第9話 『不思議な少年』(後編)
日野の、一緒に街を滅ぼさないかという突拍子もない提案。しかしそれより驚いたのは、彼が見せた手のひらだった。そこには僕と同じようなあざが浮かんでいたのだ。彼はそれを『字』と呼んだ。
「これはね、純粋な者だけが持てる魔法の力なのさ……」
戸惑う僕に、日野は説明しだす。
「元々すべての言葉には、霊的な魔力が込められている。そしてこの『字』には、その言霊を引き出し、操る力があるのさ……」と。
彼のかたわらに立っていたゆかりさんが、おもむろに手のひらを僕に向ける。そこにはやはり、僕や日野と同じように、黒いあざが以前よりはっきりと描かれていた。彼女のその文字は『電』と読めた。
「例えば私の持つ『字』は『電』のつくものを操ることができるの……。『電気』、『電話』、そして『電車』……」
「ま、まさか、この電車も……!?」
おののいて尋ねる僕に、かわりに日野が答える。
「そうさ、そして念を込めればより力を持った大きな『字』がプリントできるワケだ」
そう言うと、彼は座っていた目の前の床に手のひらをかざす。手のひらから奇妙な煙と鈍い光が噴き出し、ちょうど手をかざした床の位置に、黒い『火』という文字がプリントされる。
その深い闇のような文字からは、炎が噴き出し始める。その火は徐々に大きくなり、電車の天井まで届くほどになっていった。
日野はゆらめく炎に照らされる中、にやりと笑って言った。
「この力を使えば、人を自然発火させることや、電車を正面衝突させることも不可能ではない……」
ばかな。彼はその力を使って、街を滅ぼそうというのだろうか……? 確かに、誰もが憎い人間の一人や二人はいるものだろう。時には殺してしまいたいと思うほどに。いや、いっそこの世の中を嫌い、消してしまいたいと思ってしまうことだってあるだろう。少なくとも僕はそうだった。自分が潔癖な人間であるとは言えないのは自覚しているつもりだった。しかし……。
「だ、だからって、何の罪もない人々を――」
怖気だつ僕に対して、彼は恫喝するように吐き出す。
「この世にいじめを見過ごしたことのない人間がいるか!?」
彼のその瞳は、鋭く、冷たく、どす黒かった。
「清廉潔白な振りをして、平気で弱い人間を傷つける。君だって、その髪のおかげでつらい想いをしてきたんじゃないのか!?」
彼は僕のすべてを見透かしているように思えた。彼の言葉は間違っている。法も、倫理観も、すべてをないがしろにした価値観だ。だが、その言葉は悲しいことに、狂おしいくらいに、僕の心を激しくゆさぶった。いや、それどころかその心の奥底にある、柔らかいものを優しく絞めつけてしまっていた。
僕は彼を間違っているとわかりつつ、彼に賛同してしまいたくてしょうがなかったのだ。
この街を一緒に滅ぼさないかという恐ろしい誘惑。それはあまりに甘美だった。
ゆかりさんは誰にともなく呟く。
「人間なんてみんな消えちゃえばいいのよ……。忍君もそう思うでしょ?」
彼女の表情は学生帽の影になっていて読み取れなかった。
「日野君だって、こう見えても高跳び記録保持者だったんだけど、本当は――」
彼女が日野について何かを説明しようとした時だった。
「言うなっ!」
突然日野は激高し、手にした傘でゆかりさんの顔を殴りつける。
「そのことには触れるなって、いつも言ってるだろうが! 僕は、僕は普通の人間なんだ!」
彼は怒号とともに、執拗に傘で彼女を打ちのめす。くずおれる彼女に対して容赦することなく、叩きつける。
「やめろ!」
僕はゆかりさんをかばうように、間に割って入った。日野は肩で息をしながら、いっさい立ち上がることもなく座っていたままだった。
いったいなにが彼をここまで怒らせたのだろうか? 皆目見当はつかなかったが、しかし彼の心の奥底にも、僕と同じような空虚な穴が開いていて、彼もまたもがいているのかもしれない。
「君にも考える時間が必要だろう……。君の瞳の奥には、僕と同じものがある。僕たちは友達になれるはずだ。明日午後6時、君の学校の屋上で待っているよ」
日野のその言葉を最後に、僕たちは別れた。僕とゆかりさんを残して、電車は走り去っていく――




