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それは、雪の降る寒い日の夕方のことでした。
少年は、雪の上で力なく倒れた一羽のカラスを見つけました。
カラスの身体は墨のように真っ黒で、一面に広がる白い雪原の中で、そこだけがぽっかりと空いた穴のようでした。
「ああ、なんということだ」
少年はカラスの体をそっと両手で掴み、持ち上げました。
カラスは目を閉じていて、まるで死んでいるようでした。
けれども少年には、確かに彼女の心臓の音が聞こえます。
「こんなところに迷い込んでしまうなんて。僕が、何とかしてあげないと」
少年は、カラスの体をそっと胸に抱いて、持ち帰りました。
少年に抱かれても、カラスは目を閉じたままでした。
***
少年は雪の道を歩いて戻り、家の中の鳥籠にそっとカラスを入れました。
「大丈夫。もう君は、凍えていない」
少年は、鳥籠に向かって優しく語りかけました。
「あとは君が眼を開ければいい。君に、その勇気があれば」
だけど、静かに横たわったカラスは、いっこうに眼を開ける気配がありません。
少年が窓の外を見ると、だんだんと吹雪が強くなってきていました。
吹きつける風の冷たさは窓の隙間を通り抜け、部屋を少しずつ冷やしていきます。
少年の部屋に、部屋を暖める暖炉はありませんでした。
**
「やあ、気がついた?」
カラスが眼を覚ましたのは、その日の夕方のことでした。
少年は、うっすらと眼を開けたカラスに向かって優しく語りかけました。
カラスは体を起こし、周りをキョロキョロと見回し、そして、静かに涙を流しました。
「ああ、どうしたんだい」
少年は言いました。
「何があったか話してごらん。僕にはなにもできないけど、話くらいは聞いてあげることができるから」
カラスは首を振って涙を払い、そして話し始めました。
「私は魔女に会って、姿を変えられてしまったのです」
カラスの声はガアガアとやかましく、掠れて聞き取りにくい声でした。
ですがその言葉遣いは、とても上品なものでした。
「どうして、変えられてしまったんだい?」
少年はカラスに優しくたずねました。
「魔女が、私に言ったのです。ドレスを着飾っただけで心まで綺麗になるとは思わぬことだ、と。あなたの心は、醜い姿のままだ、と」
カラスはうつむき、言葉を詰まらせました。ですが、懸命に話そうと頑張ります。
「だから、姿を変えられてしまったのです。私に、罰が当たったのです」
癇癪を起こした子供の泣き声みたいなカラスの声を、しかし少年は、はっきりと聞き取りました。
少年には、カラスの心がわかりました。
「私は、耐えられないのです」
そう言うと、カラスはボロボロと涙をこぼしました。
「鳥に姿を変えられるのなら、せめて雪のように真っ白で美しい姿でありたかった。こんな醜い、下品な姿をあなたに晒すことになるなんて」
少年は、そんなカラスを見て、少し惨めな気持ちになりました。
この子を慰めてやりたい、でも慰めるだけでは何の意味もないのだと。
少年は、そう思いました。
だから、嘘をつくのはやめようと思いました。
「いいえ」
少年は言いました。
「あなたの姿は綺麗です。この白い虚無の中で、あなただけが色のついた姿だった」
それは、少年の正直な気持ちでした。
「僕の手を、僕の顔を見てください。ほら……真っ白でしょう?」
少年の手を見て、カラスは息を呑みました。少年の指先は色を失い、まるでガラスのように透き通っていたのです。
「もうすぐ僕の身体は、透き通って崩れていきます。今の僕は、その時がくるまでに見せる、ほんの少しの夢なんです。だから僕は、僕と違って色を失わないあなたの姿を見て嬉しかった」
「無くならない色をこの眼で見て、この手で触れることができた。それが本当に嬉しかったんです」
「あなたの黒い羽は、とっても綺麗です」
少年は、笑いました。
「あなたの黒い姿は、僕にとっての温かい夜空です」
それは少年が初めて見せる、笑顔でした。
「一つ、教えてください」
カラスは意を決して訪ねました。
「あなたの名前は、何ですか?」
「……アル」
少年は、寂しそうに微笑みました。
「僕の名前は、アルです」
***
「それにしても、不思議なものです」
アルは、鳥かごの中でぐっすりと眠っているカラスを見て、そっと呟きました。
「鳥と烏。たった一つの線だけで、どうしてこうも違うのでしょうか」
答えを返す者はありませでした。
そして、少年の影はぐずぐずと崩れていきました。