嵐の前
翌朝。
西樹悠真は、奇妙な夢を見て目を覚ました。
自分の身体が見る見るうちに怪物に変わってゆく、何とも後味の悪い夢。自分の身体はやはり変化しているのか。最近目覚めた力もこの兆しなのか。確かにその力を使えば仕事もより楽になる。しかし、夢のように怪物になってしまうことだけはお断りだ。
悠真は久々に、恐怖という感情を覚えた。
昨夜、悠真は自宅ではなく、安藤の家で床についた。
家に帰っても誰もいない。1人で眠るより、幾ら部屋が汚くても、誰かと一緒に居た方が良かった。
思えば彼は自分の本当の家族を知らない。大学に行くことが出来たのは幼い悠真を引き取ってくれた夫婦のおかげだが、どちらも悠真が大学に進学した頃事故で亡くなった。それからは墓守の本部から金が支給されるようになったので何不自由なく生活出来るが、やはり1人は寂しいものだ。
「起きたか青年」
「はい。あれ、安藤さん、また酒飲んでたんですか?」
テーブルの上に空いたビールの缶が転がっている。昨夜は置いてなかった。夜中に安藤が空けたのだろう。それにしても、3本も飲んで仕事に支障は無いのだろうか。
「いやな、デカい仕事の前日は寝られなくなる訳よ。それで、酒の力を借りて眠りに着くのさ。青年もいずれこうなる」
「残念でした。俺は酒は嫌いなもんで」
「いいや、こうなるね。だが見てみろ。3本飲んだって俺はこんなに元気だ」
安藤は両手を広げて、自分が酔っていないことを悠真に見せつけた。しかし、悠真はそれに目もくれず、大学に行く準備をしていた。今日は選択した講義のある日なのだ。
準備をしていると、安藤が買い置きしてあったパンを持ってきてくれた。それをあっという間に頬張り、悠真は安藤宅を出た。仕事は夜9時頃。それまでに戻って来いと安藤に言われた。
いってらっしゃい。そう言われることも、悠真にはとても懐かしく思えた。
いつものように電車に乗って登校して、午前中の講義を受けた後、昼食をとり、午後の授業を受ける。全ての予定が終わったのは午後4時だった。
帰り支度をしていると横から声をかけられた。見ると沖田恵里がそこに立っていた。彼女の姿は美しく、女神のように思われた。
恵里はいつものように話題を振ってくれるが、悠真は今までのように話せない。
術士の主は金谷だった。その事実を知ったら、恵里はどう思うだろうか。今までの金谷の像が、音を立てて崩れ落ちるのだ。そうなったとき、果たして彼女は正常でいられるだろうか。
そんなことを考えていると恵里が、
「何かあった?」
と尋ねてきた。
「え?」
「今日、元気ないよ?」
「ああ」
やはり言えない。
取り敢えず風邪をひいたと言って適当に誤魔化した。
「大変じゃん! それでも今日はやらなきゃならないの?」
「ああ。今日の仕事が片付けば、少しは浄霊も楽になる」
「浄霊?」
そうだった。
恵里は悠真が霊と戦っていることは知っているが、【浄霊】、【暴霊】のような用語はまだ知らないのだ。
とりあえず怪物を倒すことだと恵里に教えた。厳密には倒すのではなく、逝くべき場所に連れて行くことなのだが。
倒す、という言葉を聞いて恵里の顔色が曇った。彼女は悠真の行っていることを、苦しんでいる魂を救うということだと考えている。だからただ倒すだけだと、少し抵抗があるのだ。それにはキャンプ場での経験も関係しているのだろう。あの日、彼女の目の前で友人が暴霊に変化し、それが悠真と安藤によって浄霊された。だからこそ墓守の仕事が救済であると信じたいのだ。
彼女の顔色を見て、今の説明はまずかったと悠真は気づいた。そして、改めて浄霊について話した。
「いや、ただ倒してるんじゃない。暴霊は未練のために、自分の逝くべき所……天国か地獄に行かず、現世で暴れている。俺らはあいつ等を倒すことで未練を断ち切り、道を示してるんだ」
「ふふふ、良かった」
「何が?」
「え? 何でもない」
恵里は笑った。
その笑みを見るとますます困惑する。この関係が壊れるのではないか。その恐怖が悠真の心を支配する。
今は直視出来ない。悠真は荷物を持って立ち上がった。
「じゃ、行くわ」
「うん。気をつけてね」
こんな戦い、早く終わらせよう。それから恵里とゆっくり話せる時間を作ろう。そんなことを思いながら建物を出る。
門にはやはり安藤が車に乗って待っている。
「おう、青年」
会釈してから悠真は乗車した。暗い顔をする悠真。安藤は、彼が何を悩んでいるのか手に取るようにわかった。
「心配いらねぇよ」
「急に何ですか?」
「あの子だろ? 大丈夫、あの子はそんなに弱かねぇよ。金谷の野郎を、思いっきりぶちのめしてやれば良い」
「安藤さん……ありがとうございます」
「ははは、やめろ、恥ずかしくなる」
カーナビに廃屋付近の名前を入力しながら安藤が言った。音声ガイドが始まると、ハンドルを握って目的地に向け出発した。
珍しく安藤が頼もしい人間に見えた瞬間だった。
秋山荘司は教育委員会の委員として明政小学校に来ていた。
まだ潜入捜査は続いている。もう1週間はここに来なければならない。ただ、彼がここに足を運ぶのは任務のためだけではないような気がする。
嘗て抱いていた、小学校の教師になるという夢。それをまだ捨てきれずにいるのだ。墓守の仕事を辞め、子供達と一緒に楽しい時を過ごしたい。エリートになんかならなければ良かった。ならなければ、あの素晴らしい仲間と会わずに済んだのに。気持ち良く墓守の仕事を辞められたのに。
そんなことを考えながら、秋山は校内に入った。そしてその足は自然に3年3組の教室に向かっていた。今はキャンプに出ていて3年生は誰も居ない。教室の中を見ると、隅に飾られた花が枯れていた。
秋山の脳裏に、再びあの2人の生徒の記憶が蘇った。今はもう大学生になったであろう2人。1人は誰かと助け合うことを、1人は孤独に生きることを望んでいた。相対する2人。しかし、2人は常に一緒に行動していた。今も一緒なのだろうか、それとも……。
これだけ記憶に残っているのに、何故か名前を忘れてしまった。ずっと思い出せない。しかし何故だろう、どちらか1人とはやはり小学校以外の場所でも会っている気がする。
「まあ、別にいいか」
秋山の独り言が廊下に虚しく響いた。
辺りが薄暗くなってきた。時計を見ると、時刻は午後5時。秋山は荷物を纏めて愛車に乗り込んだ。
以前現れた山猫の術士のことを調べるために普段より長く学校に残っていたが、結局手がかりは見つからなかった。秋山の名を知っていたということは、やはり以前会ったことのある人間なのか。そうでなければ墓守側の情報が向こうに洩れている可能性が出てくる。
それと、もう1つ。彼の脳裏に蘇る2人の生徒の記憶。
いつもは追求する気など全く起きないのだが、何故かこのことに関しては妙に気になった。別に仕事とは関係無い。彼の興味本位だ。
職員に頼んでアルバムを貸してもらった。この小学校では、毎年子供達の作文を載せたアルバムを作製する。表紙は画用紙で出来ており、その絵も生徒が描いている。秋山が実習生として明政に来ていたのは10年前、2002年のことだ。探してもらうと、アルバムはすぐに見つかった。殆ど生徒が作った物がちゃんと学校に残っていたことに驚いた。アルバムを開き、パラパラとページを見ている内にあることに気づいた。これには写真が印刷されていない。名前だけ見ていてもわからない。だが、中にひとつ、秋山の知っている名があった。その生徒の名は、西樹悠真。
「西樹悠真って……」
まさか、あの墓守がこの学校の卒業生で、しかも秋山が実習生だった時に同じクラスにいたとは。
西樹悠真。好きなもの、無し。嫌いなもの、無し。将来の夢、無し。よくこれで採用されたものだ。作文は、何やら昆虫について書いてある。好きなものがあるではないか。と思い読み進めていくと、中身は虫を痛烈に批判したものだった。余談だが安藤も虫嫌いだ。虫嫌い同士がバディになるというのも、なかなか面白い。
他の生徒のものも読んだ。殆どは、自分がボランティアに参加したとか、自分が誰かを助けてあげたとか、自分が、自分が、兎に角自分が良い人間だというアピールにしか見えない作文ばかりだった。
申し訳無いのだが、あのいじめっ子の溜まり場のような所にそんな善良な生徒がいるとは思えない。彼等は大人の前では良い子になりすまし、大人が居なくなった途端、その着ぐるみを脱ぎ、醜い獣のような本性をさらけ出すのだ。
そんなことがあって、今に至る。
彼の運転するフェラーリは、術師の本拠地であろう廃屋に向かっている。場所は明政小学校から離れている。着く頃には周りも暗くなっているだろう。このフェラーリの本来のスピードを出せれば話は違うのだが。
他のメンバーには先に行かせた。そして、早めに仕事を始めるようなら各チームのサポートをするように命じた。まだ半人前で頼りないが、それでも熱意は感じられる。
そう、技量が全てではない。やる気があれば良いのだ。同じエリートの城之内双賀に力を貸すのはあまり好ましくないが、ここは仕方ない。彼は性格は悪いが実力は本物だ。メンバーの教育にもなる。
ふと、悠真のことを思い出した。もしかすると、彼があの生徒なのか。
「ま、別にいいか」
午後6時。
その悠真は、廃屋の向かい側にあるホテルの中にいた。どうやら平岩がレストランを予約してくれたらしく、中には他の墓守達がいた。同じチームの白河泉もいる。安藤は今トイレに行っている。悠真は先に席に着くことにした。
携帯を見ると、友人の柏康介からメールが入っていた。合コンの誘いだが全く興味が無い。しかし、この前のバスケットボールの試合は結局観に行けなかった。悠真は康介に、また試合があったら誘ってくれとメールした。丁度その時安藤がトイレから戻ってきた。ズボンが濡れている。洗った手を拭いたのだろう。
「お、彼女か」
「違いますよ。友達です。合コンの誘いだとか」
「おお、良いじゃねえか、合コン! 俺も若い頃はよく行ったもんだよ。……勿論暴霊を捜すためにな」
暴霊は未練によって蘇る。未練の形は人それぞれ、合コンに現れては獲物を探す霊もいる。ただ、たまたま、安藤が参加した合コンには暴霊は現れなかったそうだ。
秋山はまだ来ていない。何やら仕事が残っているそうだ。平岩は廃屋を監視している。術師の動向を探るためだ。
今夜は徹夜になるかもしれない。ひとまず食事をとらねば。ここはバイキング形式で、自分の好きなものだけを食べられる。しかも和・洋・中全ての料理が揃っているので、文句を言うものは1人もいない。悠真は洋食が好きなので、スパゲティとコーンスープを持ってきた。安藤は刺身ばかりだ。流石に今は酒は飲まないらしい。刺身を口に運びながら安藤は喋った。
「にしても、残念だなぁ秋山は。こんな美味い飯を食えないなんて」
「あの人はいつでも食べられますよ」
「ああ、そうか」
「安藤さんの出世はいつになるんでしょうかねぇ」
出世という言葉を聞いて、安藤は刺身を喉に詰まらせた。
「俺はいいんだよ。青年こそ、ちゃんと考えとけよ」
「いや、俺は別にいいですけどね」
「みんな、聞いてくれ」
平岩が戻ってきた。ガヤガヤしていたが、彼のひと声で全員が静かになった。
突撃の時が来た。今夜全ての術師を倒せるわけではないが、とりあえず1グループは殲滅出来、しかも場合によっては降霊術を持ち出した墓守・Xについて何らかの情報が得られるかもしれない。そうなれば彼等との戦いも楽になろう。
「降霊術師の本拠地に突撃する。今日はこれを付けてもらう」
平岩の後ろから数人のH・Y社員が現れ、全墓守にトランシーバーを渡した。耳に付けるタイプの物だ。
「すいません、遅れました」
秋山が到着した。平岩は軽く手を挙げて彼を招いた。秋山も現在の状態を察したらしく、トランシーバーをもらうと自分のチームのところに向かった。
全員があのチームに別れて、別々にホテルを出た。学校のように固まって向かったら急襲にならない。外を警護する秋山、白銀、城之内のチームは最後に出る。平岩は付近で指揮を執る。
悠真と安藤は白河泉と合流してホテルを出た。相変わらず泉は何も話さない。悠真と安藤も緊張してしまって会話は出来なかった。横断歩道を越え、更に進んだ所に廃屋を発見した。ショッピングモールだっただけありやはり大きい。
他のチームは既に残りの入口で待機している。少しして秋山達の部隊もやって来た。全員が廃屋に集まったところで、トランシーバーから平岩の声がした。
『準備はいいな? カウントダウンを終えたら、一斉に中に潜入するんだ』
全員に緊張が走る。自然と武器を持つ手に力が入る。
『3……2……1、突入!』
中に潜入するチームが、一斉に廃屋へ突入した。
秋山はステッキを構えた。悠真達が突入した瞬間空気が変わったからだ。メンバーも持っている警棒を構える。すると突然大地が揺れ、光と共に、あの手の大きな暴霊が大量に現れた。メンバーの1人が攻撃を仕掛けると、暴霊は巨大な手で風を起こしてメンバーを吹き飛ばした。以前の個体より強い。今までのはテストだったのか。
「ちょっと、ヤバいかな」
秋山はアヌビスに変身すると、ステッキを槍に変えて暴霊の群れに突っ込んだ。
廃屋の中はまるでお化け屋敷だ。沢山の部屋があり、悠真と安藤は用心しながら先へ進む。その先を行く白河泉は至って冷静だ。よく彼女は何の迷いも無く道を進めるものだ。いつの間にか泉と2人の間が広く開いてしまった。
と、ここで泉が1つの部屋に入った。何か見つけたのかもしれない。2人も跡を追う。
「暴霊か?」
「いたんですか?」
「いいえ……まだね」
突然、泉の手が燃えた。そして炎の中から銀色の剣が出て来た。
泉は剣の先を悠真と安藤に向けた。血を使わずに力を発動させるとは。どうやら彼女は仲間ではなかったらしい。術師は墓守の双子のような存在。身内が気付かないのも当然か。
「術師か」
「気付くのが、遅いですよ」
白河泉は、無表情のままそう言った。




