第4話 『友情』
道すがら些細な会話を交わすことさえできず、僕は押し黙ったままゆかりさんと並んで歩いた。
話したいことは色々あったはずなのに、いざ彼女を前にすると、何を話してよいのか会話のきっかけさえ見つけられない。自分の意気地なさに辟易していると、彼女は唐突に尋ねてきた。
「忍くんは、人と話すの嫌い? 教室でもいつもひとりで本を読んでいるし。それとも私のことが好きじゃないのかな……」
随分と直接的に聞いてくるもんだ。普通女子は明確な否定系の言葉を使うのは避けるのではないだろうか……。ゆかりさんはいつもクラスの中心に位置していたから、もう少し距離感を計るのが上手い方なのかと思っていたのだけれど。
ただ大概に僕もその手の質問をいなすすべを持ち合わせてはいなかった。
僕は情けない気持ちになりながらも、正直に答える。
「僕は、友達がいないだけだよ」
「そうなんだ。でも、私も友達いないから……」
僕は驚く。彼女はいつも教室でみんなと楽しそうに笑っていたから、友達の多い人なのだと思っていたのだ。美しいものは強いのだと勘違いしていた。いや、そう思って自分のすっぱい葡萄に溜飲を下げていただけかもしれない。
「よかったら忍くん、友達にならない?」
「え? でも僕みたいなやつと友達になったら、迷惑じゃないかな……」
ゆかりさんの言葉は甘美で、僕のぽっかり空いた心に染みわたりそうになる。だけれど僕はその侵入を必死に拒んだ。そんなものを信じてしまえば、より孤独がつらくなる。傷つくくらいなら始めから受け入れないことだ。
でも妄想はとどめることができない。僕は隣で歩くゆかりさんと会話もせずに、心の中で友達になった場合の彼女との会話を繰り返していた。
「不思議な少年」は面白かった?それならマークトゥエインの「人間とは何か」も読んでみるといいと思うよ。マークトゥエインはトムソーヤの印象が強い作家だけれど、後期は悲観主事を爆発させた作品を書いてるんだ――
虚像の人物と頭の中だけで繰り返される言葉のシミュレーションは、惨めかもしれないが気楽だったのだ。コミュニケーション能力がいくら低かろうと、妄想の会話では傷つくことはないのだから。
それは傲慢で、ひとりよがりな世界だけれど。
ところが唐突にゆかりさんが話しかけてきたので、僕は現実に引き戻される。
「それと、さっきはごめんなさい。怪我はなかった? あの激しい静電気みたいなの、最近たまに起こるの。多分私のせいなのだけれど、自分ではどうしようもなくて」
「どうしてゆかりさんのせいだと思うの?」
僕の質問に答えようと、彼女は恐る恐る手のひらを出す。
「わからない。けれど最近手のひらに黒いあざみたいなのができて。忍くんには見える? 他の人にはよく見えないらしくて……」
僕は彼女の手に触れないようにして、手のひらを覗き込んだ。
そこには確かに黒い染みのようなものがまだらに点在していた。何か文字のようにも見える。指側にあるのは『雨』だろうか、あめかんむりの『雪』とか『雷』みたいに見えなくもない。
「確かにあざみたいなのがあるね。大丈夫?」
ゆかりさんは僕の言葉を聞くと、いつもの笑顔と違いぎこちなく笑う。それは僕に見せるためのものではなかったように思えた。
彼女のブレザーの袖からは1センチほど白いシャツの袖が見えていて、その袖先から包帯が透けて見えた。
例の静電気で火傷でもしたのだろうか。少し心配になったが、彼女の方も見られたことに気づいたのか、そそくさと手のひらを隠すように下げる。
僕はなにか見落としているようなもやもやとした違和感を覚えたが、詮索するのはやめておいた。
なぜだかお互いにぎこちないやり取りを繰り返してしまっている。いつもの想像の中では流暢に会話を繰り広げられるのに、現実は触れ合えば傷つけ合いそうなことばかりだ。
そうこうしているうちに図書館に着いていた。僕は少しばかり勇気を出して彼女に伝える。
「本を汚してしまったのを謝りにいくのなら一緒に行くよ。ゆかりさんひとりのせいじゃないと思うから……」
「優しいのね。でも平気だと思うから、ひとりでいく」
「そう……」
やっぱり迷惑だったのだろうか……そう落胆してしまう。ところが別れ際に彼女はバッグの中から、そそくさと一冊の本を取り出して渡してきた。
「忍くん、教室であのファンタジー小説読んでたでしょ。もしかしたらこの本も気に入るんじゃないかと思って。よかったら読んでみて」
そう渡された本の表紙をちらっと見やる。「永遠のチャンピオン」――数十年も前の絶版本だったが、本はとても状態がよく、カビもなく日焼けもしていなかった。
「オチにちょっと驚くと思うけど、お勧めできるから」
そうゆかりさんは嬉しそうに話してくれる。僕はそれを受け取ると礼を述べて去った。
実は僕もこの本を持っていて既にオチは知っていたのだけれども、それを言う気にはなれなかったのだ。
いつものように本がつまった学生鞄は、だけれどいつもよりほんの少しだけ軽い気がした。
ゆかりさんから借りたその小説――『永遠のチャンピオン』。そのラストは人間に召喚された英雄が、人間の汚さに絶望して人間を滅亡させてしまうというものだ。
今にして思えば、それは僕とゆかりさんの運命を示唆するようなものだったのかもしれない――