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第10話 怯えながらしがみついているもの

 日野と別れた僕とゆかりさんは、行き場もなく歩き、いつの間にか駅からほど近い公園に来ていた。


 落ちかけた日が当たりをうすくれないに染めていく。それとともに公園のブランコや水銀灯がその影を長く伸ばす。人影のない公園はどこか寂し気で、僕らは言葉を交わすこともできずにベンチにたたずんでいた。

 少し肌寒い風がゆかりさんの髪をゆらす。その長い黒髪はとても綺麗で、白髪を染めて普通の振りをしている自分にとってはまばゆかった。

 彼女は公園に植えられたすみれを見ながらつぶやく。


「私、すみれって好き……。端っこで人に見向きもされないでひっそり咲いているところが、私に似てるかなって……」


 紫と書いてゆかりという名の彼女には、紫色の花が似合う気がした。彼女にはひっそりとでもいいから幸せになって欲しかった。笑顔でいて欲しかった。

 だから僕は黙っていることが我慢できず、彼女に言った。


「あ、あのさ……彼はゆかりさんのこと愛してないと思うよ……」と。


 彼女は立ち上がると、僕に背を向けて、


「私がなぜ帽子をかぶってるかわかる?」


 そう言って、かぶっていた学生帽を少し傾ける。


「私、あたまはげちゃったの」


 僕は目をみはる。僕の目に映る彼女の姿は、小さく今にも消えてしまいそうに思えた。


「飛びおりて以来、どんどん髪の毛が抜けてって……。お医者さんに行ったら、心の病気だって……。頭に何本も注射を打たれたわ。だけど誰も愛してくれなかったのに、彼だけは私のこと優しく愛してくれる」


 彼女の瞳からは大粒の涙が流れていた。彼女は声を張り上げて訴えた。



「だから私、彼のためなら人殺しだってできるわ! だってもう彼なしじゃ生きられないもの!」


 そんなの愛じゃないよ……怯えながらしがみついてるものなんて、本当の愛じゃないよ! 僕がそう叫ぼうとしたとき、彼女は言った――


「私たち、結婚するつもりなの。子供はふたり生むつもり。もう名前も決めてあるのよ……。でもね、忍君が望むなら、下の子には忍ってつけてもいいよ」


 彼女はうふふと嬉しそうに笑顔で語る。

 僕はあざのあるこぶしを強く握りしめて、なんとか言葉をしぼり出した。


「幸せなんだ……」


「うん、しあわせ」


 彼女の笑顔をなんて形容すればよいのだろう。それは作り物なのか、綺麗なのか、自然なのか、僕には判断できなかった。僕はそれ以上、何も言うことができなかったのだ。


 ゆかりさんは別れ際、こう言っていた。


「日野君がなぜ階段の段数を覚えているのか、そして常に傘を持っているのか。その理由を知ればきっと君もこの街を滅ぼしたいと思うはずよ。私、忍君のこと好きだから、明日待ってるから」


 ひとり残された僕は、『消』と描かれた自分のこぶしで、水銀灯を殴りつけていた。消すことしかできない僕に、いったいどうすることができたのだろうか。誰かに教えて欲しかった。



 次の日、僕は学校も行かずに、駅前のベンチで人の流れをただ眺めながら考えていた。

 いっそこの街を滅ぼせば彼女と友達でいられるかもしれない、と。

 僕には友達もいない、彼女以外に親しい人もいない。壊れた価値観を持っていたとしても、それを相談できる人さえいないのだ。いったいどうすればいいのか、正してくれる人さえいないのだ。

 そんな孤独な人間が、間違った行動を犯さなかったとしても賞賛されることもない。ただゆかりさんとのつたない関係さえ失ってしまうだけなのだ。だとしたら、僕がこの街を滅ぼさないことに、いったい何の意味があるのだろうか。


 そんな恐ろしい考えが浮かんでは消えていく。そろそろ彼らの言っていた待ち合わせの約束の時間になろうとしていた。

 そんなときに、駅のロータリーから人の喧騒が聞こえてくる。その声は徐々に大きくなっていき、やがて悲鳴にも似た声に変っていた。


「火事だー!」


 まさか……!?

 人々が逃げていくのと逆に、僕は駅の階段を駆け上がり、ロータリーの方を眺める。そこから見えるあたり一面の建物のすべてから、煙と火が噴出している。その建物のひとつに、巨大な文字が描かれているのがみえた。それは日野の持っていた『火の(あざな)』だった。

 彼はこの街を焼きつくすつもりなのだ。僕は逃げまどう人々の波をかき分け、学校へ向かって駆け出していた――

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