3
呆然とするノアのおいて、すべてが崩れ始めました。
家も、アルも、外にある一面の雪も。真っ白な空や、色のない太陽でさえ、ひびが入って、ぼやけて、ゆがんで、その姿をだんだんと消していきます。
「そんな……」
ノアは、深い深い後悔に苛まれました。
自分のせいですべてが壊れてしまったんだ。そう思いました。
自分の汚れた体が、真っ白な雪を汚してしまった。だから、何もかも壊れてしまったんだと。
――違うよ。
そんなノアに懐かしい声が聞こえてきました。
――僕たちは、あるべき姿に戻っただけなんだ。
それはアルの声でした。
――君は別れを告げなければならない。憧憬だけで作られた世界は、こんなにも脆いのだということを。
「そんな、嫌です」
崩れていく真っ白な世界で、ノアは首を振りました。
「私は、ずっとこの世界にいたかった。ほら、まだ雪が輝いている。私は、この輝きが好きなんです。色のない、純粋な輝きが」
ノアは、崩れていく世界から降る白い雪を見上げました。それは、消えゆくものの最後の欠片でした。
――ええ、とっても綺麗です。
――でもね、雪が輝いているのは、太陽の光を跳ね返しているからなんです。太陽のぬくもりを、この雪は全部拒んでいるのです。
「そんな、私はぬくもりなんていりません。冷たくて透明なほうがずっと綺麗なら、私はそっちを選びます」
――確かに、この景色は綺麗ですね。でも、綺麗なのは死んでいるからです。生命が無いから、ここはずっと綺麗なんです。
――だから、鏡のような虚無の美しさには、何の意味もないのです。いのちある者は、そんなところに浸ってはならないのです。
――どうか、わかってください。いのちを持つものは、決して綺麗なんかじゃないんです。
真っ白な世界の残滓はノアに、諭すように最後の言葉を告げました。
――それでもあなたは、生きていかなければならない。
……そして世界は、再び暗闇に包まれました。
***
「気が済んだかい?」
魔女は、棺の中に語りかけました。
棺の中には、綺麗なお姫様が、目を閉じて横たわっていました。綺麗なドレスを着て棺の中に横たわるその姿は、まるで死んでいるようにも見えますが、彼女の胸はかすかに上下しています。
「それとも、もう一度絶望したかい? ……まあどっちでもいいさ、私には関係のないことだ」
魔女は、静かに呟きました。
棺の中のお姫様は、まだ幼い少女のままでした。
やがて、少女は目を開きました。少女は自分の身体を不思議そうに見下ろし、それから魔女の方を見てハッとした顔になりました。
「あれは……夢?」
「確かにさっきの出来事は、お前の頭の中で起こったことだ」
魔女は言いました。
「しかし、それが現実でないと言えるのかね? 夢と現実に敷居を設けることに、何の意味があるのかね?」
少女は長く、深いため息を吐きました。
「だったらあれは、全部私自身だったのね」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える」
魔女は言いました。
「お前が捉える世界は、お前の目で見て、お前の耳で聞き、お前自身の考えによって形を与えられたものだ。ゆえに、それはお前自身と言える」
「だが、その世界は決してお前の内側から生じたものではない。よって、お前自身でないとも言える」
「……じゃあ、私って、何?」
少女は、魔女に訊きました。
「私は、色々な人と出会って、色々な人から色々なことを教わり、その度に心のあり方を変えていった。人はそれを成長と言うかもしれないけれど、私は、それを繰り返すごとに、わからなくなっていった。正義も、善悪も、世界も、自分自身の心さえも」
その言葉を聞いて、魔女は笑いました。
「真っ黒な羽はその象徴だよ。どんなに綺麗な色も、重ねれば濁ってしまう」
「……きれいはきたない。きたないはきれい」
少女は歌うように口ずさみました。
「だけど私の飛んだ空は、濁ってなんていなかった」
「そうして綺麗の在処を『無』に求めたか、姫君よ。だが、そこには何もないぞ。虚無はただ虚無であり、綺麗も汚いもない。それは……最悪だとは思わんか」
「そうですね。最悪です。最高だけど……どうしようもなく最悪です」
少女は身を起こし、棺からゆっくりと身体を降ろしました。
「ありがとう、魔法使いさん。あなたの見せてくれた夢で、私は何かがわかったのかもしれません」
「どうするつもりだ、姫君よ」
魔女は、少女へ問いかけました。
「わからないけど、ますは歩こうと思います」
そうして少女は、暗い部屋の中から立ち去りました。
「……いつか、虹色の夢を見るために」




