女魔術師とハイエルフの鎧作り
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城塞都市マディーナは、今日も快晴だ。都市を覆う城壁を越えた先が沙漠だとは信じられない程に、街は活気に溢れ、人々の声は喧騒に満ちている。
もっとも、それで暑さから逃れられる訳ではないのだが、これはつまり、人の営みは多少気温が高くとも、問題無いという証左であろうか。
マディーナの歴史は古い。
起源はシバール国が魔王軍を撃退する為の前線基地として構築した城なのだが、後に魔王軍に敗れ、奪われた。
そうして魔王軍の支配が五百年程続いたのだが、それを打ち破ったのが聖教軍である。さらに、その聖教軍からシバール国が奪い返したり、また魔王軍に奪われたりを繰り返してきたのだから、都市としては、三つの文化が入り乱れた、ごった煮の様なものになった。
とは言え、ここ二百年程、魔王とやらは大人しい。人間、或いは亜人達の力が自分を滅することも可能だと理解したようで、あまり世界に干渉することはなくなっている。
だから人が戦うのは、もっぱら人であり、マディーナは今や聖教側とシバール側の最前線となっていた。
今のマディーナは、真教国シバール、リヤド領。一般にはマディーナ郡と呼ばれる。
すでに半年以上前になるが、「カルス会戦」に勝利したシバール軍が、マディーナを陥落させて再び支配したのだ。
現在のマディーナ太守サーリフは、「カルス会戦」における勲功第一であった男で、今年三十七歳になる屈強なテュルク人である。
彼の部下には、優秀な奴隷騎士が多いが、特にその中でも異質な者がいた。
かの、「カルス会戦」において、何処からとも知れず現われ、敵、味方に甚大な被害を齎した「魔人」がいるのだ。
会戦の後サーリフは、その魔人をマディーナの奴隷市で見つけ、買った。
魔人は記憶を一部失っているようであり、自身の力に気がついていない節があった。
だが、元々、使えるモノは何でも使う主義のサーリフである。魔人だろうと記憶が無かろうと、強ければ配下に加えてしまえば良い、そう考えたのだ。
だから、魔人にシャムシールという名を与えて、使う事にした。
事実、これまで彼はサーリフの期待通りの働きをしていた。
或いは、それ以上かもしれない。
彼は敵の戦力を削ぐだけに留まらず、奪ってきてさえいるのだから。
「ふ、ふはは。シャムシールがな。まさかアエリノールを奪ってくるとは。ははは。邸を一つ与えてやれ。そうだな、アエリノールを捕らえたのだから、オロンテス風の邸で良かろう!」
サーリフは哄笑し、そう、部下に命じたという。
もっとも、シャムシールが頭角を現してくるにしたがって、一部の魔術師など「魔神だ」、「危険だ」と騒ぎ立てる者が出始めたが、それらの声をサーリフは「気にするな」の一言で抑えていた。
◆◆
窓から差し込む朝日に目を細めながら、アエリノールは寝台から体を起こす。
数日前までは天蓋付きの寝台に横になっていたが、今では簡素なつくりで敷物は藁だった。もう一つある寝台には青髪の少女が未だ横になっており、床には藁をしいただけで眠っている、赤髪の女騎士セシリアがいる。
アエリノールは、少しだけはねている自身の金髪を軽く指で撫で付けて、寝台から降りた。
状況が大きく変わって一番不安に感じている者は、自分でもセシリアでもない。多分きっと竜達だ。
アエリノールは上位妖精の女。
そして、数日前までは、マディーナを敵とする勢力の幹部でもあった。けれど今は色々あって、セシリアと共に、この邸の主、シャムシールの奴隷である。
自身が奴隷になるついでという訳でもないが、彼女は飼っていた竜を三頭、ここに連れてきていたのだ。
他人が聞いたら、なんという転落人生だ、などと驚かれるかもしれないが、アエリノール本人はあまり気にしていない。
元々、森で暮らしていたのだ。木や枝や葉があれば、何処でも眠れるし、生きて行ける。ただ、アエリノールにとって辛い事があるとすれば、誰からも必要とされない場所で生きることだった。けれど、シャムシールは自分を必要としてくれたのだ。そう思えば、以前よりもアエリノールは、幸せですらあった。
「さて」
衣服の着替えも済ませ、庭先に出たアエリノールは、朝から陰気な表情の女魔術師を、井戸の前で見つけた。
陰気な女魔術師は、頭から幾度も水を被り、執拗に頭を洗っているようである。
そんなに洗いたいなら湯浴みでもすれば良いのに、とアエリノールは思った。だが、ふと女魔術師の性格を思い出し、どうせ湯を沸かすのが面倒なのだろうな、と納得した。
実際にアエリノールの見立ては正しかった。ついでに付け加えるならば、女魔術師__ネフェルカーラは、服を脱ぐのさえ面倒くさかったのである。
けれど、水を使いたい金髪の上位妖精としては、女魔術師にどいてもらわなければならない。だから、意を決して声をかけた。
「ネフェルカーラ、もう少し水がはねないようにしてくれない? わたし、顔を洗いたいんだけど!」
女魔術師は緑色の瞳をアエリノールの碧眼に向けて、じっとりと見つめる。濡れそぼった黒髪からうっすらと輝く瞳が覗く様は、幽鬼の様にも見えて、アエリノールは僅かに後ずさる。長い耳も”ぴくぴく”と動いてしまったのは、ご愛嬌だろう。
「なんなのだ、偉そうに。お前は我が家の奴隷だろうが?」
我が家ってなんなんだ? 素直にアエリノールはそう思った。
この家はアエリノールの主人であるシャムシールの物であって、目の前の女の物では、断じてない。そもそも、なんだってネフェルカーラがここにいるのだろう? 奴隷でもないくせに。
そして湧き上がる憤怒は、当然明後日の方向を向いているアエリノール。
そう、彼女の頭脳は、残念なのである。
「いや、ここ、シャムシールの家だし! アンタの家じゃないし! 我が家ってなんなの? 大体、わたしシャムシールのものだし!」
「む、む? アエリノール。シャムシールのもの……ふむ。自分が奴隷だと理解しているのだな? 物分りが良いのは賞賛に値するが、ならばもう一つ理解しろ。
おれはシャムシールの上官だ。だから、シャムシールはおれのものだ。ゆえに、この家もおれのものである」
褒めつつも貶す。挙句の果てに、なんという横暴なネフェルカーラの三段論法であろうか。
現代社会ならば、ジャイアニズム宣言とでもいうべき事を、緑眼の女魔術師は碧眼の上位妖精に言っている。
言うなれば、明後日の方向から飛んで来た怒りに対し、一昨日きやがれ! と言うようなものだ。時空が断裂している。
だが、さらに問題なのは、この言葉に答えるアエリノールであった。彼女は時空を超えたのだ。
「ん……なるほど。ネフェルカーラがここにいる理由はわかった!」
アエリノールは、なんと、わかっちゃったのである。
その後二人は交互に水浴びをして、互いに服を乾かすと、爽やかに別れたのだった。
当然の事ながら、魔術師であるネフェルカーラも、上位妖精であるアエリノールも、風、炎、どちらの魔法にも精通している。だから服を乾かすにも、髪を乾かすにも時間は要さない。現代で考えれば、互いに巨大なドライヤーを出した、とでも言える乾燥方法であった。
それは風と炎の精霊を同時に運用するのだから、練度の低い魔術師などから見れば高等技術だが、所謂は能力の無駄遣いなのである。
「ウィンドストーム! ガイヤール! アーノルド!」
井戸端で思わぬ時間を食ったアエリノールではあったが、石造りの竜舎に辿り着くと、笑顔で竜の名を、それぞれ呼んだ。
竜は、巨象程の大きさであるが、知能は高い。どちらかといえば、アエリノールの方が低い位かもしれないが、その事に関して竜は、常に沈黙を守っている。
それでも、竜達はアエリノールが好きだった。
神々もかくやと言える程の輝きを放つ、黄金の髪。蒼穹さえも色あせる、鮮やかな碧眼。時折何かを探すように、くるくると動く長い耳はどこまでも愛らしく、均整の取れた身体は無駄一つ無い。そして端整な顔立ちは誰よりも美しい。つまり竜達にとってアエリノールは、外見上、完璧な上位妖精の女性なのだ。
そんな彼女が主人と思えば、それを誇りとするのは竜ならば当然であろう。
ああ、これで頭さえ良ければ……
三頭の竜は、常にそれだけが心に秘めた悩み事であった。
暮らす場所が変わることなど、どうでもよいのだ。
アエリノールは三頭が元気であることを確認すると、安堵の溜息をついて竜舎を後にする。本当は落ち込んでいる竜を慰めたかったのだが、期待外れで、少々がっかりしていた事は内緒だ。
アエリノールは、基本的に誰かに必要とされていたいのだった。
そろそろ朝食の時間になる。
別にそれほど空腹ではないアエリノールだが、やはり朝にみんなと顔を合わせるのは楽しいと思っていた。
もっとも、オロンテスにいた頃と比べると、随分と顔ぶれが変わってしまったのが、多少残念だった。
食卓についたのは、アエリノールが一番最後であった。
アエリノールは、水浴びをした後すぐに来れば良かったのかもしれない、と思って謝罪したが、実はそれ程待たせていた訳では無いらしい。
「ハールーンがちょっと失敗しちゃったらしくて、今、料理が出来たばっかりなんだよ」
シャムシールが眠そうに目を擦りながら、状況を説明した。
その姿を、何となく可愛いと思ったアエリノールである。
そういえば彼女はマディーナに来るにあたって、当初奴隷になるつもりではなく、シャムシールのお嫁さんになるつもりであった。
上位妖精が人間の嫁になるなど、気の弱い神様がいたとしたら、たまげて天界から落ちかねない程の衝撃を受けるであろう。そんな事を、いとも簡単に決意してしまうアエリノールなのである。
もちろん、今はシャムシールに「お嫁さんじゃなくて奴隷だからね?」と諭されて「わかった」と素直に返事をするアエリノールだった。
とはいえ、この件に関しては、一部で魔神と恐れられているシャムシールも馬鹿である。
なにしろ、上位妖精を妻にする機会など、普通の人間には、あろう筈もないのだ。それを簡単に棒にふってしまうのだから、彼もアエリノールとは互角の頭脳だといえよう。
食事が終わると、シャムシールは部下や奴隷と共に出かけた。
シャムシールは現在、近衛隊副長という地位にある。
隊長は誰かといえば、黒髪緑眼の女魔術師ネフェルカーラなのだが、シャムシールが副長になってからというもの、なんとなく仕事を休みがちになっていた。
どうやら、昼間から自室に篭って怪しげな付与魔術を行っているらしい。
ちょうどその時、アエリノールも、「強すぎるから」という理由で近衛隊の訓練にはあまり参加できず、暇を持て余していた。だからなのか、普段はあまり仲が良いとは言えないネフェルカーラの部屋に、アエリノールは現われた。
「なんだ? おれは今忙しい。遊んでやれんぞ」
ぶっきらぼうなネフェルカーラは、アエリノールに背を向けて、黒い鎧を抱え込んでいる。
「それ、なに?」
「シャムシールの鎧だ」
ふと、肩越しに振り向いた女魔術師は、赤い唇を三日月形して笑っている。
まさに悪魔だ、とアエリノールは思ったが、見る人によっては、ネフェルカーラの笑みは誰よりも妖艶で美しい。
「へえ。何の防御魔法を付与してるの?」
遊んでやれん、という言葉は無視して鎧を覗き込むアエリノール。
床に座り込んで、鎧や篭手や脛あてを並べて唸るネフェルカーラは、何かを悩んでいる様にも見えた。
「うむ。全属性の防御を付けたいのだが……」
「ああ、聖が無理なんでしょ?」
「うむ……」
顎に指を当てて考え込むネフェルカーラは、途方に暮れているようにも見えた。
「手伝おうか?」
「む? 良いのか?」
「だって、シャムシールの鎧でしょ? いいよ!」
「すまんな」
そして女魔術師と上位妖精は、互いに肩を並べて座り込み、一心不乱に漆黒の鎧に魔力を込めて行く。
これが後の世に「絶対防御の鎧」とか「黒甲帝の神鎧」などと呼ばれる、世界最強の防具になるのであった。