智天使
神田明宏との戦いから3日後。
悠真と安藤はHYコーポレーションへ行くことを計画していた。この頃悠真の身に起きている異変について何らかの意見を聞くためだ。
しかし、墓守としての仕事以外にもやらねばならないことは山ほどある。残念ながらすぐに会うことは出来なかった。
「どうすりゃ良いんだろうな」
「いや、俺は大丈夫ですよ。ほら、ピンピンしてますし」
「わからねぇだろ、もしかしたら次は本当に……」
「大丈夫ですって。俺はそう簡単には死にませんから」
安心させようと悠真が笑顔を作って言った。だが、内心かなり不安だった。ナーガとの戦いで、悠真は恐ろしい感覚に襲われた。自分が、何かに飲み込まれて行くような感覚だ。まず耳が良く聞こえなくなり、手足の感覚が痺れてゆくのだ。
恐れていることが起き始めている。そしてそれを、自分でもどうすれば良いかわからない。この調子で、果たして今まで通りの生活が送れるのだろうか。今まで倒してきた霊達のように暴走してしまうのではないか。そうなったとき、安藤や恵里は……。
「この頃浄霊の回数が多かったからな。兎に角、お前も戦うときは気をつけろよ」
「はい。でも、もしマズいことになったら、そのときはお願いします」
少し間があったが、安藤は笑いながら答えた。
「当然だろ、責任者は俺だからな」
その間にも、術士達は次の行動を起こしていた。
都内の総合病院の屋上。そこに、術士・後藤英明とサラリーマン姿の男が立っている。おそらく男はもうあちら側の存在なのだろう。
「さて、どうですか? 降りてきた気分は」
「全然、気持ちよくない」
「でしょうね。でも、これからもっと人を殺せば、いずれは気持ちも晴れると思いますよ?」
男はゆっくりと目を瞑り、意識を集中させた。
「思い出してみなさい。あなたは何故、ここで死ななければならなかったのか。家族と離ればなれになってしまったのか」
「この、病院のせい」
眉間に皺を寄せ、男はもう1度目を開いた。男の怒りに呼応して、青白い炎が足下からわき上がった。炎はあっという間に男を包んでしまった。
「そうです。怒りをぶつけるのです。あなたを殺した、この病院に! あなたを見殺しにした世間に! 思い出すのです、あの日、ここから飛び降りたときの怒りを!」
炎が生き物のようにうねり、男の体から離れてゆく。
男の姿は、瘤だらけの異形の怪物に変化してしまった。生前の恨みが彼の体を変えてしまったのだ。
右手を振り回して、暴霊は屋上から去って行った。後藤に指示された通り、復讐しに向かったのだ。それで、心が晴れると信じているから。
「愚かな霊だな、本当に」
暴霊が真の快楽を得ることは永遠に無い。彼等は永遠に暴走を続けるのだ。それをわかっていながら霊を降ろすもの、それが降霊術士なのだ。
暴霊は下に降りると早速行動を起こした。
おぞましい怪物を目の当たりにして逃げ惑う人々。その中から1人選ぶと、暴霊は右手をそちらへ向けた。右手は大きな瘤の塊になっており、ハンマーのように使用することもできるだろう。その瘤から、何やら黄色い液体が発射された。液体が看護師に直撃すると、看護師の体にいぼが現れた。いぼは大きくなり、それに合わせて看護師の体調にも異変が起きる。目が見えなくなり、息が出来なくなり、そして遂に、死に至った。
当然この1人だけでは怒りは収まらない。次のターゲットを見つけると、暴霊は右手の瘤で何度も殴ったり、先程の液体を発射したりして他人を襲った。
「まだだ、まだ足りないぃぃっ!」
HY本社から出るや否や、安藤の携帯が鳴りはじめた。相手は平岩だった。
『すまない。新しい暴霊が現れた。これからメールで場所を伝えるから、すぐに向かってくれ』
「暴霊? わかりました」
「出たんですか?」
安藤は携帯の画面を見ながら悠真の問いに答えた。
「ああ。車で来て正解だったな」
現場の情報が届いた。
近くに停めておいた車に乗り込み、2人はそこへ向かった。
少し走ったところでまた携帯が鳴った。安藤は運転中なので、代わりに悠真が出た。
「はい?」
『あれ? 安藤?』
秋山壮士だった。何やら慌ただしいようだ。
『一応安藤に伝えてくれ、暴霊が現れた。場所は本部近くの公園だ』
なんと、先程とは別のポイントで暴霊が現れたらしい。今日の術士はいつにも増して仕事が速い。墓守の邪魔をするつもりだろうか。
さらに別のメール。これは、東京都内全ての墓守に送信されるメールだ。こちらの内容も暴霊出現の知らせ。しかも同時に5カ所。今の2つとあわせれば7カ所ということになる。
「安藤さん!」
「くそっ、あいつら何考えてやがる!」
更に追加でもう2体出現した。しかも、今悠真と安藤がいる場所のすぐ近くだ。車内から見えるのではないかと辺りを見回すと、近くのビルの屋上から何かが落ちて来るのが見えた。金色の長い髪を持ち、足の太ももにあたる部分も毛皮で覆われている。そして両手が異様に大きい。別の場所に視線を移すと、そこにも同じような姿の獣が見えた。
「青年」
「わかってます」
悠真は急いで車から降り、同時に0に姿を変え、その場から暴霊がいる所まで高くジャンプした。すると相手もそれに気づき、大きな手を扇子のように動かし、風を起こした。風はかなり強く、0が吹き飛ばされそうになってしまった。
すかさず武器を遠距離戦使用の銃に変え、暴霊に向けて発砲した。弾は両手に命中したため、風がおさまった。
「今度は俺の番だ」
再度暴霊に飛びかかる0。銃を大剣に変え、相手ののど元に刃を直撃させた。刃はあっという間に暴霊の頭を体から切り離してしまった。
まずは1体。あとは別の個体だ。
振り返ると、ちょうどその個体がこちらへ向かって来るところだった。近くで見ると、相手には目がなく、大きく開いた口からは鉄の歯が生えていることがわかる。そして関節付近には、猫の眼に似た装飾が施されている。
2体目も同じように大きな手を駆使して戦う。風を起こして0を怯ませ、その隙に手の先端についた爪で斬り掛かる。間一髪大剣でその攻撃を受け止め、更に手を切ろうとする。が、思いのほか手が硬い。先程銃弾が命中したのが嘘のようだ。
だが、暴霊も0よりは体力が無く、戦線離脱することにした。0を蹴飛ばし、足で地を蹴って高くジャンプした。
逃がすわけにはいかない。0も同じように宙を舞い、大剣をブーメランのように投げ、暴霊の胴に命中させた。胴は手ほど硬くなく、暴霊は真っ二つに避けて消えてしまった。
浄霊が終了してから、悠真は元の姿に戻って安藤の車に再び乗り込んだ。
「おつかれさん。でも、まだ終わりじゃないぞ」
「わかってますよ」
戦いの最中、悠真はあることに気づいた。暴霊の姿が全く同じだったということだ。
普通暴霊は、生前の未練や欲望に応じた形で現世に蘇るため、全く同じ姿になることは滅多に無い。となると先程の2体はどのような経緯で現世に現れたのだろうか。
車は次の目的地へ。今日最初に受けた任務を遂行する。場所は都内の病院。車を降りて中に入るが、中は地獄絵図のようだった。あちこちに褐色の水たまりが出来上がっていて、そこから白い靄が立ちこめる。水たまりの上に何かの残骸がある場所も。彼等はきっと、暴霊に襲われた人間達だ。
「暴霊は何処だ?」
「……気配はありませんね」
「まさか、外に出たんじゃねぇだろうな? だとしたら危険だぞ!」
この様子では、暴霊は既に自分では抑えきれぬほどに暴走している。当初の未練・欲を忘れて手当り次第に人を襲う危険がある。念のため、安藤が秋山に連絡をしておいた。彼とその部下も何処かで暴霊と戦っているだろう。
しかし、その必要は無かったようだ。悲鳴が聞こえた。近くの公園からだ。その公園はかなり大きい。しかも今日は休日であるから、多くの客が足を運んでいる。急いで現場に急行すると、噴水のある広場で瘤だらけの怪物が暴れていた。あれが、病院に出現した暴霊か。こちらは固有の姿を持っているため、何らかの恨みによって留まっている者だろう。
怪人が瘤から液体を発射し、人々を殺害してゆく。やはり先程の被害者達は皆この霊に襲われたのだ。
すぐさま0とアサシンの姿に変身して暴霊を攻撃する2人。相手もそれに気づいて液体を飛ばしてきた。だが、変身して霊力を纏った墓守にはその技は通じない。攻撃が全て無駄に終わり、暴霊は2人に斬りつけられてしまった。
「ぐっ、何だお前等は!」
普段なら傷を負わせることが出来るのだが、瘤が体を覆っているためダメージを軽減されてしまった。
今度は暴霊が、右手の瘤を振り回して襲いかかる。大きな瘤はハンマーになる。噴水もアスファルトも砕かれてしまった。いくら霊力を纏っていても、あの攻撃を受ければ暫くは容易に戦えないだろう。
「邪魔するな! 消えろぉっ!」
「青年!」
暴霊が0に襲いかかる。刀を素早く大剣に変え、刃の側面で攻撃を防ごうとしたが、ハンマーの威力は凄まじく、大剣も弾かれてしまった。
追いつめられた0。目の前にはあの大きな瘤。コンクリートを砕くほどの技を至近距離で食らえばひとたまりも無い。
ハンマーを構え、1歩1歩距離を縮める相手。だが、そのとき、またもあの現象が巻き起こった。0の眼が黒く染まったかと思うと、彼の体から黒い靄が放出され、あっという間に暴霊を飲み込んでしまったのだ。靄の中から暴霊の悲鳴が聞こえてくる。アサシンが0を止めようとすると、何処からともなくあの獣の姿をした暴霊が現れたのだ。こちらも先程0が倒した個体と同じ姿だ。
戦っている暇は無い。トラップを駆使して簡単に暴霊を蹴散らすと、0の肩に手を置き、激しく揺さぶった。すると、見る見るうちに眼に光が戻り、あの靄も綺麗に晴れてしまった。暴霊はかなりのダメージを受けたらしく、生前の人間の姿に戻っていた。しかも全身傷だらけだ。あの中で何が起きていたのだろう。
「ちくしょう。俺はまだ、復讐を……ううっ!」
男が苦しそうな声をあげた。見ると、男の胸に大きな穴があいている。穴から青い炎が噴き出し、彼の体を燃やしてしまった。
今のは何だ? 0もアサシンも何もしていない。2人が辺りを見回していると、
「ここにいたか」
広場に黒のロングコートを着た男がやって来た。長髪で眼鏡をかけている。歳は30代くらいだろうか。悠真と同じように肌が白い。
この男は味方ではない。そう感じた。
「お前が、死に損ないの墓守だな」
墓守という言葉が出るということは、彼は同業者、あるいは相対する存在ということだ。
「術士か」
「初めまして。神田が世話になったな」
「神田……お前が術士の主か? お前が文献を持ち出した元墓守か?」
「主は俺よりも偉大な存在だ。俺達よりも、お前達墓守よりもずっとな」
男が手を伸ばすと、そこに1本の剣が現れた。それを掴んでひと振りすると、黒く大きな弾が3つ現れ、アサシンの方へ発射された。致命傷は負わなかったものの、足に攻撃を受けてしまった。
「お前には用は無い」
「じゃあ、俺か」
0が大剣を構えた。すると、一瞬だが剣の刃に黒い霧がかかった。霧は数秒で消えてしまった。
「死に損ない、俺について来い」
そう言うと、あの暴霊が倒れた場所から火の玉が現れて男に乗り移った。青い炎が巻き起こり、左右比対称の天使の姿に変わった。片方は白い翼が生えているが、もう一方には黒い翼が生えている。角が生えたような兜を被っているが、片方の角は欠けてしまっている。そして顔がある筈の部分には闇が広がっており、その中に黄色く丸い光が眼のように灯っている。
「来い。今のお前なら、簡単に空を飛べるだろう」
翼を勢いよく開き、術士は天高く舞い上がった。
「青年、ヤツを追え!」
「しばらく使ってないけど、やるしかないか」
0が手を空に向けて上げると、天から青く輝くボードが飛んできた。それに乗ると、ボードが0の意志に答えて浮き上がり、術士のところへ連れて行った。まるでサーフィンだ。
空では術士が剣を構えて待っており、0の姿を確認すると翼を動かして遠ざかった。0がそれを追いながら、弓を使って相手の翼を止めようとする。が、それら全てが黒い弾丸に弾かれてしまった。更に剣から衝撃波が数発放たれ、後ろを飛ぶ0を襲う。ボードを器用に使って攻撃を躱すと、黒い弾丸が連続で何発も飛んで来る。躱そうにも躱せず、弾丸がボードに直撃し、0は空から下へたたき落とされた。かなり遠くまで飛んできたようで、落ちた場所は山だった。
「くっ」
そこへ術士も舞い降りた。剣には黒と白の光が宿っている。
「その程度か」
「俺に何のようだ」
「主が興味を示しているのでな。お前は、他の墓守とは違うと聞いている」
それはもしや、突然発動するあの力のことを指しているのだろうか。0にはその理由がわかっているようで、術士から目を逸らした。
「どうだ、その力をもっと有意義に使ってみないか?」
「有意義? 何言ってんだ?」
「お前の力は、霊に逝くべき場所を示すためにあるのではない。霊を使うためにあるのだ」
「それは、お前等の方だろうが!」
弓を斧に変えて斬りかかる。だがそれも相手に見透かされており、いとも簡単に躱されてしまった。
「なるほど、まだ役には立ちそうもないな。まぁ安心しろ。俺達は常に扉を開いている。気が向いたらいつでも来い」
術士は人間の姿に戻ると、0にひと言伝えた。
「これはお前だけの問題ではない」
何らかの術を使用し、男は姿を消した。
自分だけの問題ではない。術士の傘下に入らなければ、安藤達を殺すという脅しだろうか。
他の墓守が襲われるのは避けたいが、彼等の仲間になる気は毛頭なかった。ボードに乗ると、0は元いた場所に戻った。公園では安藤が足を押さえて空を見上げていた。0の姿を確認すると、彼に向かって手を振った。
「やったか、青年!」
悠真は元の姿に戻って結果を報告した。
「すいません、駄目でした」
「そうか、まぁ気にするな。暴霊を呼び寄せてたのもアイツだろうな。……よし、取り敢えず、一旦帰るか」
「……はい」
が、術士が話したことは安藤にも伝えなかった。
その日、安藤宅に戻って来ると、まず安藤が上層部に結果を報告した。今回現れた複数の暴霊は、都内の墓守達の活動により全て浄霊出来たそうだ。が、術士と遭遇したのは悠真と安藤だけだった。
相手は悠真を探しているようだった。たった1人の墓守を探すためにあれだけの暴霊を解き放ったのだ。
「どうすればいいですかね? 仕事、控えさせた方が良いんですかね」
『いや、その必要は無い。西樹君なら心配ないだろう。これからも引き続き頼むよ』
「わかりました。では、また後日」
『ああ。私も時間を作っておくよ』
会話は終了した。
何にせよ、悠真の身に起きた異変を解決するためにはもう1度平岩に会う必要がある。墓守、降霊術などの文献が揃っているのは日本ではあそこしか無い。
「青年、今日はどうする? 泊まっていくか?」
「いや、帰ります」
1人で考える時間が欲しかった。安藤も察してくれたようだ。
支度を終えると、安藤に礼を言って悠真は部屋を出た。
「それじゃあ、また」
「夜道に気をつけろよ。まだまだ仕事は残ってるからな」
「ええ。安藤さんもね」
扉を閉め、アパートから出て行く。
道を歩く者は悠真以外おらず、何だか不気味だった。この闇から術士達が襲いかかってくるのではないか、そんな気がした。
「死に損ない、か」
自分の手を見つめて、悠真はぼそりと呟いた。
・キルボール・・・病院で死亡した男性が暴霊となったもの。体中が瘤に覆われているため防御力が高い。右手の瘤をハンマーにする他、念でつくった液体を飛ばして人間を死亡させることが出来る。
・マタタビ・・・都内に大量に出現した量産型暴霊。おそらく術士が造った存在だと思われるが、その経緯は謎に包まれている。大きな手で風を起こすことが出来る。
・ケルビム・・・悠真の前に突如姿を現した強力な術士。左右比対称の天使の姿をしており、黒い弾丸を放つか、剣から衝撃波を放つことで攻撃する。その素性はわからない。彼の上には主と呼ばれる存在がいるらしい。




