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第2話 『破滅の種子』

 友達なんていらないと思っていた。


 誰とも触れあわなければ傷つくこともない。孤独な教室の中でも、本の世界に没頭していれば幸せでいられると、そう思っていた。ゆかりさんと出会うまでは。

 僕はいつの間にか彼女の笑顔を目で追うようになっていて……けれどまだそのときは何も知らなかったんだ。まさか彼女が自殺未遂をするなんて――



 僕の名は黒木忍。高校一年になって1ヶ月、ようやく詰襟の制服が馴染むくらいが過ぎていた。日差しの明るい窓側とは逆の、廊下側の前から三番目が僕の席だった。


 昼休みになると教室のみんなはグループごとに席を合わせ、さも楽しそうに昨日のテレビの話題なんかを喋りながら食事をする。

 それを横目に僕は一人で毎日同じパンを食べ、残りの時間は本を読むのが日課になっていた。


 教室のくだらない喧騒を無視するように、僕は本に没頭すべく活字を追う。

 けれど眼鏡のレンズ越しの文字はどこかかすんでいるような気がした。人は決して関わることのない他人の中でこそ、最も孤独を感じるのかもしれない。


 その日読んでいたのは『信ぜざる者コブナント』という古典ファンタジー小説だ。

 病気を負い、そのせいで街の住民から差別される孤独な主人公が、異世界に召還され英雄として世界を救う話だ。ただ、彼が現実世界に戻ってきても失ったものはひとつも戻らない、差別も変わらない、孤独も変わらない。

 でも彼だけは変わった。彼は以前と違い力強く生きていくことを決意する……そんな物語だった。


 かつては書評家から『指輪物語』を超えたと絶賛されたこの本も、今では絶版となっていた。

 ずっと読んでみたいと探し続けていたのだけれど、購入どころか貸し出してくれるところも見当たらない。ところが偶然にも、この高校の図書室で何十年も埃をかぶって眠っていたのを見つけたのだ。


 運命の巡り合わせとはいつも突然やってくるのかもしれない。その出会いに歓喜した僕は震える手でその本を棚から取り出すと、六巻丸ごと貸し出したのだ。その日から寝食を忘れ読みふけり、昨日などは半分徹夜してしまったほどである。


 やはり知られざる傑作だった。この主人公の孤独も、誰からも見つけられずにいたこの本自体の孤独も、まるで自分のことのように投影していたのかもしれない。

 そんな風に読みふけっていたときに不意に声をかけられた。


「その本、面白いよね」と。


 そう語りかけてきたのは、ゆかりさんだった。

 「紫」と書いて「ゆかり」。(からす)の濡れ羽色をした長い髪。この学校の制服、紺のハイソックスに紺のブレザー姿がよく似合う華奢な少女だ。


 すらりと伸びた手足、凛然としたたたずまい――それらはどこか大人びていて近寄りがたい雰囲気を放つ。しかしそれでも、いつもクラスの中心にいる彼女は、自分とは全く係わり合いが無さそうな、違う世界の人間だと、そう思っていた。


 だからそんなゆかりさんが自分に声をかけてきたことに、ましてや本のことについて聞いてきたことに、正直驚きを隠せなかった。

 僕は唖然として、口を開いたまま硬直していた。


 なぜこの人がこの本を知っているのか、ましてや読んだことがあるのか。この学校にそんなマイノリティな趣味の人がいるなんて想像したことすらなかったし。


「黒木……忍……くん、だよね。本、好きなの?」


 運命を感じた、といったら大げさすぎるだろうか。孤独な人間が同じ運命を背負った者を見つけた……と、そこまでではないにしても、僕は彼女のたったその一言だけで救われた気がした。

 僕はしどろもどろになりながら、ゆかりさんに答える。


「あ、うん……好き、と言えるかどうかわからないけど。たぶん多少は読んでるかも……。人並みには」


 我ながらまどろっこしい、煮え切らない回答だ。人とのコミュニケーションを取るのが疎いから、無意識に距離を取ってしまう。

 けれどそんな挙動不審な僕の態度も気にせずに、彼女は笑顔を返してくれた。


 ただ、彼女の笑顔は綺麗過ぎた。

 可愛いとか愛嬌があるとか表現するのもためらわれるような、綺麗な笑顔だった。でも彼女の笑顔を美しいと感じることにさえ、僕は罪悪感を覚えた。

 そしてもしこのとき僕が、もっと何かを理解しようとしていたなら、あまりに綺麗な笑顔過ぎるといぶかしがることが出来ただろうに。


 僕がそんな想いを暴走させていると、一瞬で時間は去ってしまう。ゆかりさんは微笑みながらきびすを返すと、またクラスの真ん中に戻っていく。

 彼女は誰に向ける笑顔も変わらずに綺麗だった。僕との会話は続けられなかったし、彼女には本のことを誉める以外に他意はなかったのかもしれない。


 運命だと感じた時間は過ぎ去り、あとはその運命をつなぎとめるための理屈をひねり出す時間と、運命なんて信じるなという自意識を抑制する時間に変わっていた。


 無意味な証明はひとりで行うには滑稽だったかもしれないが、コンクリートの囲いの中の喧騒から逃れるには、充分な暇つぶしになった。

 こういうとき、眼鏡のフレームがゆがんでいる気がして、左手の親指と薬指でフロント部分をはさんで神経質に何度もかけ直してしまう。


 そうこうしているうちに午後の授業の鐘が鳴る。あとはいつも通りの日常に戻る。ただそれだけだ――

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