実となるとどうにもクリア不可能、最高難易度のクソゲーになる。 例えば。
「……なんでお前が居るんだ、ラーメン女」
「それは私のセリフ。 ジャージ男」
次の日、保健室通いの俺がそこへ入ると、椅子に座っていたのは先日のラーメン女だった。 担当教員はついさっき会議ということで席を外しており、二人っきりになったところでようやく俺が口を開くと、今の返答があった。 俺が入った瞬間、時間が一瞬停止したな。 ついに時間を止められる魔法でも習得したのかと思ったが、どうやらそれは勘違いだ。
しかし、昨日は夜道で良く見えなかったが……真っ白な肌に白い眉、そして青い瞳に黒髪という、なんとも言えない外人のような出で立ちだ。 だけど日本語がやたら上手だから、日本人なのは間違いなさそうだな。
「言っておくけど、昨日の恨みは忘れないからな」
「あっそ。 勝手に恨んでいれば良いんじゃない? ジャージ男の恨みなんて、怖くはないし」
無表情で、素っ気なくフード女ことラーメン女は言う。
……態度が生意気だ。 イライラすることこの上ない。
「てか、最初の質問の答えがまだだぞ。 どうしてここに居る? この保健室は、俺がこの学校で唯一足を踏み入れられる聖域だ。 お前に汚染されたくない」
俺ほどともなると、教室には居られない。 特別な教室が用意され、誰に邪魔されることなく勉学に励める専用の教室が用意されるのだ。 悲しきかな、秀でた者は総じて孤独である。
「ただの不登校でしょ。 私にはちゃんと理由が」
そこまで言ったところで、ラーメン女は黙る。 何かを言いかけて、それが言いたくなかったことだったんだ。 顔の表情が、そう俺に教えた。 それと、俺の言葉に一瞬動揺したようにも思えた。 どの部分に動揺した? それが分かれば、弱点を見つけられるかもしれない。 どんな強力モンスターにも、弱点というのはあるから。
よし……昨日の仕返しだ。 問い詰めてやろう。 そうすれば、自ずと弱点も見えるはず。
「なんだよ、そこまで言ったら言ってみろよ。 どうせ、大した理由じゃないんだろ? 俺と似たようなもんだ」
「ッ!! あんたなんかと一緒にしないでッ!!」
女は、勢い良く俺の方へ振り返り、顔を睨んで言う。 そしてその弱点は、思ったよりも呆気なく露出された。
黒い髪の間から白い髪が見えたのだ。
「……白髪?」
俺が驚いたのは、髪が白かったからではない。 その髪の白さと、白い肌と、白い眉。 それらが繋がったことで、驚いたのだ。 そこまででなければ、思い至らなかった。 言ってしまえばそれは、超レアモンスターだ。
「見た、の?」
俺の呟きに、女はあからさまにマズイといった顔付きになった。 そして、髪を押さえる。 その黒髪は、地毛を隠すためのものだ。 そんなことをするその理由に、俺は心当たりがある。
二〇七二年現在から、遡ること数年前。 とあるひとつの奇病が発見された。 発色性不合症候群と名付けられたそれは、全身の肌の色、体毛の色、瞳の色が変化していくという病気だ。 患者数は極めて少なく、それら全員の体毛が白くなり、瞳は青くなると聞いている。 そして、発症から数年後に突然死を起こす奇病。 遺伝子の関係か、未知のウィルスか、未だにそれすら解明されていない病気だ。
かつて、治療薬が存在しなかったHIVウィルスの治療薬が開発され、人に治せぬ病気は存在しないと言われ始めてからすぐに発見された病気。 対策法も、治療法も未だに見つかっていない。 そしてその病気は空気感染すると噂され、患者に対する殺傷事件も発生している。 あくまでもそれは、都市伝説の類だが。
「お前、まさか」
「……」
女は、俺から視線を逸らした。 その顔を見て、瞳を見て、俺は思い出した。 数年前の自分を思い出したんだ。 俺と、同じだと。
俺が他人に向けていた目と、同じ目をしている。 人に可哀想だと思われるのが、心底嫌な目だ。 自分を可哀想な奴だと、思われたくない目だ。 自分の価値を……認めて欲しい目だ。
「なんだよ……くっそ、似たもの同士とか」
俺は言いながら、頭を押さえる。 こんな奴と、一緒だと思ってしまったことに対する嫌気から。 負の連鎖もここまで来ると、どこまでも行ってしまえと思えてくる。 そして次に湧いてきた感情は、嫌な感情ではなかった。
「……似たもの?」
同族嫌悪ではない。 むしろ、逆だ。 俺と一緒で、何倍も俺の方が身軽ではあるが、それでもそのベクトルは一緒だ。 俺とこいつは――――――似ている。
だから、俺は手を差し出した。
「俺は神谷だ。 神谷七瀬。 お前は?」
「……怖くないの? それとも、私の病気を知らないの?」
怪訝な顔で、女は言う。 俺から一歩距離を取り、未だに俺から顔を逸らしながら。
「知ってるよ。 発色性不合症候群、人に移るかもしれないって奇病だ」
「なら、なんで」
「別に、俺に移っても今となんら変わらないしな。 それに出歩いているってことは、移ることがないって病気だろ? そんな都市伝説は信じない。 俺は自分の眼で見たものだけを信じる。 俺がその病気にかかったら、その都市伝説を信じてやるよ」
気付けば、普通に話せていた。 不思議と、こいつと話すことに怖さを感じなくなっていた。 重度のコミュ症の俺が、自然に話せていた。
昨日の言い合いが切っ掛けだったかもしれないし、こいつの病気が切っ掛けだったのかもしれない。 だけど、一番の切っ掛けは……俺と、似ていたってことだろう。
「俺はお前に同情しないし、可哀想だとも思わねぇ。 むしろ俺の方が可哀想だ。 貧乏だしな、俺」
笑って、言う。 笑えば、何もかもが楽しくなる。 こんなくそったれなことでも、楽しくなるんだ。
「……甘楽。 私は、甘楽千雪」
甘楽と名乗ったその少女は、こうして俺と握手を交わした。 その手は冷たいようで熱を持っている、不思議な手だった。 俺にはない、強い意志を感じた。 こいつはきっと、何かの目標があるのだろう。 そういう奴の手っていうのは、総じてこうも熱いんだ。
にしても、甘楽……甘楽……。 どこかで聞いたような、そうでないような。 俺がそれに気付くのは、次にRMTにログインをしたときのことである。