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毒気

 大学から電車に乗って約1時間、そこから徒歩で10分のところにあるマンションに、沖田恵里と母の百合子は住んでいる。前は父、兄と4人で一軒家に住んでいたが、暴霊の襲撃に遭って父、兄は死亡、家も全焼してしまった。

 今日は2人の命日。この日までに父と兄が好きだった食べ物などを用意し、当日仏壇の前に置いて手をあわせる。それが、毎年続けてきた行事である。たまたま今年は恵里も予定が入っていなかったため、朝から手を合わせることが出来た。

 そこへ、今日は別の客もいた。4、50代の眼鏡をかけた男性。彼も仏壇に向けて手を合わせている。

 亡き2人への挨拶が終わると、百合子がお茶をコップに汲んで男に手渡した。男は礼を言うとそれを一気に飲み干した。

「ありがとうございました金谷さん、毎年来ていただいて」

 男の名は、金谷空人。恵里の父・浩三の側近だった。今は浩三の跡を継いで社長職に就いている。もともと浩三からも社長の座を継ぐよう言われていたのだ。

「社長には本当にお世話になりました。僕はまだ未熟です。社長がいたら、まだまだ聞きたいことがあったのに……」

「まさか、火事が起きるなんて」

 周りの人間には、火事が起きたと説明している。怪物が襲って来たと言っても信じる者はいるまい。悠真達墓守だけは信じてくれたが。

「さて、そろそろ行かないと」

 まだ仕事が山ほど残っている。金谷は寂しそうな顔をして立ち上がった。自分がもう少しここに居たくても、会社の連中は待ってはくれない。これも、亡き前社長が作って来た功績を守るためだ。

「この前も社員を1人リストラしたばかりで。社長というのも辛いです。それでは失礼します。恵里さんも、頑張ってくださいね」

「はい、ありがとうございます!」

 再度挨拶してから、金谷はマンションを出た。秘書に予定を聞こうと携帯を探していると、突然

「社長!」

 と、自分を呼ぶ声が。前を見ると、そこにはスーツを着た30代後半の男性が。男性は金谷を睨んだままスタスタと彼に近づいて来る。

「忘れてませんよね、僕のこと」

「……三東君か」

 この男こそ、先日金谷がリストラした社員、三東誠一である。解雇した理由は職務怠慢だったのだが、この三東、どうやら反省する気はまるで無いようだ。しかも金谷を逆恨みしている。

 社長に向けて手を伸ばす三東。突然の出来事に金谷はその場から動くことが出来ない。

 距離が縮む。もう少しで、手が金谷に届く。だが、それを邪魔する者が1人。2人の間に割って入り、1人の青年が刀を三東に突き付けた。そう、悠真だ。

「な、何だ君は?」

「言っても信じてもらえないでしょう」

 そこへ別の男性がやって来た。安藤だ。手には短剣を持っている。いつでも悠真に加勢出来るように準備しているのだ。

「安藤さん、その人を頼みます」

「あいよ」

 安藤は言われた通り、金谷を連れて安全な場所に避難した。それを確認すると、悠真は三東に斬りかかった。三東は超人的な体力を有しており、高くジャンプして攻撃をかわし、手を悠真に向けた。手からは黒いガスが放出された。

 そう、三東はもうこの世の者ではない。自殺するもリストラされた逆恨みで現世に踏みとどまり、暴霊として蘇ったのだ。全ては、自分を会社から飛ばした金谷空人を殺すために。

 だからといって墓守は許してくれない。悠真は刀を楯に変えてガスを分散させると、次に弓矢を使って相手の自由を奪おうとした。矢に込められた気で暴霊の力を抑制するのだ。だが、矢は全て躱され、三東にも逃げられてしまった。

 矢を刀に戻して鞘に納めると、悠真は携帯で安藤を呼び出した。遠くには行っていなかったようで、ものの5分で安藤が駆けつけた。

「やったか?」

「すいません、逃げられました」

「そうか。まぁ上の情報じゃあ術師とは関係無いみたいだから、そのうち見つかるだろうよ」

「ええ」

 ひとまず別の場所で作戦を立て直すことに。車を停めてある場所に行こうとすると、ちょうどそこへ恵里がやって来た。手には財布が。買い物に行くところだったようだ。

「あれ? 西樹君」

「おお! え? この辺に住んでるの?」

「うん、ここだよ」

 まさか恵里の住まいの目の前で戦っていたとは。この前過去の話を聞いたばかりだったため、何だか申し訳なくなった。

 先程狙われた男性が金谷空人という男であること、彼が恵里の父の側近だったことなども、今恵里から聞いて初めてわかった。だがこれで暴霊がどのような恨みを持っているのかも予測出来た。

「金谷さんが怪物に襲われるなんて」

「元社員が社長に復讐か。ありがちな話だな」

 と安藤。

 たとえ金谷を殺したとしても、彼の恨みが晴らされることはない。三東はそのことに気づかず暴れている。早く彼を楽にしてやらねばなるまい。

 恵里と別れてから、2人は車を見つけて乗り込んだ。まだ新たな連絡は来ていない。上層部も探してくれていることだろうが、やはり地道に探す他ないだろう。早速ダウジングで三東を探すことに。ところが、相手も各地を移動しているのか場所が把握出来ない。

「くそっ、野郎速すぎだろ」

「すいません、やっぱりさっき倒しておくべきでしたね」

「気にすることはねぇさ」

 今は特定は出来そうにない。まだ朝食をとっていなかったので、近くのファミレスに行くことにした。







 いったいどのくらい逃げただろう。三東はとある町の路地裏に隠れていた。深呼吸して乱れた呼吸を整えていると、そこへ別の人物がやって来た。降霊術師の1人、後藤英明だ。悠真達の予想は外れていた。三東のバックには術師がいたのだ。

 後藤の顔を見ると、三東は彼に飛びかかった。後藤はそれを、鞭を使って防いだ。

「おい! どういうことだ! アイツ等は何者だ?」

「ああ、失礼。まだ話していませんでしたね、彼等のことを」

「ふざけるな、危うく殺されるところだったんだぞ!」

「面白いことを言いますねぇ、もう死んでいるではありませんか」

 後藤はキープしておいた魂を憑依させてキャファールの姿になり、三東を威圧した。彼も同じような力を所有しているはずだが、それでも術師達の力は暴霊も恐れるほどのものらしい。

「彼等は墓守です」

「墓守?」

「あなたのような霊をあの世に送還するための組織です」

 ここでやっと、彼等が自分にとって最大の害悪であることを知る。彼等に倒されたら、2度と金谷を殺すことが出来なくなってしまうのだ。倒されたらこの恨みを果たせぬまま、自分はあの世に逝かなくてはならない。それは受け入れられない。

 今すぐにでも金谷を殺そうと動き出す三東。そんな彼を、キャファールは鞭で締め上げて引き寄せた。

「お待ちください三東さん」

「何するんだ! 今すぐアイツを殺すんだぁ!」

「まぁまぁ落ち着いて。もっと考えるべきです。あなたの力は、もっと有意義に使うべきだ」

「有意義に?」

「社長がリストラしたとき、あなたを助けてくれた人がいましたか?」

 術師の洗脳が始まった。彼等はこうして騙され、当初のそれよりも遥かに大きな恨みを抱くことになるのだ。

「あなたが死ぬとき、誰が止めてくれました?」

「そ、それは……」

 三東に恨みのタネを植え付けた。鞭から解放されると、三東はもう1度深呼吸した。

「誰も、助けてくれなかった」

 望んでいた答えが返って来た。後藤は拍手をすると元の姿に戻った。

「そう、あなたが復讐すべき相手は、その男だけではありません」

 最後にひと言、三東の耳元で囁いた。

「今を生きる者達、全員です」

「生きてる奴等、全員……」

「さぁ、もう1度考え直してください。あなたが殺すべき者を、あなたがするべきことを」

 数秒考えたあと、何か閃いたのか、三東は眉間に皺を寄せて何処かへ向かった。

 三東が行ったのを確認すると、後藤は携帯を取り出してある人物に電話をかけた。相手は、あの眼鏡の男だった。

「もしもし?」

『暴霊はどうだ?』

「今色々と教えてあげたところです。間もなく大勢の死人が出ることでしょう」

『何を教えたのかわからないが、お前も早く戻れ。神田を弔ってやろう』

 弔うということは、神田は本当に死んでしまったのか? 彼等ならやりかねないが、それまで仲間だった人間をそんなに簡単に殺せるものなのだろうか。

「わかりました。すぐに行きますよ」

 電話を切ると、後藤は再度キャファールの姿に変化した。この姿ならあのスピードで移動出来るため、宣言通りすぐに行くことが可能だ。

「屑を弔う……ふん、幼稚園じゃあるまいし」

 彼の本性が垣間見えた瞬間だった。






 その頃、悠真と安藤は近くのファミレスで遅めの朝食をとっていた。悠真はオムライス、安藤はハンバーグセット。朝食にしては量が多い。浄霊を担当した悠真はまだわかるが、安藤はそれほどハードな運動をしただろうか。

「暴霊の居場所、まだわかりませんか?」

「ああ、そうだな」

「そうですか……ごちそうさまでした」

「え? 速いなぁ、おい」

「あなたが遅いだけです」

 そんな話をしていると、突然携帯が振動した。見ると、相手は上層部の平岩雄一郎だった。この電話を待っていた。安藤はすぐに通話ボタンを押した。

「はい」

『すまない、暴霊の居場所がやっとわかった。私の守護霊でなければ見つけられなかったのでな』

 平岩の守護霊は、生前バディを組んで共に戦っていたという。死後もなお、墓守達のことをサポートしているのだ。

『場所は、ダムだ』

「は? ダム?」

『理由はわからない。だが、これからメールで場所を送るから、すぐに向かってくれ』

「はい、わかりました……ダムだってよ」

 何故ポイントをそこに移したのだろうか。金谷の会社がダムの開発か何かに関わっていたのだろうか。

 ここで、悠真はあることを思い出す。暴霊の攻撃方法だ。あの三東という男はガスを放出することが出来る。考え過ぎかもしれないが、三東はそのガスを使ってダムに良からぬことをするつもりなのではないか。ダムは自分達にとって必要な場所だ。そこを襲われたら、被害は金谷1人だけでは済まない。

「安藤さん、これ、まずいかもしれませんよ」

「え? 何が?」

「兎に角急ぎましょう! 場所は?」

「えーっと……あ、これだ」

「早く! 暴霊がやらかす前に!」

 悠真にせかされ、安藤は慌てて席を立った。まだハンバーグが少し残っていたが、それは悠真が許してくれないだろう。

 会計を済ませると、2人は大急ぎで車に乗り込んだ。カーナビに送られて来た場所の名を入力し、乱暴に車を走らせる。

「それにしても、まずいってどういうことよ?」

「あの暴霊、東京都民を道連れにするつもりなんだ」

「東京都民を? そうか、それでダムを狙ったのか!」

 あのガスが目くらまし以外の能力……例えば、毒性のあるものだとしたら、それを水に浸けてダムの水を汚染することだって可能な筈だ。その水が国民の家に運ばれれば、間違いなく、大量の死傷者が出る。

 そんなことを、怒りで興奮している暴霊がすぐに思いつく筈が無い。ということは、背後で三東に指示を出した者が居る筈だ。それは、降霊術師。バックの存在も考慮して調べていれば少しは違ったかもしれない。

「全くよ、面倒なことを吹き込みやがるぜ、アイツ等も」

 幸い場所は都内だったため、ものの1時間で現場周辺に着くことが出来た。周りを自然に囲まれた美しい土地だった。車を降りて、早速暴霊を探す。守護霊が見つけたときにはダムに向かっている途中だったらしいから、まだこの近くにいるはずだ。

 遠くにあるダムに歩を進めようとしたとき、突然悠真の体に強い衝撃が迸った。それは苦痛には感じない。寧ろ気持ちよいものに感じられた。

 力が漲り、今まで見えなかったものが見えるようになる。ダムの向こうに黒い煙のようなものが見える。きっとあれが三東だ。

「安藤さん!」

 悠真はすぐに0に姿を変え、あのボードを呼び出した。これを使わなければ間に合わない。

「俺、行きます!」

「え? ちょっ……おい!」

 おどおどする安藤を放置し、0はダムに向けて飛んでいった。

 空高く登ると、ちょうど三東の姿が見えた。0は刀を銃に変えると、三東に向けて銃を何発も放った。水に手をつけようとしていた三東がバランスを崩して転んだ。0は彼の前に着地し、銃を刀に戻して彼に突き付けた。

「お前は!」

「なるほどな、あんたの裏には術士がいたのか」

「聞いたぞ。お前達は墓守って言うらしいな。俺達みたいな哀れな霊の気持ちを考えないで、あの世に送っちまう、政治家よりもひでぇ野郎だってな!」

「大勢の人を道連れにしようとしてるあんたよりはずっと良い」

「黙れ……黙れえっ!」

 とうとう三東が青い炎を発動し、紫色の暴霊に姿を変えた。右肩にハエのような装甲をつけており、右手の先は気味の悪い形の管になっている。

 暴霊は管を0に向けるとガスを発射してきた。人間体のときよりも威力が増している。暴霊達にとってはこの怪人としての肉体が本来の姿。仮の姿だと存分に力を発揮出来ないということか。

 楯を使ってガスを分散させ、楯を持ったまま暴霊に突進。相手がバランスを崩したところで剣を使って切るつもりだった。が、想像以上にガスの威力が強く、0が跳ね返されてしまった。しかも楯も元の刀に戻っている。

 暴霊はその隙をついてガスを0に向けて放った。恨みという名の毒素が含まれたガスが0へと向かう。だがそのとき、再びあの力が発動した。黒い霧がガスを飲み込み、人魂に形を変えた。

 0の周りを黒い人魂が飛んでいる。彼はもうあの力を使いこなしている。勝手に力が作動することも無く。人魂は0の指示を待っている。

 0がそれに向けて手を伸ばすと、人魂が彼の体に入り込み、紫色に輝く戦士の姿に変化した。この状態では武器は使えない。使えるのは霊の力と己の体のみ。拳に黒い霧を集めると、0はその手で暴霊の腹を突く。本来0を襲う筈だった毒が暴霊の体に流れ込んだ。

「あああっ! 熱いいっ!」

「あんたの気持ちも解らないでもない。確かにあんたの言う通り、墓守は冷徹な集団なのかもしれない。でも……こうしないと、あんたらも苦しむことになるんだよ」

「くっ、苦しむ?」

「逝くべき場所へ、逝くんだ」

 黒い霧が0の周りを回り、拳に集まる。その拳を前に突き出すと、霧が暴霊の方に向かっていった。霧は瞬く間に暴霊の体を飲み込み、元の人間の姿に戻してしまった。

 力を失ったことを三東も悟った。先程まで漲っていたパワーが微塵も感じられない。

「さぁ、逝くんだ」

「くそっ、あと少しで、アイツを、アイツを」

 三東は光に包まれ、天に召された。

 浄霊が終わると、0はボードに乗って安藤の居る場所に戻り、変身を解除した。

「やったか」

「はい。もう、しばらくは降りて来ることは無いでしょう」

「そうか……何か、腹減ったな」

「はぁ? あなた動いてないでしょう?」

「俺は先輩のことが心配で、それでカロリー消費しちゃったんだよ。さ、早く行こうぜ」

「全く」

 2人は笑いながら車に戻っていった。





 暴霊が倒されたことは、あの眼鏡の術師も感知していた。そもそもあんな暴霊には全く期待していなかった。

神田の弔いはまだ行われていない。廃屋の広間には既に殆どの術師達が揃っているが、1人足りない。それは彼等の主だ。

「すまんな、遅くなった」

 そこへ、スーツ姿の男性がやって来た。

「暴霊に襲われてしまってね」

「お待ちしておりました」

 彼等の主……金谷空人は服装を整えると、ポケットからキープしておいた魂を取り出した。それを体に憑依させて、黒い鳥のような姿に変身した。

「さて、葬式を始めようか」

 変身した空人の姿は、まるで死神だった。

・ミアズマ・・・リストラされた男性が変身した、不浄の暴霊。毒素を含んだガスを放つことが出来、身体能力も高い。

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