不協和音
彼女の奏でる音は不幸を呼ぶ。最初に言い出したのはマスコミだった。実際、彼女の音楽祭の関係者が、ここ2週間で何人も事故にあっている。中には今も意識が戻らない人もいる。
その音色の裏には、何が隠されているのだろうか。
新宿にある『田宮ミュージックスタジオ』。ロック、オペラ、演歌……。ジャンルを問わず、様々なアーティストが集う有名なスタジオである。
秋山荘司達の車はそこに向かっていた。勿論、ボディーガードとしてである。以前は総理大臣の警護というハードな仕事だったが、今回はとあるバイオリニストの警護だという。依頼してきたのが関係者ではなく平岩だということは、ここでも暴霊が裏で動いているのだろう。
スタジオはかなり大きく、駐車場まで完備している。車を停めて外へでると、秋山は部下達に仕事内容を再確認させた。
「今回も只の警護じゃなく暴霊が絡んでる。気を引き締めて、それから何時でも浄霊出来るよう武器も準備しとけ。じゃ、仕事にかかりましょう」
「はい!」
秋山を含めた7人が、バイオリニストの兵藤遥とスタッフ達の待つ部屋に向かった。部屋は2階にあるという。エレベーターに乗り込み、上に到着すると、遥達がいる広間を探した。どうやら他のアーティストも来ているらしく、秋山の知っているロックバンドとすれ違った。
前方に目的の部屋が現れた。1度ノックしてから秋山は扉を開けた。その途端、済んだ音色が聞こえてきた。ここは防音室だったようだ。広い部屋の中では赤いドレスを着た女性がバイオリンを引いていた。周りには何人ものスタッフがおり、その中に手帳を睨んでいる男性がいた。きっとマネージャーだろう。その横には女性をじっと見つめている、髪の長い男性が立っている。男性は秋山達を見ると、女性に演奏をストップさせ、7人の方へ歩み寄った。
「どうも。音楽プロデューサーの瀬上俊樹です」
「責任者の秋山荘司です。それから部下。今日は兵藤遥さんのボディーガードとしてここに来ました」
「ボディーガード?」
女性が秋山達の方を見た。茶色に染めた長い髪に、雪のように白い肌。ひと目惚れしてしまいそうな程美しい。彼女が兵藤遥。噂は聞いていたが本当に綺麗だ。しかし、その瞳はどこか冷たい印象を与える。遥が俊樹の横に来ると、彼は話を続けた。
「彼女が、兵藤遥です。明日は彼女のステージがありまして、皆さんにはそこで警護していただきたいのです」
「何かあったんですか? 不審物が送られてきたとか、襲われたとか」
「いえ、彼女は何の被害も受けていないのですが、このイベントのスタッフが相次いで事故にあっておりまして」
それは2週間前から始まった。
最初はイベントについて纏められたデータが消去されたり、試作品のポスターが全て破られたりしていただけだった。だが、日を追う毎に事態は悪化していった。イベント会場で照明が落下して1人が足を骨折した。また、今回はピアニストとのコラボもあったのだが、そのピアニストが交通事故に遭って重傷を負い、コラボは無しになった。この他にも階段からの落下等で何人も怪我を負っている。
立て続けに何度も発生するため、責任者達は、何者かが音楽祭を止めさせる為に邪魔をしているのではないかと考えた。1度は中止も検討したが、他のメンバーや、何より遥自身の願いもあって、予定通り明日行われることが決まった。次は遥が狙われるかもしれない。だから秋山達が呼ばれたのだ。
今日はここからは出ず、俊樹と曲目の練習に専念するそうだ。プロであっても手は抜けない。ちょっとした油断がミスを招くのだ。
「我々は入口を中心に警護します。不審者を見つけたらすぐに確保します」
「お願いします。じゃ、遥」
「瀬上さん」
遥の声のトーンが高くなった。
「やっぱり私、このプログラムじゃ納得いかないの」
「何を言ってるんだ? これまで君の要望は全て採り入れてきたじゃないか。日にちだって明日に変更しただろう。流石にプログラムばかりは」
「変えたって客はわからないでしょう? 兎に角、私にはやりたい曲があるの。それに、頼んでないのにボディーガードなんかよこして、気が散るでしょう?」
静かな女性だと思っていたが、少々我が儘な面もあるようだ。いったい今までどんな要望を言ってきたのだろう。しかも今度は、自分がやりたいという理由でプログラムを変えたいと言い出す始末。俊樹を始め、周りのスタッフも困惑していた。良い印象を持っていた秋山は少しがっかりした。
「わかった。考えておこう。先に行って待っていてくれ」
そう言われ、遥は何も言わずに部屋を出て行った。
「いつもあんな感じなんですか」
「……彼女も最高の音楽祭にしたいと思ってるんですよ。それなんで、当初私が考えていたのとは内容も大分変わりましたね」
「へぇ」
「あ、でも、不満はありません。実際遥の提案はかなり良いですからね。明日が楽しみです! じゃ、これから違う部屋に行きます」
「はい」
俊樹に連れられて秋山達は部屋を出た。次は打ち合わせがあるのだという。同じ階にある打ち合わせ室。そこに行くらしい。もと来た通路を戻り、エレベーターとは反対側の方へ進む。その角を曲がった瞬間、通路の先に転がる赤い物体が目に入った。それは、頭を抱えてうずくまる遥だった。皆が遥に駆け寄る。
「兵藤さん? 兵藤さん!?」
「遥! 何があった?」
「あ、あれ」
遥が部屋の中を指差した。秋山が中にはいると、そこには地獄絵図のような光景が広がっていた。
壁が赤く染まっており、宙には6つの楕円形の何かが浮かんでいる。よく見るとそれには目や鼻、耳や口がついている。そう、生首だ。頭からは光る筋が伸びている。ピアノ線のような物か。そして目線を落とすと、椅子に首の無い人間が6人座っているのが確認出来た。
どうやら不審者は、この建物の中に忍び込んでいるらしい。今までは怪我までだったが、とうとう殺人に発展したか。
「わ、私が来たときには、こうなってた……」
「彼女から離れるな」
そう部下に命じ、部下を遥に付かせた。
秋山達も通ってきたが、入り口ではまず受付でサインをしないと入れない。部外者は当然立ち入り禁止だ。
「まだ奴はいる。しかも、あの中に」
秋山は、後ろで遥の様子を窺っているスタッフ達を睨んだ。
取りあえず遥達を先程の部屋に戻してから、秋山は1人で血の部屋に戻った。やはり1人で動いた方が楽だ。新人の担当はかなり疲れるのだ。だから、戦闘中や今のように調べ物をする時などは一般人の警護につかせてしまう。5、6人も一緒に来られると、大事な仕事の時は兎に角邪魔なのだ。取りあえず警察に連絡しておいた。ただ、後々浄霊するため、また1つ迷宮入りする事件が増えてしまうだろう。生前に遺書でも遺してくれていればまだ良いのだが。
秋山は透明な糸に触れてみた。この感触。もしやこれは、ギター等の弦なのではないか。彼は若い頃にギターをいじっていた。そのときの弦の感触と、首をぶら下げている糸の感触が似ていたのだ。バイオリニストである遥に対する嫌がらせ。だから暴霊は弦を使ったのだろう。ここまでする程彼女を恨む人物が、あの中にいるだろうか。
他に何か無いか探していたが、警察が来ても困るので部屋から出た。その少し後に警察が来た。秋山は身分証を出し、刑事達に現状を報告し、遥達の部屋に帰った。廊下を進み、広間の扉を開ける。驚いたのは、彼女がバイオリンを引いていたことだ。
「あの」
「あっ、いや、明日の音楽祭は絶対やると言って」
これ程冷静でいられるとは。まさか、暴霊は他でもない遥その人なのか。先程のうずくまっていたのは芝居だったのかもしれない。思えば先にあの部屋に行ったのは遥だ。暴霊ならあれ位の芸等はやってのけるだろう。彼女もマークする必要がある。
警察が部屋に入って来ると遥は演奏を止めた。自分の演奏を止められ不機嫌そうだった。
「申し訳ありません。警察です。ここで起きた事件について、皆さんの取り調べをさせてもらいます」
「な、なんで、我々だけなんだ?」
俊樹が言った。続いてマネージャーや他のスタッフもどよめきだした。
「勿論、中にいた全員の取り調べを行っています。下でもやってますから」
刑事が全員を静めるかのように大きな声で言った。皆が黙った。
「では、1人ずつお願いします。あなた方も」
SPであっても容疑者に含まれる。秋山達は特に疑われているのではないだろうか。特殊な職に就いているからだろう。
それにしても、先程全員が騒いだことが余計に怪しい。間違いなくこの中に潜んでいる。こうなることも予期していたかもしれない。
取り調べは順調に進み、午後7時には全員終了した。明日の本番は延期した方が良いと警察が提案したが、秋山達が警護していることと、何より遥自身の願いもあり、一応延期はなくなった。
もう時間も時間なので、今日は全員帰宅することにした。1晩中起きていて明日の音楽祭に支障を来すことがないように、である。遥は秋山が車で家まで送ってゆくことにした。彼女が明日の音楽祭に拘る理由も気になったし、仮に彼女が暴霊であった場合、すぐに浄霊出来るのは秋山だけだったからだ。遥は嫌そうだが、安全の為だと言って承諾させた。マネージャーは名刺を渡し、秋山達に深くお辞儀した。名刺には、刈谷公弘と書いてあった。公弘と俊樹は1人で帰ると言って先に出て行った。
「という訳で」
「……お願いします」
イラッとした態度で秋山に言うと、スタスタと先に行ってしまった。秋山は慌てて跡を追い、彼女に嫌みを言った。
「先に行っても車わからないでしょう」
「何なんですか?」
「ボディーガードですが」
「頼んでません」
「あなたはそうでも、事務所の方のお願いなんで」
今まで数々の要人を警護してきたが、バイオリニストを警護するのは今日が初めてだ。彼女の親戚に政治家が居るわけでもないのに。いや、その心構えが駄目なのかもしれない。どんな人でも守る、という意識が大切なのだ。その気持ちが無ければ墓守など務まらない。
車庫に着くと遥を自分の車に案内した。秋山は部下だけ大型車に乗せ、自分だけフェラーリで来るのだ。当然スピード制限は守っている。助手席に遥を座らせて、秋山は愛車のエンジンを唸らせる。その振動に遥は辺りをキョロキョロ見回した。スポーツカーに乗るのは初めてのようだ。見回した後は秋山を、まるで不審者でも見るような顔で睨んだ。
「そんなに怒らないでくださいよ」
「怒ってません」
「どう見ても怒って……」
「怒ってません!」
少し度が過ぎたか、遥はますます機嫌を損ねてしまった。しばらくの間2人はひと言も発しなかった。その状態が、なんと20分程続いた。このままでは、遥が音楽祭に拘る理由がわからない。それが、この事件の真相に近づけてくれる気がする。早く聞かなくては。タイミングを見計らって、遥に尋ねるのだ。
ところが、長い沈黙を破ったのは遥だった。
「どうせあなたも、私を我が儘な女だと思ってるんでしょ?」
「いやいやそんな。結構拘りがあるみたいですね、音楽祭に」
また沈黙の時間が幕を開ける。だが今度は先程より短かった。
「特別だから」
「え?」
「明日は、特別な日なんです」
遥は、自分のことについて語り出した。これは予想外の展開だ。まさか彼女の方から話してくれるとは。
「母の命日なんです」
「お母様の」
「私が10歳の時に亡くなったんです。バイオリンは母から教えてもらったんです。技術や曲……兎に角あらゆることを教えてくれました」
プロバイオリニスト、兵藤遥。今の彼女が存在するのは、誰よりも彼女の母のおかげだったのだ。
それから遥は母との記憶を次々に話し出した。母親は自分が以前聴いた曲を遥に教えた。別に名音楽家が作った物ではなく、母の叔父が作った曲なのだという。曲名は『浄化』。母親はそれを大層気に入り、楽譜を叔父から譲り受け、更にそれを娘の遥にも伝えた。最初に遥に引いてやったのも『浄化』だったらしい。
「『浄化』は私と母の思い出の曲。だから、命日にあの曲を引きたかったんです」
「そうだったんですね」
遥に対する疑いの念は消え失せた。彼女は純粋に、そして心から音楽祭を成功させたいと願っていたのだ。
話している内に、車は遥の家に到着した。大豪邸だ。ホテルと言っても通じるのではないか。車から降りた遥に、秋山はこう言った。
「明日の音楽祭、成功させたいですね」
言ってすぐ顔を赤らめた。今までそんなことは1度も言ったことが無かったからだ。
遥は一瞬驚いた顔をしたが、すぐ真顔に戻り、深く礼をした。フェラーリは家から遠ざかってゆく。ハンドルを操作しながら、秋山は明日のことを考えていた。彼も密かに、『浄化』を心待ちにしていた。暴霊がまた邪魔するかもしれない。そのときは全力で、遥を、思い出の音色を守るつもりだ。
翌日。本番3時間前。秋山達は音楽祭が行われる会場に来ていた。文京区にある会場だ。仕事内容を再確認した後で、ホール内に入ると、既に遥達が中でリハーサルを行っていた。目が合うと遥からお辞儀してくれた。
刈谷公弘が走り寄り、改めてSP全員に挨拶した。
「宜しくお願いします」
「はい。あれ、瀬上さんは?」
「それが、まだ来てないんです。無事なら良いのですが」
「心配はいらない!」
ホール内に男の声が響きわたった。入口を見ると、外の光に照らされた瀬上俊樹が立っている。俊樹は扉をバタンと音を立てて閉めると、スタスタとステージに向かって歩いてきた。
「私は無事だ。そして、イベントは中止だ」
「え?」
「中止? どうして? 私は」
「お前には愛想が尽きたよ、遥!」
昨日とは真逆の、遥のことを否定する俊樹。その目は嫌らしくねじ曲がっている。
「遥、お前の音楽を決めるのはプロデューサーのこの私だぞ? 賞だって貰ったことのある私なのだぞ? その私のアドバイスはこれっぽっちしか聞かないで、ステージに立ったことの無いような女のことばかり……」
その女というのは遥の母親のことだろう。
まさか、イベントを中止させようとしていたのは俊樹だったのか? しかも、自分の思い通りにならない遥に対する復讐として。そんな理由の為に彼女の思いを潰そうとしていたのか。
俊樹の手から弦のような糸が飛び出し、遥の首に巻き付いた。
「な、何を?」
「お前は私の作品なのだ。だからお前を、永遠に私の物にする」
近づく俊樹。その手には赤い剣のような物が握られている。このままでは、遥が殺される。
身体が勝手に動いていた。秋山はステッキを取り出し、俊樹の顔面目掛けて投げていた。衝撃で糸が仕舞われ、俊樹は転倒した。
「全員を連れて逃げろ! 早く!」
部下に指示して全員をホールから避難させた。走ってステッキを拾うと、悶えている俊樹にもう1撃食らわせた。
「要人を護らなきゃなりません。あなたを、いや、お前を潰す」
ステッキを構える秋山。俊樹は頭をさすりながら立ち上がり、彼を睨み付けた。
「お前に何がわかる!」
俊樹が跳躍して秋山の方に飛んでくる。だが、ステッキで払われてステージに墜落した。秋山もジャンプしてステージに登る。
「あそこじゃ狭いでしょうからね。こちらに移してあげました。もう手加減無しですよ」
「くくくくく、あっはははは!」
高らかに笑い、俊樹は剣を振り回す。そして素早く秋山の前まで移動し、剣で腕に切りかかった。簡単にステッキで防ぎ、更に腹を突いた。苦しそうにはするのだが、玩具の様に何度も笑いながら飛び起きる。
「あいつは私が育てたんだ。私の作品なのだ! 私の教えていないことをしたら、作品では無くなってしまう!」
「初めからお前のものじゃない。そしてお前に、彼女をあれ程のバイオリニストに育てられる訳がない。お前はただの、屑だ」
「屑?」
俊樹の顔から笑みが消えた。プロとしての意識が強い彼にとって、屑という言葉は彼が最も聞きたくない言葉なのだ。それはまさに、不協和音。
「屑じゃない。屑じゃないっ、屑じゃないぃっ!」
俊樹の身体が炎に包まれ、瞬く間に赤い暴霊の姿に変わった。虫の音楽家とでも言ったところか。左腕はバイオリン状になっている。それが糸を発射する原理だろう。となると右手の剣は、バイオリンを引くための道具なのか。
本性を現した暴霊には同等の力で対抗するしかない。指の先をひと噛みして血をステッキに吸わせた。契約が成立し、彼はアヌビスの姿に変わった。
剣をバイオリンに当てて汚らしい音を奏でる暴霊。その音は空間全域を震わせた。バランスを崩したアヌビスに糸を放ち、入口の方へ投げ飛ばした。あの糸、斬るのは難しいようだ。アヌビスはすぐに立ち上がり、飛び上がった。暴霊も同時にジャンプし、2人は空中でぶつかり合った。剣とステッキが交わる度に金属音がこだまする。暴霊は攻撃のスピードも速く、アヌビスはなかなか隙が見いだせないでいる。
「やむを得ないか」
アヌビスはステッキの持ち方を変え、暴霊の身体を連続で突いた。煙を上げながら暴霊が再びステージにたたき落とされる。お返しとばかりにまた汚らしい音を出そうとしたが、それは失敗に終わった。何故なら、バイオリンが突きで壊されていたからだ。身体の所々に空いた穴が攻撃の強さを物語る。アヌビスもステージに着地したが、右腕を斬られていた。持ち方を変えた時に剣の攻撃を受けてしまったのだ。だが、攻撃手段を2つ失った暴霊の方が不利。ダメージもアヌビスにとっては掠り傷程度の物だ。
「そろそろ終わりかな」
剣を乱暴に振り回しながら暴霊が迫る。しかし、アヌビスに攻撃する前に動きが止まってしまった。いつの間にか腕に鎖が巻き付いていた。その鎖は舞台袖の柱から伸びている。続けて床からもう3本の鎖が生え、4肢を固定された。
もう手出しは出来ない。アヌビスのステッキが輝き、槍に変わった。
「はい、」
すぐに槍を暴霊に突き刺した。傷口から青白い炎が噴き出し、暴霊が小さな悲鳴をあげる。
「終了」
今度は勢い良く槍を引き抜く。身体中に炎が回り、暴霊は爆発した。と同時に、秋山も元の姿に戻った。今日程満足する浄霊はない。
時計を見ると、開始までまだ2時間あった。
「間に合って良かったな」
秋山は避難させた遥達を呼びに向かった。
3時間後。遥の音楽祭は予定通り行われた。SP達は3人ずつ、1階と2階に待機している。秋山は1階の、舞台に近い場所に立っている。客は2階席まで埋まっており、皆彼女の演奏を楽しみにしているようだった。
大歓声に包まれて、桜色の美しいドレスを纏った遥が舞台に上がった。手にはバイオリンを持っている。1礼して楽器を構える。そのとき、秋山とまた目があった。もう彼女からは秋山を嫌悪する気は感じられない。
まずは有名な楽曲を5曲引く。1つの曲が終わる毎に客が盛大な拍手を送った。
対談イベントがあり、もう2曲演奏し、いよいよあの曲の番になった。遥と母の思い出の曲。バイオリンに弓が添えられる。そして、
「あぁ、これは」
音を聞いていると、仕事で溜まった疲れが一気に吹き飛んでゆくかのようだった。そうか、これが浄化か。客も幸せそうな顔をしている。疲れやストレス、不幸。そういったものをこの曲が浄化してくれたのだ。
このままずっと、この音色を聴いていたい。今まで仕事中心だった秋山にとって初めての感情だった。
音楽祭は無事終了し、秋山は遥と話をしていた。その様子を、部下はニヤニヤしながら見つめている。
「良い曲でした」
「ありがとうございます」
「初めて言ってくれましたね」
「え? そうでしたっけ」
いつの間にか秋山に心を開いていた遥。思わず吹き出してしまった。
「あ、ごめんなさい」
「いえいえ。じゃ、我々はこれで」
これは仕事だ。秋山程のクラスになるとすぐに新しい任務が入る。ゆっくりしていられない。遥は帰ろうとしていた秋山に慌てて声をかけた。
「あの」
「はい?」
「お礼がしたいんで、空いてる日、無いですか?」
「すいません。仕事がどんどん入って来ちゃうんで。でも」
秋山は遥の方に振り向き、笑みを浮かべて言った。
「また音楽祭があったら呼んでください」
秋山は部下の待つ方へ向かって行った。
必ず秋山を呼ぼう。ホールから出て行くボディーガード達の後ろ姿を見て、遥はそう心に決めた。
・ソロ・・・虫の音楽家のような姿をした暴霊。肩に取り付けられたバイオリンを引くと空間全体を揺るがすことが出来る。また、糸を飛ばしたり、弓に似た剣を使って戦う。




