第6話 白髪を染めて
ゆかりさんが屋上から飛び降りてから幾日かが過ぎていた。にもかかわらず、コンクリートに覆われたこの教室は、いつもと変わらない日常しか過ぎていかなかった。しいて言うなら、ゆかりさんについての心無い噂話が、教室で花を咲かせていたくらいだ。
「ねぇねぇ知ってる?」
「ゆかり自殺未遂だったんだって。おまけに妊娠してたらしいよ」
「え、まじ?馬鹿じゃない?堕ろせばいいじゃん」
「ゆかりが付き合ってたのって、あのさえない国語教師だって」
「あんなダサい中年親父のどこがよかったんだろうね」
授業中だというのに、教室には談笑が満ちていた。ゆかりさんが必死に作っていたいびつな微笑みと違い、そこには平和で自然な笑顔があふれていた。
こいつら……なんで笑ってられるんだよ……。
僕は唾棄すべき嫌悪感に苛まれながらも、何も言い出すこともできずにただ黙っていた。ゆかりさんと出会う前の方がましにすら思えるほどに、辛い孤独感に襲われる。
いつの間にかペンを持つ手に折れそうなほど力が入ってしまっていた。その手が痛み、以前起こったのと同じように煙のようなものを上げると、瞬く間に握っていたペンを消し去る。
まただ。あの日以来、僕の手には奇妙なあざができ、僕のまわりからは大切なものが次々と消えていく――
教室の噂話は絶えることなく続いている。
「ゆかりってさー、にやついてて気持ち悪かったし、いなくなって正解じゃん」
自覚されない悪意ほど、人の心を蝕むものはない。
僕は心の中が張り裂けそうになって、無意識に拳で机を叩いていた。
その音が教室に響いて、一瞬クラスメートたちが僕を注視する。
いつも冷たい目をした数学教師が板書の手を止め、苛立たしそうに振り向いて尋ねる。
「……なんだ、黒木?」
「あ、いえ……あの、頭痛が……」
教師は一瞥をくれただけで、あとは興味がなさそうに再び教科書に目を向けると露骨な嫌味を投げかけてくる。
「またか……お前そんなことで大学行けると思ってんのか!? とっとと保健室にでも行ってろ」
僕はひとこと謝りを入れると教室を出て保健室に向かおうとする。付き添いはいない。扉から出て行く僕の背には、相変わらず教室の生徒たちの談笑が聞こえてくる。
「でさぁうそぉ」
「黒木ってゆかりとできてたの?まさかぁ?」
ゴム底の上履きだというのに、リノリウムの床に足音がよく響く気がする。
廊下のロッカーの上には片付けられていないバケツが置かれていた。そのバケツをひしゃげそうなほど強くつかむと、また煙を上げてバケツはしゅるりと消えていく。
「みんな、消えちまえばいいのに……」
そんな独り言は日の当たらない廊下に吸い込まれるように消えていく。あとには足音だけが響いていた。
僕は遺伝で髪の色素がなく、生まれながらにして白髪だった――
だから子供時代には色々あった。教室でも帰り道でも。
「やめろよ。やめてくれよ」
「お前白髪のくせにふざけんじゃねぇ」
ある時は帰り道、僕はランドセルを山ほど持っていた。まわりは手ぶらの連中だけだった。
「お前友達いないんだろ。俺たちが友達になってやるよ」
それを目撃した幼馴染だったおかっぱの女の子は、そそくさと目をそらした。その姿を僕は、すがるような目でじっと見つめていた。
ある時は教室の女子の会話を偶然聞いてしまった。
「ねぇ黒木ってあんたのこと好きみたいよ」
「えー。あいつみたいなキケッてて気持ち悪い奴イヤよ」
僕は強く想った。
「みんな消えちまえばいいんだ」と。
僕はあの日以来、髪を染めて普通の人間になったんだ――
だけれど、きっとゆかりさんも同じ想いを持っていたんだ。なのになぜ、僕は彼女を助けてあげられなかったんだろう――