後編
たどりついた真の家の前には、報道陣が溢れんばかりにいた。自宅の写真を撮っている者や、何度もインターフォンを鳴らして、どうにかインタビューを取ろうとしている者もいる。
こんな状況の中で真は無事なのだろうか。成幸は上がった息を整えながら鋭く目を細めた。
するとそんな成幸に目敏く気付いた一人の記者が、近づいてきた。
「ねぇ、もしかして君、安藤君のお友達かな? 安藤君の家のことなにか知ら──」
「あぁ? 知るかよ」
「ご、ごめんね! うん、知らないならいいんだ!!」
この時ほど自分の目付きが悪くて良かったと思ったことはない。成幸が一睨みすると、若い記者は蒼い顔をして素直に引き下がった。
しかし、この様子では真には会えそうにない。きっと家の裏にも報道陣が張っていることだろう。
──この状況で、オレになにが出来る?
成幸はきつく奥歯を噛みしめて、悔しさに目を細めた。
携帯が鳴る。これはメールを知らせる音だ。送信者は真だった。
【電話、出れなくて悪い。こっちは大丈夫だからさ、成幸は学校行けよ? オレの分まで頼むわ。学校行けるようになったらノート写させてよ】
その文面を見て、成幸はもう一度、屋敷と呼べそうなほど大きな真の家に視線を向ける。二階の東端が真の部屋だったはずだ。もしかしたら、真が家の中から見ていたのかもしれない。
歯ぎしりしたくなるが、今の成幸には出来ることはなにもない。それなら、悪友の言うように学校へ行くのが一番いいのだろう。
成幸は一言【待ってる】とだけ返信して、真の家に背を向けた。
自分の無力さがただただ悔しかった。
真から電話が来たのは、それから一週間後の深夜のことだった。
直接会って話をしたいという悪友に、成幸は寝静まった家を抜け出したのだ。
「待たせたか?」
「いいや。悪かったな、こんな時間に呼び出してさ」
そこは公園だった。先に来ていた真はベンチに座っており、隣を進めてくる。
成幸が腰を降ろすと、二人の間に僅かな沈黙が流れた。
白い息を吐きながら、黒々とした空を見上げれば、あの日と同じように空には星が数個か見える。
目の前の光景は一週間前とほとんど変わらないのに、現実は大きく変化してしまっていて、それを思うと、胸にくるものがある。
隣で座る真が、ふっと笑みを零した。
「なんだよ?」
「思い出してたんだよ。佐々木に聞いたぜ? お前、オレのことで高橋に食ってかかったってんだって? 馬鹿だなぁ、成幸が怒る必要なんかないのにさ」
それは、真の父親の報道がされた日のことだった。
高橋は動揺するクラスメイトの前で、掌を返した態度で真を罵ったのだ。
『まったく安藤にはがっかりだ。やはり、子供がクズなら、親もクズということか』
その一言が、どうしても許せなかったのだ。
思わず拳を握ったが、それを振り上げる前に歩夢に止められて、仕方なく脅し付けるだけで引き下がった。
「悪いかよ。お前が馬鹿にされると、オレまで馬鹿にされた気分になるんだよ」
そっぽを向いた成幸の言い分に、一瞬驚いた顔をした成幸は、照れくさそうな笑みを浮かべた。
「いーや、悪かないな」
そうして、こっちが驚くくらいに穏やかな顔を見せる。
「マジありがとな。あの時も、真っ先に駆けつけてくれただろ? ……オレさ、薄々気付いてたんだ。親父が家族に顔向けできねぇようなこと、してたって」
淡々と吐かれた言葉に、成幸は息を飲む。脳裏に、蒼い空を見上げて『死に日和だ』と笑っていた真の姿が思い浮かぶ。
「ずっと一人で悩んでたのか?」
「……苦しかったよ。お袋も妹も、親父の行動に一欠けらも疑いをもってなくて、なにも知らずに笑ってるんだぜ? オレが一言でも漏らせば、今の生活が、家族が、壊れちまう。そう思うと、怖くて誰にも相談できなかったんだ」
白い息を吐きだしながら、真は空を見上げる。
「だから、あの日が死に日和な気がした。一瞬、本気で死にたくなったよ。死ねば、時間は止まるから。けど、そんなの逃げだよな? ──お前とゲーセン行った日にさ、親父がデカイ旅行鞄抱えて車に乗るのを見た。直感したよ、親父がオレ達を置いて逃げるつもりなんだってな」
だからあの時、いきなり帰ると言い出したのか。成幸は、無言で悪友の横顔を見つめる。
苦しみも怒りも昇華してしまったのか、そこには静かなものしか見えない。
「親父さんを恨んでるのか?」
「親父に対する恨みより、自分への怒りの方がでかい。オレが今に縋って逃げたから、親父を犯罪者にしちまったんじゃないのか。逃げずに親父を止めてたら、こんな結果にならずにすんだんじゃないのか。そう思うと……たまらなくなる」
真はそこで初めて表情を崩した。苦しそうに目を細め、組んだ手の甲を額に押し付ける。
成幸は真の言葉を否定しようとは思わなかった。だが、全ての責任を悪友が背負うのは間違っている。
「けじめをつけずに逃げたのは親父さんの選択だ。その選択にお前が罪悪感を感じる必要なんかない。お前がするべきことは、残された家族をどう支えていくかってことだろ?」
「……オレに、出来るかな?」
その弱弱しい態度に、成幸は片眉を上げると、おもむろに真の頭を叩いた。
「アイタッ! い、いきなりなにすんだよ!」
痛がる真を、成幸は鼻で笑う。
「お前が馬鹿なこと言うからだろ。なにを弱気になってんだ? オレの悪友はこういう時ほどふてぶてしい奴じゃなかったか? たしかに、直接犯罪にかかわってなくても世間の風当たりは強くなるだろうよ。態度を変える奴もきっと多い。けど、変わらないものもある」
厳しい現実を告げながらも、成幸はそこでうっすらと笑みを浮かべる。
「うちのクラスでお前を犯罪者扱いする奴はいないぜ? もしいたら、そんときゃそれがどうしたって笑い飛ばしてやれ。後ろ暗いことなんか、なにもねぇんだからよ」
成幸の言葉に大きく目を見開いた真は、そこでくしゃりと顔を歪めた。
「……お前ってば、男前すぎだっての……っ」
「惚れたか?」
「マジ惚れだ、馬鹿」
俯いて肩を震わせる真に見ない振りをして、成幸は悪友の涙が尽きるまで、ずっとその場に留まっていた。
その後、結局真は学校へは戻って来なかった。
公園で話したのを最後に、悪友は誰にも言わないまま、引っ越していったのだ。
それを知って、成幸はすぐに真と連絡を取ろうとした。しかし、電話番号を変えてしまったのか、いくらかけても繋がらず、メールも二度と届くことはなかった。
きっと真は誰かに頼るのではなく、一人で立つことを選んだのだろう。そう感じたから、成幸は相手からの連絡を待つことにしたのだ。
──あれから一年、成幸は高校三年へと進級した。
学校の屋上でごろりと仰向けば、見える空は今日も嫌味なほどよく晴れている。
「あーっ、見つけた! まーたこんなとこでサボって! タカミに見つかったら嫌味連発されるよ?」
声をかけてきたのは歩夢だ。真のことをきっかけに友達のような付き合いが続いている。といっても、そこには一切色っぽいものはないのだが。
「そんときゃ返りうちにしてやるからいいさ。なんか用かよ、佐々木」
「別に、用はないけどさ……ただ、あんた教室からよくいなくなるから」
言葉を濁して気まずげな顔をする歩夢に、成幸は上体を起こして肩を竦める。
真がいなくなって、成幸は以前よりもここへ来る回数が増えた。それを知っているのはおそらく彼女だけだろう。
そして、消えた悪友の想いを知るのは──きっと自分だけだ。
浮かびかけるやるせない気持ちに蓋をして、成幸は皮肉に笑う。
「お前さ、気にしすぎ。それとも、歩夢チャンったら、そんなにオレのことが気になるの?」
「そ、そんなわけないでしょ! もうっ、すぐそうやって茶化す! アタシ教室戻るからね」
「いい子ちゃんに勉強してろよ」
「うっさい、馬鹿!」
顔を赤くした歩夢は、むくれた顔を逸らすと屋上から出て行った。
彼女の後ろ姿が扉の向こうに消えると、成幸はまたごろりと屋上に横になる。
目を閉じると、太陽の光を瞼越しに強く感じた。
ふいに着信音が鳴る。
「……うるせぇなぁ」
成幸は目を閉じたまま、のろのろした仕草でズボンから携帯を取り出し、そのまま手探りで通話ボタンを押した。
「もしもし?」
《────……?》
聞こえた声に成幸は目を見開くと、がばりと起き上がる。
そして相手を理解した瞬間、大きく息を吸った。
言うべき言葉は、一年前から決めていた。
「遅せぇよ、馬鹿野郎!」
罵った言葉は、存外明るく響く。
蒼い空の下、携帯越しに再会した悪友に成幸は柔らかな笑みを浮かべた。
最後まで読んでくれた貴方、本当にありがとうございました! 悪友である二人を通して何かを感じて頂けたなら幸いです。