獣と害虫
降霊術師達の集う廃屋。その広間には、やはり誰も座っていない王座が1つ置いてある。ただ、今日はその王座にトランシーバーが設置されていた。
広間に2人の男女が入ってきた。白河泉と、もう1人は眼鏡をかけた男だ。
「やはり、あの墓守の中で大きな異変が起き始めている」
「そうですか。では私も……」
「いや、奴等が動いている」
「あぁ、彼等ですか」
「そう、彼等だ」
それは、ある雨の日の事だった。悠真と安藤は暴霊が現れたという連絡を受け、荒川沿いの公園に来ていた。そこは近隣の子供達から『河童公園』と呼ばれていた。実は、この公園では失踪事件が3件起きている。神隠しのような事件になぞらえてその名がついた。しかし、人間の起こした事件で名を使われて河童もはた迷惑だろうし、そもそも神隠しで出てくる妖怪は天狗である。
「安藤さん、何かわかりました?」
「いや、雨が降ってるから臭いも消えてるだろうな」
河童公園は広い。木も多く植えられているため、犯行を行うのに適した場所と言えよう。逆に、捜索するのには厄介な場所だ。どこかに怪しい所は無いだろうか。探しているのだが、どこもかしこも似たような情景が広がっており、2人はバテてしまった。
安藤は水晶を出して捜索を再開した。水で浄化する事も兼ねての事だったが、雨が強いせいで水晶がグラグラ動き回り、どこを指しているのかさっぱりわからなかった。一方悠真は走り回り、自分の勘を頼りに捜索を続けていた。降霊術師ならまだしも、ただの暴霊は何かボロを出す筈だ。何しろ暴霊の殆どは犯罪の素人だからだ。
しばらく探していると、悠真はあるものを見つけた。森の奥に黒い渦が見える。その先にある白い小屋のおかげでよく見えた。
「安藤さん!」
悠真に呼ばれて安藤がすぐやってきた。安藤も来るや否や黒い渦を発見した。近づいてみると、何か嫌な音が聞こえてきた。そう、虫の羽音のような。雨をものともせず飛び続ける虫。明らかにおかしかった。そこに暴霊がいるのか。安藤は試しにペンデュラムを投げてみた。すると、虫達は川の流れのように奥へ飛んでいってしまった。
「行くぞ」
「はい」
早足で渦のあった場所に向かう。そこには、2人が想像していたものがあった。
黒ずんだ人形のような物体。目のある場所には黒い穴が空いているだけで、口からは見たこともない何かが出ていた。服を着ているようだが、身体から漏れ出たであろう液体で汚れている。そして、全身が腐った肉の色をしていた。
間違いなくそれは遺体だった。それも死後かなり経過している。暴霊は何が目的なのだろう。
悠真は虫が飛んでいった方を見た。そこには、見るからに怪しげな小屋が建っていた。元は白い壁だったのだろうが、カビや蔦に侵食されている。壁はコンクリートなのに扉は木製。それもまた妙だった。2人は恐る恐る小屋に近づいた。手で触れるのは嫌だったので、悠真は刀の鞘で木の扉を突き破った。同時に中から大量のハエが飛び出した。虫嫌いの2人にとっては最低の事態だった。ハエがいなくなったのを確認して中を見ると、汚れた部屋の中央に椅子とテーブルが置かれ、椅子に金髪の青年が座っていた。青年はゆっくり2人の方を向いた。この落ち着き様、彼が暴霊なのか。
「誰だ?」
「そちらこそ」
安藤の問いに青年は微笑みながら言った。この黒ずんだ部屋の中だと、白いタキシード姿が余計に際立って見える。
「おやおや? もしかして墓守の方ですか?」
「何故わかる?」
「わかりますよ。あなた方を潰す、という命を受けてここに来たのですから」
「青年、こいつは」
「降霊術師か」
青年はニヤリと笑みを浮かべると、瞬く間に2人の眼前に迫り、腹にパンチを食らわせた。武器を構えるが、そこにはもう青年はいない。いつの間にか2人の真後ろに移動していたのだ。今度は毛皮の鞭を出して悠真達を弾き飛ばした。神田明宏より強い。悠真はすぐに立ち上がって刀で襲いかかるが、鞭でそれを止められ、逆に飛ばされてしまった。
悠真に気を取られている隙に、安藤は短剣を青年の腕に突き刺した。だが、青年は何の痛みも感じていないらしい。
「ちっ、どうなってるんだ?」
「主は私に、素早さと生命力を授けて下さったのです」
「なっ」
「霊を効率良く生むためにここで処刑を行っておりましたが、あなた方のせいで台無しです」
「処刑?」
悠真が立ち上がった。刀は斧に変わっている。術師を倒すには墓守の力を引き出すしかない。
安藤も青年から離れ、短剣に自分の血を吸わせた。
「処刑は俺の仕事だ。真似するな!」
2人の身体が炎に包まれ、墓守の姿に変わった。
「ふふふふ、熱くなっちゃって」
青年は腕をクロスさせた。すると、地中から大量の虫が湧き出て彼を包み込んだ。次の瞬間、青年はおぞましい怪物の姿に変わっていた。その姿で彼の能力の理由がわかった気がした。黒光りする鎧に長い触角。そう、あの害虫の姿をしているのだ。両腕には鞭を巻き付けている。
「改めまして、僕は後藤秀昭。またの名を、キャファール」
「キャファール?」
降霊術師・キャファールの笑い声が森に木霊した。
キャファールが両腕を広げると、巻き付けていた鞭が伸びた。相手はそれを振り回して攻撃してくる。周囲の木にあたると表面に傷がついた。速度や生命力だけでなく、パワーも高いようだ。これなら本物の虫を相手にした方が楽だ。
なかなか攻撃出来ない0とアサシン。攻撃する余裕を与えず、キャファールは鞭で2人を捕らえて空中でぶつけた。
「あっはははは! 神田さんはこんな雑魚に邪魔されたのですか? 何という事でしょう!」
「神田……アイツか!」
アサシンは短剣を取り出してキャファールに刺そうとした。だがやはり何も感じていないようで、笑いながらそれを抜き取って近くに捨ててしまった。
何か、彼を止める方法は無いか。0は考える。彼を倒すには、あの力を止めなければならない。そしてその方法はただひとつ。身体に刻まれた紋章に傷を付けること。キャファールの場合はどこにあるのだろうか。そんなことを考えている間に鞭で小屋の奥に飛ばされた。起き上がるとボロボロの箱が0の視界に入った。隙間から黒い液体が漏れ出ている。立ち上がった時、中に入っているものが見えた。黒い液体に浮かんだ白い骨。これは遺体を詰めた箱なのか。仕事柄遺体は幾つも見てきたが、こればかりは流石の0も引いてしまった。
「驚きましたか?」
キャファールが小屋の入口に立っている。後ろからアサシンが斬りかかろうとしたが、鞭で縛られ、投げ飛ばされた。
「ご存知でしょうが、肉体を利用して降霊術を行うと、より力の強いサンプルを生み出せるのです」
「何故こんな事を続けてる?」
「理想のため。あなた方には到底理解出来ないような理想を実現させるためです」
「理想? なるほど、確かに理解出来ねえなぁ!」
0が斧を回転させた。武器は瞬く間に大型の銃に姿を変えた。ガトリングは普段使用しないが、連射すればキャファールの紋章を無効化出来るかもしれない。
ガトリングを構え、術師に向かって弾丸を乱射した。その威力は小屋の壁も破壊する程のものだ。撃ちながら、0はキャファールとの距離を縮めてゆく、つもりだった。キャファールは素早く真後ろに移動し、0の背中に1撃食らわせた。しかもあれだけの攻撃を受けながら、彼は少しも苦しんでいない様子だった。
「噂は聞いてましたが、なかなか強いですね。しかし、僕には及ばない」
「こいつ!」
キャファールの背後でアサシンが飛び上がり、短剣を適当に投げつけた。それらは鞭で弾かれたが、アサシンは更に刀で斬りかかる。0もガトリングを大剣に変えて攻撃を仕掛けた。それでもキャファールは動じていない。
おかしい。これだけ攻撃を与えていれば、確実に紋章にあたっているはずだ。それなのにキャファールの術は解けていない。
ずっと攻撃を受けていることに飽きたのか、2人を殴り飛ばした。その威力は彼等の姿を元に戻してしまう程だ。もう戦えないだろうと判断し、秀昭も元の姿に戻った。驚いたことに、彼の身体には傷ひとつなく、服だけがボロボロになっていた。
「もう邪魔は止めていただけますか? 僕も主も困っているのです」
そう言い残して秀昭は霧のように姿を消した。
よろめきながら、悠真が立ち上がった。安藤は起き上がるのに苦労していたので、悠真が手を貸して立たせてやった。小屋に目をやると、あった筈の箱が無くなっていることに気づいた。秀昭が持ち去ったのだろうか。どの道、術師のもとに暴霊を強化する力が渡ったことは確かだ。これ以上人間の身体を利用させるわけにはいかない。彼等の居場所をつきとめる必要がある。
「上に連絡しておこう。情報が入り次第、奴らを潰しに向かう」
「あいつ、全身に攻撃を受けたのに術が解除されませんでしたね」
「ああ。術師共、一気にハードルを上げやがった。ってことは、俺達が奴らを追い詰めてるって証拠か」
「おお。良いっすね、プラス思考」
珍しく悠真の評価が良かったため、安藤は嬉しくなった。
一方、秋山荘司も指令を受けて現場に来ていた。しかし今回はいつもと違う形で潜入することになっていた。
場所は区立明政小学校。秋山達は教育委員会から来たという設定だ。今まで数々の任務をこなしてきたが、このような仕事は初めてだった。上手くいくだろうか。そもそも教育委員会の人間はどんな事を行っているのだろうか。不安を抱きながら、秋山はワンボックスカーを運転している。
「秋山さん」
部下の1人、竹山久次が尋ねてきた。彼もどうすれば良いかわからないのだ。彼だけではない。他のメンバーも戸惑っているのだ。しかし残念ながら、秋山もわかっていない。寧ろ聞きたいくらいだ。
「俺にもさっぱりだ。上層部も何で俺らを選んだんだ?教師やってる墓守もいるだろうに」
「秋山さんが認められてるからじゃないですか?」
そう言ったのは桐山雪だ。チームの紅一点で、しかも成績優秀だ。
「俺じゃない。俺達だよ」
学校が見えてきた。周りを緑の網で囲われており中はよく見えない。物騒な世の中だ。あれぐらいやらないと子供の身を守れない。暴霊も恐ろしいが、生きている人間も同じくらい恐ろしい。最近では、人が暴霊さながらの残酷なやり方で他人を傷つけるような事も起きているらしい。本当に嫌な世の中だ。
校門が見えた。その部分は網は取り付けられていない。だから、校庭でサッカーをしている子供達がよく見えた。昔なら純粋に可愛いと思えただろうが、いじめが横行する現在、素直に可愛いとは思えない。秋山は既に、教師に見えない所で誰かを蹴ったり砂をかけたりしている生徒達を発見していた。ゆとり教育のせいだけではない。親の教育も関わっているのだ。
あれこれと思いを巡らせている内に、学校に入るのが嫌になってきた。だが、中に潜んでいる暴霊をみすみす逃がすわけにはいかない。近くに車を停め、秋山達7人は外へ出た。
「皆、気ぃ引き締めとけよ。暴霊以上に面倒くさい相手だからな」
「はい」
「よし。じゃあ、任務開始」
7人は深呼吸して校舎に入った。
時刻は午後2時30分。直に授業は終わる。その方が楽だ。子供が邪魔なのだ。こんな事を安藤に言えば怒るかもしれないが、浄霊は例のごとく激しい仕事だ。あちこち動き回られては暴霊を倒せないのだ。
秋山達はまず校長室に向かった。すぐに用は無くなるだろうが、一応挨拶せねばならない。校長は人柄の良さそうな男だ。
「では、宜しくお願いします」
「はい。今日はもう授業は終わりですから、調査は明日からですね。中を見て回っても良いですか?」
「勿論です」
握手を交わし、秋山達は廊下へ出た。そして、メンバーを6ヶ所のポイントに配置した。これなら暴霊が何処にいてもすぐにわかる。秋山はこの全てのポイントを回ることにした。暴霊とまともに戦えるのが彼1人だからだ。だが、理由はそれだけではなかった。実は秋山、この学校に来たのは今日が初めてではないのだ。
彼が最初に向かったのは4階にある3年3組の教室だった。今から7年前、少しの期間だけだったが、秋山はここの教壇に立っていたのだ。墓守になる前は教師を目指しており、教育実習生としてやって来た。そのときの担当が3年3組だった。7年ぶりに教壇に立ってみると、あの頃のことが走馬灯のように浮かんできた。
教育実習生というのは兎に角子供にモテる。新しく来た先生といち早く仲良くなりたいのだろう。秋山も初日からサッカーやら鬼ごっこやらに参加させられた。彼を取り合って喧嘩する生徒もいた。
子供達と楽しい時を過ごしていたある日、秋山はあの生徒達に会った。皆が遊んでいるのに、その2人はどのグループにも属そうとせず、いつも浮いていた。2人で話をしている時もあれば、別々に自習したりしていた。気になった秋山は、そのうちの1人に声をかけた。短髪の少年だった。
「みんなと一緒に遊ぼうよ」
1人でいるよりも楽しいに決まっている。当時、人間関係でさほど悩まずに成長した秋山青年はそう信じていた。だが、少年は嫌がった。
「嫌だ。どうせいじめられるんだ」
「いじめ?」
「僕が入ろうとすると無視するんだ。それに、朝学校に来ると上履きを隠されたりするんだ」
いじめ。どの環境においても必ず発生する現象。あれは、自分が潰されるのが恐いから、先に誰かを潰そうとするのだ。だからいじめっ子こそが雑魚なのだ。そんな持論が小学校3年生に通じる訳はない。ましてその経験の無い彼が大したアドバイス出来る訳でもない。なので、秋山はこう聞くしかなかった。
「先生には相談した?」
「え?」
「先生なら何かアドバイスを」
「無駄だよ。先生も屑だから」
丁度、もう1人の少年が現れた。他人を小馬鹿にしたような目つき。どこか大人びたその少年は、校内で際立って見えた。
「女子は贔屓するし、連絡帳に書いて相談すると、みんなの前でそれを読み上げて、親を馬鹿にする。そんな奴に頼んでも無駄でしょ?」
思わず絶句してしまった。教師の不祥事に関してはニュースで稀に聞いていたが、まさか自分の担当がそんな教師だったとは。何だか騙された気分になった。
「誰も助けてくれないんだ。だから僕は1人でいいんだ」
短髪の少年は孤独に生きることを受け入れていた。担任の話によれば、彼の両親は事故死していて、今は祖父母が面倒を見ているそうだ。だが、その発言を聞いて、もう1人の目つきが鋭くなった。
「そんなこと言うなよ。俺がいるだろ? お前が挫けそうになったら、俺が助けるから、だから、そんなこと言うなよ!」
あの少年のことは未だに覚えている。大人びた雰囲気からなのか、友人を大切にする思いの強さからなのか。兎に角、彼とはつい最近会ったかのような感じがする。
人との繋がりを大切にする少年と、1人になる方が楽だと言う少年。正反対の2人。今はどうしているのだろう。理想とは違う教育の現場の真実に気づき、秋山は教師になる夢を捨てた。だから、その後彼等がどんな進路に進んだかもわからない。そういえば名前も覚えていない。2人はそのとき名札をしていなかった。あれもいじめだったのかもしれない。どの道、子供を苦しみから救えなかった自分は教師には向いていなかったのだ。
そんなことを考えていた、当にそのとき、
「来たか、秋山荘司」
「あ?」
出入り口の方を見た。
沈み始めた日の光に照らされ、それは立っていた。山猫の様な体から生える黒い刃。腕に装着したカギ爪。これが校内で動いている暴霊か。それにしても何故暴霊が秋山の名を知っているのか。術師に雇われたのか。
だが、そんな事は関係ない。秋山は自らの指を少し噛み、出た血をステッキに吸わせた。すぐに許可が降り、アヌビスの姿に変わった。
暴霊が攻撃を仕掛けてきた。かなり素早く、1歩で秋山の目の前まで来たかのようだった。暴霊のカギ爪がアヌビスを襲う。続けて脇腹を蹴ってバランスを崩し、その隙にカギ爪でもう1撃食らわせた。この力、普通の暴霊ではない。手に入れた能力と自分の体力が合わさり、強大なパワーを生み出している。アヌビスは感づいた。暴霊ではない。降霊術師だ。
「話は聞いている。強いらしいな」
「ほう、そっちじゃ有名人のようだな!」
アヌビスも負けじと棒を使って術師にダメージを与える。彼は関節や鳩尾等を狙って突くため攻撃に無駄がない。その技術を持ってしても、術師が怯むことはなかった。相手は攻撃を驚異的なスピードでかわし、棒をはたき落とした。更に、カギ爪の先がアヌビスの目の前まで迫っていた。固まるアヌビス。術師はトドメは刺さず、手をおろして出入り口の方へゆっくり歩き出した。秋山も元の姿に戻っていた。後ろから攻めても反撃を食らうだけだ。
まさか獲物を逃がすことになるとは。今まででは考えられなかった事だ。自分もまだまだということか。だがそれよりも、秋山は別のことを考えていた。あの術師が自分の名を知っていたということだ。初めて見る相手だった。名を知っているということは、向こうに墓守の情報が洩れているのかもしれない。それか、嘗て秋山が会った人物か。どちらにせよ、余り宜しくない事態である。
「こちら秋山。降霊術師を発見、しかし取り逃がした。校内にはもういないだろう。1度引き上げよう」
連絡してから、術師が去った方向を見た。妙な胸騒ぎを覚えた。自分でも経験したことのない感情に秋山自身驚いていた。
・ビースト・・・秋山の前に現れた新たな術士。山猫の姿をしており、キャファール同様素早く動くことが出来る。何故秋山のことを知っているのかは不明。




