さらば安藤
それは、ある晴れた日の事だった。
安藤はいつものように目を覚ました。整理されていない部屋を出て、玄関を開け、ポストから新聞と数枚の封筒を取り出し、また中に戻る。ゴミの山の上に座り、封筒を見る。
ここまでは、いつも通りだった。その封筒を見るまでは。
「あ? H・Yコーポレーション?」
封筒を開け、中から紙を取り出し、それを広げる。紙の上に書かれた文字を見て、安藤の眠気は一気にさめた。
「人事異動?」
今日は珍しく、墓守の仕事は入っていなかった。悠真は他の友人と遊びに行くことにした。不安を紛らわせるために。
自分の身に起こった異変。浄霊した記憶が残っていない自分。今までそんな事は一度も無かった。
今日は恵里と会う以前のメンバーで集まり、久々に豪遊するつもりだ。悠真を入れて全部で5人。情報通の柏康介、資産家の息子である持田裕二、将来は研究者になりたいと言う木島仁、FXにはまっている硲洋平。個性的なメンバーである。
5人が向かったのは小洒落たレストラン。豪遊とは言うものの、派手なことは出来ないのだ。
「はあ、久しぶりだな。何頼む?」
「いや、ここに来たらハンバーグに決まってるだろ」
「いやいや何言ってんだよ。オムライスだよ」
お気に入りのメニューはそれぞれ違うようだ。結局、悠真と洋平がオムライス、仁がハンバーグ、康介と裕二がカレーライスを頼んだ。
平日のため客はあまりいない。その方が良かった。周りに人が大勢いるのでは楽しめない。久々に集まったということで、5人は今のバイトやはまっている物等の話をしていた。
「それでさ、バイトが決まった3ヶ月後には閉店になっちまってよぉ」
「ま、今は不景気だからね。FXってのも難しいんだろ?」
「そうそう、ちょっと目を離すともう状況が変わってんの」
「お待たせ致しました、ハンバーグです」
チーズとデミグラスソースのかかったハンバーグが仁の前に置かれた。その香りで5人の唾液腺が刺激される。
と、ここで悠真の携帯が振動した。席を離れてトイレに入り、携帯を見る。相手は安藤だった。
「何ですか? 今盛り上がってるんですがねぇ」
『悪いねぇ、君に伝えとかなきゃならねえ事があってよぉ!』
電話の向こうの安藤は酔っ払っているようだった。酒好きで普段から何杯も飲んでいるような男なので心配はしなかったが、彼が酔いながら電話を入れるのは初めてだった。
『俺、担当外れるみたいだわ』
「は?」
『人事異動だよ、人事異動! おっさん、もう1杯!』
「いやいや、飲め込めないんですけど」
『上から連絡が来たのよ! 遠方の墓守のサポート役らしい! んじゃ、涙が零れないよう、おいちゃんは上を向いて歩くよ』
と言って安藤は電話を切った。最後の方は訳がわからなかったが、とりあえず安藤は悠真のサポート役を離れ、遠方の新しい墓守をサポートするということはわかった。この様な重要な連絡は直接会うべきなのだが。泣くのを見られたくない、ということなのか。
トイレから出て席に戻ると、ムッとしているのかと康介に尋ねられた。どうやら安藤が電話で転勤を告げたことが気に食わなかったらしい。
「いや、キレてない」
「そっか。なあ、次はボーリングする計画なんだけど、行く?」
「おお、いいね!」
友人との楽しい時間を過ごす筈だったが、悠真は妙に不安だった。
瓶2本分の酒を飲み、ベロンベロンに酔った安藤がアパートに戻ってきた。
誰もいない部屋のドアを開け、ただいまと言って中に入る。この部屋で過ごすのも今週が最後だ。壁に貼ったあの紙を見てそのことを改めて自覚した。
紙には、転勤先は後日知らせると書いてある。その日付は丁度明日だった。渡す物が幾つかあるようで、指定された場所に行かねばならない。
悠真にも伝えておこうか、いや、別によい。安藤は溜め息をついた。酒の力を借りて寝ようかと考えていたが、転勤のことを考えているとなかなかそうもいかない。
眠れないなら仕方がない。どうせこの部屋も出るのだ。片付けをして夜を過ごすことにした。今まで部屋を汚くしていたことを後悔した。物をどかしてみれば、暴霊よりもおぞましい生物の死骸が出てきたり、数年前の新聞や雑誌が出てきたりした。大事な物以外は全て出しっぱなしだ。雑誌類は暴霊の動きを調べるために買うのだが、浄霊が済んでしまえばもう要はない。だが捨てるのも面倒くさい。だからこうして残っていたのだ。
要るものと要らないものに分け終えた時には既に朝の5時25分。テレビをつけると、アナウンサーが視聴者にお辞儀をしているところだった。
「もうこんな時間か」
何だか面倒くさくなってきた。引っ越すのはもう少し先なので、これくらいで終わることにした。テレビでは謎の事件についてキャスターが喋っている。夜の海に死体が上がった。これで4人目。暴霊の臭いがするが、もう自分には関係ない。いや、本当はどんな暴霊でも浄霊しなければならないのだが、今までと環境が変わってしまうためか妙にやる気が湧かない。
安藤は悠真との出会い、そしてこれまでの活動を思い返した。彼との出会いは他の墓守とのそれとは違ったものだった。
目頭が熱くなってきた。この様な経験は何年ぶりだろうか。
安藤はゆっくり立ち上がった。アパートと車のキーがズボンに入っていることを叩いて確認し、彼は家を出た。
車に乗り込むと、適当にCDを選んでカセットに入れ、曲をかける。曲は何でも良い。全てお気に入りなのだから。
「行くか」
安藤の乗る車は、指定された場所に向けて走り出した。
その頃悠真は安藤の家に向かっていた。昨夜はボーリングをした後カラオケをして夜を明かした。家には帰っていない。
玉を転がしても熱唱しても一向に心の違和感は消えなかった。それもこれも安藤の電話のせいだ。重要な連絡を電話で、しかも酒を飲みながらするというのもおかしいし、突然別れを告げられたため事態をあまり飲み込めていない。安藤が担当を外れた場合自分はどうすれば良いのかも聞けていない。
時刻は午前6時。徒歩で向かっているため約2時間要した。場所は覚えていたので簡単についた。ボロボロのアパートで、階段は13段。いつ霊が出てもおかしくない。
階段を上がって三つ目のドアの所が安藤の居住空間だ。ドアの前に立ち、荒々しくノックする。普段なら騒音を起こせばすぐに飛び出してくるのだが、今日は出てこない。それもその筈、20分前には出発しているのだ。
試しにドアノブをひねってみた。何と鍵が開いている。どうやら考え事のし過ぎで施錠を忘れたらしい。
「馬鹿だなぁ、あの人」
悠真は何のためらいもなく中に入った。中が整理されているのを見て、本当に転勤するのだとわかった。
ただ、一応挨拶はしておきたいし、聞きたいこともあるため、安藤の行き先に向かうことにした。部屋のどこかにそれが記された何かがあるかもしれない。ふと顔を上げると、人事異動と書かれた紙が貼られていた。取って見ると、文京区にあるビルだった。こちらは墓守の施設として建てられたらしい。地図も書いてあったが、安藤はカーナビを使ったのだろう。
するといきなり、バタバタという音がした。見ると携帯がテーブルの上で振動していた。携帯まで忘れていったのか。悠真は溜め息をついた。相手は上層部らしい。蓋の液晶に平岩雄一郎と示されている。
「もしもし」
もしかしたら急ぎの電話かもしれない。悠真は携帯を取り電話に出た。
『安藤君か』
「いや、相方です」
『何? ああ、確か西樹君だったな』
「はい。安藤さんなら、お宅の別のビルに行ったらしいですよ」
『別の?』
「文京区の。墓守の施設だとか。安藤さん、担当外れるんですよね」
『文京区のビル? 担当を? わかった。別の墓守に案内させる。そこで待っていてくれ』
そう告げると平岩は電話を切った。
あの反応、何か妙だ。異動を命じたのは他でもない上層部の筈。しかし平岩は初めて聞いたような感じだった。そういえば、手紙で命令が来るのはこれが初めてなのではないか。普段連絡は殆ど電話だ。念の為部屋中調べてみたが、やはり他の手紙は無い。
10分位経っただろうか、外からクラクションの音がした。出ると、下にフェラーリが停まっており、窓から秋山荘司が顔を出していた。
「早く乗って」
急いで階段を駆け下り、悠真は助手席に乗り込み、あの紙を渡した。その場所を秋山が素早くカーナビに打ち込む。
「早かったですね」
「家が近いんだよ。幼なじみなんだ。ところで、彼、墓守辞めるの?」
「いや、ちょっとわからないんですよね」
2人は不安になってきた。これは、安藤を狙う何者かの計略なのかもしれない。
そんな2人をよそに、安藤の車はビルの車庫に収まっていた。ビルには不動産と書かれている。
安藤は中に入った。手前に受付があり、奥に作業場と書かれた扉が見える。受付には眼鏡をかけた女性が1人座っている。
「あの、安藤です」
「お待ちしておりました」
「異動先とかって教えてもらえるんですよね」
「はい。お待ちください」
と言ったあと、受付の女性が飛び上がり、安藤の前に着地した。
「あんたの行き先は地獄だよ!」
女性の拳が腹にはいった。声が出せず、うずくまると、更に背中に蹴りを入れられた。
ビルのシャッターが下がってゆく。ここでやっと、安藤はあの異動命令が偽りであることを知った。
「ようこそ、安藤肇君」
もう1人、男性がロビーに現れた。降霊術師の神田明宏だ。神田は悶える安藤の胸ぐらをつかみ、無理やり立たせた。
「くくく、俺を忘れたか? 俺だよ、神田だよ」
「ぐっ……か、神田?」
「そうだ、高校で最初に仲良くなり、互いに人助けをすると誓い合った。そうだろ?」
そう言われた途端、安藤の脳裏に高校時代の思い出が次々に浮かび上がった。
そう、高校に入ったばかりの頃、安藤は緊張して誰とも話せなかった。そんなときに声をかけてくれたのが、他でもない神田明宏だった。
2人は仲良くなり、互いの夢を語り合った。そして、その第1歩として、ボランティア活動を行っていたのだ。そのときの写真は今も卒業アルバムに残っている。懐古主義の自分が何故今まで気付かなかったのか。わかっていれば彼を早く止められたのに。それ以前に、友の顔を忘れていたとは。墓守として、そして友人として、安藤は悔しかった。
神田は安藤を離すと脇腹を蹴った。
「俺は、夢を叶えたんだ。人助けをするという夢をな」
「……な、何が人助けだ」
「友の夢を貶すのか? ふん、落ちぶれたものだな!」
安藤の腹を更に蹴り上げた。その後髪をつかんで再び立たせた。
「色々と俺のボランティアを邪魔してくれたな。その礼に、お前を殺して暴霊にしてやる。だがその前に、たっぷりといたぶってやろう」
安藤を引きずって、神田は受付の奥の作業場に入っていった。
同時に、フェラーリもビルの前まで来ていた。道路に停車させ、秋山と悠真が降りた。
入口がシャッターで閉ざされているのを見て、2人の疑念は確信に変わった。
「ここだよね」
「はい」
「はあ、彼にはとことん困らされるよ」
秋山はステッキを取り出すとそれを振り回し、シャッターの底を強く突いた。すると、衝撃でシャッターが上がっていった。機械を動かせる程の衝撃とは。やはり彼はかなりの実力を持つ墓守らしい。
光が差し込み、受付の女性が顔を背けた。秋山と悠真は武器を回して、女性を見つめた。悠真のステッキは鎌に変わっている。
「すいません」
「上層部からの命令なのですが、安藤肇という墓守は来てますかね?」
「何のことでしょう?」
「早くしな。棒が飛ぶよ」
秋山が棒を構えた。女性は一瞬怯んだ様子だったが、立ち上がった途端表情が変わった。
「はあ。だったら今すぐ殺してやるよ!」
女性が飛びかかる。と同時に、秋山は棒を伸ばして女性のバランスを崩した。
「早く彼を探しな! 浄霊しておくから!」
「ありがとうございます!」
悠真は受付を飛び越え、作業場の扉に手をかけた。重く、簡単には開かない。悠真を睨み女性が吠える。その瞬間、強烈な突きを背中に食らった。振り返ると、秋山がアヌビスの姿に変わっている。
「君の相手は彼じゃない」
「黙れぇっ!」
女性の身体が炎に包まれ、暴霊の姿になった。蟻に似た魔物が人間の上半身を背負っている形だ。蟻の顔は女性のようで、2本の痩せた腕の他に、巨大な足が前と後ろに2本ずつ付いている。上半身には腕が四本、背中には羽根型のブレードが2つついている。
「やれやれ、気持ち悪い奴だ」
アヌビスが暴霊に迫る。暴霊は叫び声をあげながら素早く移動し、蟻酸を放った。
「ちっ、こいつ!」
アヌビスが突こうとすると、背中のブレードを外して反撃してきた。この暴霊、かなり厄介だ。
悠真は焦っていた。この扉、何故か簡単には開かない。更に向かい側の音が一切聞こえない。
「あああっ、ちくしょう!」
悠真は鎌をギロチンに変え、扉に強烈な1撃を食らわせた。扉は眩い光を発すると、粉々に砕けてしまった。そこには机もなければ作業員もいない。いたのは鎖に繋がれ体中傷だらけになった安藤と、彼の向かい側に立つ神田だけだ。
「ぐっ、何故」
「おやおや、相方か。丁度いい。今お前の上司に罰を与えているところだっ!」
言いながら、神田は鞭のようになった腕で安藤を叩いた。その様子を見てアヌビスが止まる。その隙に暴霊が素早く背後に回り、ブレードを振り下ろした。
だが、アヌビスも振り向きざまに棒を伸ばし、下半身の頭を突いた。魔物が苦しそうな声を上げる。
悠真もギロチンを構えて神田に迫る。神田は人魂を呼び寄せてナーガに姿を変え、向かってきた悠真を弾き返した。
「ふははははは、上司が駄目だと部下も使えんな!」
ナーガの蹴りが安藤の腹に入った。
ボロボロになってゆく安藤。その姿を見た悠真が、天井を向いて吠えた。コンクリートの壁に反響して、叫びが更に大きく聞こえる。
「おい!」
悠真が0に姿を変え、ナーガに呼びかける。術士は静かに振り返った。
「あんたの相手は、俺だろ」
「ふん、屑の部下に何が出来る! はぁああっ!」
武器を瞬時に変えながら、相手にダメージを与える。相方を痛めつけられたことに対する怒りが、0の力を上げているのだ。
「ぐううっ! こしゃくな!」
「あんた程じゃねぇよ!」
攻撃を受けるナーガを見て暴霊がまた吠えた。その隙を突いて、アヌビスが棒を槍に変えて暴霊に突き刺した。あまりの痛みに怪物が悲痛な叫びを上げる。
「人の心配する前に、自分の心配をするんだな」
槍が身体から抜かれ、傷口から青い炎が吹き出し、暴霊の身体を焼いた。もう動けないだろう。秋山は元の姿に戻り、0とナーガの戦いをじっくりと見つめた。相手の間接に銃弾や弓矢を撃ちこんで動きを鈍らせ、その隙に武器を刀に戻してナーガを斬りつける。
秋山達ベテランの墓守ですら手こずった降霊術師が、0相手に防戦一方だ。ナーガは身体を伸ばせるはずなのだが、それも出来ない様子だ。」
降霊術師も墓守と同じく中身は人間。弾の当たった場所からは大量の血が吹き出した。今は降霊術が彼の命を辛うじて保っているだけだ。
「なかなかやるじゃないか。だが、調子に乗っていられるのも今のうちだ!」
渾身の力を振り絞ってナーガが手を伸ばした。手は0の体を瞬時に締め上げた。
「しまった!」
「骨を砕いてやろう」
体を締める力が徐々に増してゆく。いくら墓守の力を発動していても、このままでは本当に体が危険だ。
安藤がポケットから短剣を取り出し、それをナーガに向けて投げた。しかし命中せず、伸びた足で蹴りを入れられてしまった。
「あの馬鹿」
秋山が再びアヌビスの力を発動する。が、そのとき、0の体からあの光が放出された。しかも今日は今までよりも威力が強い。
「な、何だこれは!」
光はナーガの腕を飲み込み、しまいには全身を包み込んだ。光の中から神田明宏の悲鳴が聞こえる。あの中で何が起こっているのだろう。締められている0の眼は光を失って黒く染まっている。
このままでは悠真が危ない。何となくそう思った。安藤は、今度は0に向けて短剣を投げた。すると、黒い光が剣を飲み込んでしまった。アヌビスも0を助けようとするが、光に邪魔されて止めることが出来ない。
「くそおっ!」
手を元に戻し、ナーガはその場から逃げてしまった。が、かなりのダメージを負っていたため、しばらくは活動も出来ないだろう。悠真も元の姿に戻ったが、疲れたのだろう、その場で気を失ってしまった。
安藤は自力で鎖を外した。手枷は無かったので外すのは簡単だった。自由の身になるとすぐに悠真に駆け寄った。
「青年! 青年!」
幸いまだ息はある。秋山に協力してもらい、悠真を車の中に運んだ。
もう1度あそこに行く必要がある。悠真の異変を止める方法を探し出さなければ。
ボロボロになった神田があの廃墟に戻ってきた。中では白河泉と後藤英明が待っていた。
「勝手に行動したみたいですね、神田さん」
「ふん、もう報告が回ってきたか」
「皆さん困ってたんですよ? 無許可で手紙出したり、ビルを使ったり」
今回の神田の行動は、彼が勝手に行ったことらしい。活動を邪魔されていたため、どうにかして安藤を始末したかったようだ。
「あの方は、あの方は何と?」
「相手の力はわかった」
そこへ1体の怪人が現れた。どす黒い霧に覆われて姿はよく見えないが、ただならぬ狂気を感じる。
「忘れるな神田。私には優秀な部下がまだ大勢いるのだ。お前達など所詮使い捨ての駒だ。しかし、その駒の尻拭いをするのはいつも主人なのだ」
「……申し訳ありません」
神田は不機嫌だったが、拒否は出来なかった。その様子が、後藤には堪らなく滑稽に見えた。
・フォルミカレギナ・・・神田が雇った暴霊。おぞましいアリの怪物の姿をしている。ブレードで戦う他、蟻酸を飛ばすことも出来る。下半身がアリに似た生物と繫がっているため、変幻自在の動きを可能とする。




