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沖田恵里

 あの黒い力をどうにか制御出来るようになってから、しばらく暴霊や術士の動きが見られなくなった。

 悠真と恵里は大学の近くを散歩している。こんな平和な日が来るとは。何処かから敵が来るのではないかと常に刀に手をかけている。

「今日は、静かだね」

「うん、そうだね」

 話をしてもその程度にしか広がらない。

 今日こうして2人きりで会ったのは他でもない。この前恵里が言いかけたことを聞くためだ。彼女の過去に関わる内容かもしれない。普段は恵里から誘われることの方が多いのだが、今日は珍しく悠真が誘った。どうしても、恵里のことが気になったのだ。もしかしたら、彼女は……。

 しかし、それを聞いても良いものだろうか。聞いた途端に何かが音を立てて崩れてしまうのではないか。そんなことも考えていた。せっかく仲良くなれたのに、この関係が崩れるのは避けたかった。

 人気のない公園に入った。今がチャンスだ。深呼吸をして、この前の続きを聞こうと前を向くと、何と恵里も同じように悠真の顔を見つめていた。驚いて、思わず顔を下に向けてしまった。

 悠真の顔を見つめる恵里。緊張したが、同じように悠真も恵里と目を合わせた。

「西樹君」

「え?」

「今まで話したことが無かったんだけど、私……前にも襲われたことがあるの、怪物に」

「襲われた?」

 恵里が墓守や暴霊の存在を素直に受け入れられた理由。それは、まだ悠真に会う前、彼女が暴霊の襲撃にあったためだった。

 それを聞いて安心した。思っていたこととは違ったからだ。彼女はまだこちら側の存在だったのだ。

「まだ私が、高校に通ってたときに……」

 恵里は静かに、過去の事件の概要を話し始めた。





 3年前。

 その日は珍しく遅くなり、高校生の恵里は夜8時に帰宅した。このとき、父親に怒られたことを彼女は今も覚えている。

 恵里の父親、浩三は有名企業・沖田グループの社長であった。それ故、両親は子供達に危害が及ぶことを心配していた。この日も誘拐されてしまったのではないかと心配していたのだ。

 今なら親の気持ちも解るが、この日の恵里はイライラしており、父親と大喧嘩してしまった。

「何でそんなこと言うの? 私だって忙しいの!」

「恵里! お父さんはあなたのことを心配して」

「うるさいっ!」

「恵里」

 兄の誠治が恵里を宥めようとする。しかし、彼女は余計に腹を立て、遂に2階の自室に閉じこもってしまった。

 誠治は後を追い、扉越しに恵里に声をかける。誠治は妹思いだ。あまり怒鳴らず、優しい口調で彼女に話しかけた。

「恵里。連絡無しじゃ、そりゃあ父さんも心配するだろ」

「お兄ちゃんには関係ないでしょ?」

「お前! 父さんも母さんも、恵里が帰って来るまで何も食べてないんだぞ? 俺は、食べたけど」

 妹を笑わせようとした誠治だったが、恵里は全く笑わなかった。

 部屋に籠もった恵里はずっと泣いていた。

 彼女が苛ついていた理由。それはイジメだった。

 恵里は校内でも必ず10位以内に入るほど成績優秀な生徒だった。それを鼻にかけることもしない。そのため友人からも慕われていた。

 だが、それを僻む者達がいることもまた然り。彼等は学校裏サイトなるもので恵里の悪口を書き込んだり、教科書を隠され、後にボロボロにして返されたりと、あらゆる方法で恵里を追い詰めた。初めは気にしないようにしていたが、イジメはエスカレートして行き、無視できないものとなった。

 この日もイジメがあった。教師に相談しても解決してもらえない。友人達は、脅されたのだろうか、恵里からスッと離れてゆく。家族には、くだらないプライドがあって相談していない。

 ストレスが積み重なり、それで帰宅していきなり父親に怒鳴られた。この瞬間、恵里のストレスは爆発した。

 今では、父に反抗したことを後悔している。父が悪いわけではない。それは解っている。そもそも、イジメについて家族に相談しなかったことも問題ではないか。自分も悪いことがあったのに、何故あんなことを。恵里は更に落ち込んだ。

 誠治は1度引き上げた。恵里のことは良く知っている。きっとまた、仲直りしに来るだろう。今はそっとしておいてやろう。そう考え、誠治は両親のもとに戻った。

 リビングに戻ると、浩三もまた怒鳴ったことに後悔していた。理由も聞かずに怒鳴ってしまったからだ。

「恵里、どうだった?」

「大丈夫だよ。明日になればまたいつもの恵里に戻るよ」

「それにしても、いつものあの子らしくなかったわね」

 母・百合子は、恵里の様子を見て何かひっかかった。彼女は、イジメではないかと推測した。流石母親だ。

「あなた、今日はもう寝たら? 明日も仕事が」

「ああ、そうだな。じゃあ、私は……」

 そのとき、玄関の方から爆発音が聞こえた。何事かと3人が玄関に向かう。恵里も部屋から出て2階から様子を窺った。

 と、今度は百合子の悲鳴が。ただ事ではない。恵里は階段を数段降りた。焦げ臭いニオイが鼻を突く。

「こんばんは」

 声が聞こえる。聞き慣れない声だ。多分男だろう。

 様子を窺うと、後退る3人の方へ何かが歩み寄るのが見えた。黒い羽根のようなコートを着た死神。顔は髑髏を模した銀の仮面で隠している。鳥人のようにも見える。それは、そう、カラスが人の形をとったような。

 このときはまだ、恵里は暴霊や術師の存在を知らない。恐ろしい者を見て恵里は絶句し、その場に崩れた。本当に恐怖したときはドラマのような綺麗な悲鳴なんて出ない。無様な叫び声をあげるか、このように絶句するか、だ。

「な、何だお前は!」

「あなたの時代は終わる!」

 鳥人は手を広げ、そこから黒い光線を発した。光線はカラスの形をとり、3人を襲う。

 叫び声とともに、先程の爆発音が聞こえた。鳥人は笑いながら家族に近づく。

 このままでは家族が殺される。恵里は一気に階段を駆け降りた。だが、下りたところで自分に何が出来るのか?

 音に反応し、鳥人が振り返った。

「おや、娘さんですか」

「あ、あ……」

「恵里ぃっ!」

「死になさい!」

 鳥人は再びカラスを、今度は恵里に向かって発射した。恵里はすぐに階段を1段上ってそれをかわした。怖くて顔を出せない。逃げ出すことも出来ない。恐怖のためでもあるが、家族も心配だった。

「はずしたか。まあ、後で良いでしょう。まずは」

 鳥人は素早く浩三に近づき、彼の首を掴んで持ち上げた。

「父さん! 父さん!」

「いやああああっ」

「恵里を、恵里をおおっ!」

「娘の心配をする前に、自分の心配をした方が良いのでは? はあっ!」

 浩三を廊下に放り投げ、鎌を振り下ろそうとする。そこへ誠治が邪魔に入り、殺害を阻止しようと鳥人の腕を押さえている。

「早く! 早く逃げて!」

 百合子は2人の間を抜けて玄関側に向かい、浩三を抱こうとした。が、パニックで上手く出来ない。

「邪魔をするなぁっ!」

 至近距離であの攻撃を受け、誠治はリビングへと吹き飛ばされた。彼の声は聞こえない。まさか。

「誠治ぃっ!」

「ご安心を。すぐに会えますよっ!」

 百合子を蹴飛ばして退かした後、鳥人は鎌を振り下ろした。浩三が悲痛な叫びをあげる。刃は彼の腹に突き刺さっていた。百合子が刃を抜こうと泣きながら手を出す。しかし、鳥人が上から力を入れて抜けないようにし、慌てている百合子を見て楽しんでいる。

「お父さん! やめて!」

 思わず恵里も影から飛び出し、母に加勢する。

「さて、次はあなた方だ」

 鳥人は鎌を勢い良く引き抜いた。傷口から血が、間欠泉の如く噴き出す。

 恵里と百合子は抱き合い、鳥人を恐怖の面もちで見つめた。前には鳥人、後ろは燃え盛る玄関。先程の攻撃で火がついたのだろう。鳥人は楽しそうに笑っている。

「ある地域を占領したら、君主はその地を支配していた血族全てを殺さなければならない」

 とある偉人の言葉を呟き、血の付いた鎌の刃を2人に向けた。

「恵里、百合子……」

 小さく呟く浩三。鳥人はそれを聞き逃さず、彼に向けて光線を放った。

「しぶとい男だ。さて、あなた方にも死んでいただきますよ」

 恵里と母は、抱き合う力をさらに強めた。

「せっかく殺せたのに、それをバラされてはたまりませんからね。皆さん纏めて、楽にしてさしあげましょう」

「娘は、娘は殺させない!」

「ただの人間がほざいてんじゃねぇよ!」

 鳥人が声を荒げた。これが、この怪物の本性なのだろう。

「おっと、失礼。では、お2人さん」

 鳥人が鎌を2人に向ける。

 もう何も出来ない。こんな怪物を殺せるわけがない。2人は目を瞑った。恵里は涙を浮かべた。母親は全く涙を流していない。覚悟を決めているのか。こんなときに、恵里は親の強さを感じた。

「さようならっ!」

 鎌を右から左へ振ろうとする鳥人。恵里と百合子は更に身体に力を込める。

「ふふふ……んぐっ!」

 突然、鳥人の動きが止まった。2人は前を見る。力を入れすぎた為か、一瞬くらっとした。

 何と、鳥人の腹を何かが貫いている。それはナイフだ。普通の、家庭用のナイフ。鳥人の後ろに誰か立っている。

 誠治だ。フラフラしているが、まだ生きていたようだ。

「く、クソガキが……ぬおおおっ!」

 鳥人は誠治の頭を鷲掴みにし、その手から光線を放った。光線は誠治を顔から焼いてゆく。さぞかし苦しかろう。しかし、誠治は悲鳴を上げない。彼を焼く炎は頭から胸へと移る。それでも誠治は身動きひとつとらない。

 頭に来たのか、鳥人は口にあたる部分からも光線を放った。思い出の家が焼かれてゆく。

 光線を止めると誠治を投げ捨て、背中に刺さったナイフを引き抜いた。

「ちいっ、なめた真似しやがって! でも、てめぇらも終わりだな!」

 鳥人は足下の浩三を雑に蹴り、再び鎌を振ろうとした。

 だが、ここでまた、彼は邪魔されることになる。突如青白い炎が燃え上がった。何事かと炎を見ると、そこから翼の生えた怪人が現れた。

「まさか!」

 怪人は鳥人に襲いかかった。そうか、怪人は……。

 母親は恵里を連れて玄関に向かう。ドアは破壊されているが、周りを火で囲まれている。それでも関係ない。2人は走ってそこを切り抜けた。不思議なことに熱さは感じなかった。

 2人が脱出した直後に、家は爆発した。

 緊張の糸が切れ、2人は泣き出した。

 あの怪人。姿はよく見えなかったが、あれはきっと家族だ。怪物になってでも2人を守ろうとしたのだ。家族が怪人になったことは非現実的で恐ろしいことだが、2人にとってそんなことは関係ない。家族であることに変わりはない。

 消防車が到着したのは、その後だった。





「ごめん」

 悠真は恵里に頭を下げた。突然のことに驚く恵里。

「ど、どうしたの?」

 少しでも、悠真は恵里に疑いの念を抱いてしまった。

 彼女の過去を知った今、ただただ彼女に対して申し訳無く思った。だが、

「いや、そんな辛いこと、思い出させちゃって」

 確かにそうも思っているが、本当のことは言えない。怖かったのだ。疑念を持ったことを恵里に伝えて、今の関係が壊れることが怖かったのだ。

 弱い男だと、悠真は自分を責めた。

 悠真に対し、恵里は数秒後、「ううん、良いんだよ」と、微笑みながら言った。何だかその言葉は、悠真が本当に謝りたいことに対しての言葉のように聞こえた。

「あっ、今度の土曜日って空いてる?」

 恵里が尋ねてきた。

「土曜日? ああ、空いてる」

「あの、もし良かったら、一緒にテレビ番組の観覧なんてどうかな、と思って」

「ありがとう、行くよ」

 テレビ番組の観覧などどうでも良かった。恵里と一緒にいる時間が欲しかったのだ。

 それからしばらく、2人はどうでも良い話をして盛り上がった。まるで、先程のことを埋めるかのように。






 その頃、安藤は珍しく秋山荘司と一緒に仕事をしていた。場所は港。要請を受け、安藤は今の今まで浄霊をしていたところだった。

 2人はアサシンとアヌビスの姿に変わり、2人の降霊術師と戦っている。1人は白鳥を思わせる白い術師、もう1人はキャファールだ。

「悪いな、急に呼んじまって!」

 どうやら、仕事と言うよりは、突然襲われた安藤が秋山に助けを求めたらしい。

「神田さんはもう処分されました」

「なので、あの人の担当していた仕事を、我々が代わりに請け負うことにしました」

 キャファールが鞭をアヌビスに伸ばす。それを何とかかわし、ステッキで相手を突こうとした。だが、あの驚異的なスピードに追いつくことが出来ず、手こずっている間に鞭を足に巻き付けられて投げ飛ばされた。

 一方アサシンは白い術士と戦っている。声から察するに、おそらく相手は女性だ。二刀流の使い手で、アサシンは苦戦を強いられている。

「何で俺を狙う?」

「主の邪魔をするからです!」

 短剣を飛ばしたアサシンだったが、それら全てを剣で弾き返され、逆にダメージを受けてしまった。

 まさかあの2人がここまで苦戦するとは。術師達は彼等に武器を向けている。

「神田さんはやはり無能だった。こんな雑魚相手に手こずるなんて」

「ええ、全くです」

「ちっ」

 アヌビスがヤケクソにステッキを投げたが、鞭ではたき落とされてしまった。

 術師たちがトドメを刺そうとした、まさにそのとき、背後で何かが爆発した。驚いて振り返る2者。そこには、神田を連れ去ったあの男が立っていた。

 まさか敵が3人に増えるとは。しかもあの男は術士達の中でも強力な存在だ。悠真でも苦戦した相手に、自分たちが勝てる筈が無い。

 だが、彼が発した言葉は予想外のものだった。

「……帰るぞ」

 そう2人に告げ、男は1人帰って行った。

 彼は地位の高い存在なのか、キャファールと白い術士は素直にそれに従い、怪人の姿のままその場から消え去った。

 相手が全員帰ったのを見てから。2人は元の姿に戻った。

「全く、今日は散々だよ」

「悪いな。まさか術師が来るとは思わなくてよ」

「もう呼ぶなよ。今日は本当は、別の仕事があったんだから。それにしても、何でアイツは俺達にトドメを刺さなかったんだ?」

 ぼろぼろになったアサシンとアヌビス。トドメを刺すのにちょうど良いタイミングだった。

 興味があるのは、西樹悠真だけということか。

「ま、どうでもいいか」

「は?」

「何でもない。じゃあな。風邪引くなよ」

 そう言って、秋山は先に帰ってしまった。

 安藤は2度くしゃみをしてから、近くに停めておいた自分の車に向かった。






 4日後。悠真は安藤の家にいた。

 安藤の風邪が酷くなり、悠真は風邪薬を持って見舞いに来たのだ。

「へっくしょい! っあ〜、わりぃな青年」

「移さないでくださいよ。ほら、薬買ってきましたから」

 自分のバッグから葛根湯のビンを取り出し、安藤に渡した。

「葛根湯か。苦いんだよなぁ」

「文句は言わないで頂きたい」

「あ〜すまんすまん。……あ」

 術士達に襲われた話をすると、悠真はただ「へぇ」と頷くだけで、それっきり黙ってしまった。あの男について考えているのだろうと安藤は考えたが、実は違った。先日の恵里との会話を考えていたのだ。彼女を傷つけていないかと、彼はまだ心配していた。

「青年? おい、青年!」

「はい?」

「どうした? 何か悩みか?」

「いえ。あ、今度の土曜日、予定入ってるんで仕事に呼ばないでくださいね」

「うん? ああ、解った。しかしこれじゃあ、復帰までもう何日かかかりそうだなぁ」

「いや、大丈夫ですよ。葛根湯飲んどけば取り敢えず何とかなりますから」

 悠真は葛根湯に対して絶対的な自信を持っているようだ。彼曰く、葛根湯は漢方薬であるから、薬品よりも安心して摂取出来るのだそうだ。確かに誤った薬の使用によって更に酷い病にかかることもある。

 それから1時間ほどして悠真は安藤宅から出た。今日は授業が無く、更に仕事もないため、次の日まで悠真は暇だ。これからどうしようか。家に帰っても誰も居ない。

 ぼーっとしていると恵里の話を思い出す。結局家を襲った暴霊が倒されたかどうかはわからず、助けてくれた怪物も今はどうなったかわからないという。2人ともまだ現世に留まっているとしたら、今も何処かで、恵里のことを見ているのかもしれない。

「良い暴霊、か」

 暴霊が生まれるための未練は何でも良い。誰かを守る。そんな思いから生まれる暴霊もいるのかもしれない。そんな暴霊でも、切らねばならないのか?

 悠真は悩んだ。悩みながら、1人近くのファミレスに向かった。

・アテナ・・・アサシンを襲った降霊術士。女性だと思われる。白い剣士の姿をしており、2本の剣を自在に操る。

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