前編
──たとえこの先、二度と会うことがなかったとしても、オレは胸を張って、あいつをダチと呼ぶ。
「こういう日こそ、死に日和だとオレは思うわけよ」
唐突に言われた言葉に、少年──宮下成幸は呆気に取られた顔を悪友へ向けた。
春の陽気に空は晴天。昼飯を食べ終えた二人は屋上に座り、食後の時間をのんびり楽しんでいた。
隣に座る悪友が突拍子もないことを言い出すまでは。
「お前はまた、しょうもないことを……なんだよその、死に日和ってのは?」
呆れた目をすれば、悪友──安藤真はにっと悪戯小僧のような顔をして笑った。
すると、その笑みを彩るように金髪が太陽を反射してきらりと輝く。
真は両耳に気前よく八個もピアスを開けている派手な少年だ。しかも親が有名会社の社長ということもあり、普通なら敬遠されそうなタイプだろう。しかし、その明るい性格から、悪友は人に好かれる部類なのだ。
それとは逆に、至極普通の恰好をしている自分は、どちらかと言えば人に怖がられるタイプだったりする。
実年齢である十七歳よりも大人びた顔をしているせいか、それとも目が若干鋭いせいなのか、近寄りがたい雰囲気があると知り合いからはよく言われる。
正反対の二人だが以外にも付き合いは長く、その始まりは小学生まで遡る。だから、突拍子もないことを言い出す真にも慣れている──はずだったのだが、さすがに今回は話の方向がさっぱりわからない。
「だってさ、空見てみろって! めちゃくちゃいい天気で、もうこれは泳げそうじゃねぇってくらい蒼いだろ? それでさ、昼飯食って腹は満たされてるし、隣にダチがいるし、こんな日に死んだら後腐れなく成仏できそうじゃね?」
「ようするに、最高に気分がいいから、こんな日に死ぬのが理想だって言いたいのか?」
「そうそれ! さっすがオレのダチだ。オレのことをオレ以上に理解してくれてて、真君感激!!」
両手を握って腰をくねらせる真に、成幸は気持ち悪いと表情で語る。
「そらよかったな。それにしても、いきなりなにを言い出すかと思えば。お前の口はくだらないことしか話さないな。ちっとは実のあること言ってみろよ」
「えー、これがオレの味なんですー」
「随分な珍味だな。毒にも薬にもなりゃしねぇ。──で? なんかあったのか?」
それにしても今回は唐突過ぎだ。成幸はまさかなぁと思いながらも、悪友に尋ねる。
すると、真は一瞬きょとんとして、間を置いて盛大に噴き出した。
「ぶっ……はっはっはっ! そんなわけねぇじゃん! なんだよお前、あんだけつれないこと言ってたくせに、オレの心配してくれてんの!?」
「あぁ、今それを深海の底より深く後悔してるわ」
やっぱりか。一瞬でも気にかけた自分が馬鹿だった。
成幸は笑い転げる悪友を半眼で睨むと、身軽な仕草で立ち上がる。そして、涙まで滲ませて爆笑している悪友へ蹴りを入れた。
「はっはっはっ、イタァ! ひ、酷いわ、成幸クンったら照れ隠しで足蹴にするなんて!」
「オレからの愛だ。存分に受け取れ」
「そんな痛い愛はいらないから!」
悪友の悲鳴に、成幸はさらにもう一発蹴りを追加した。
昼を食べ終えた二人はダルイ足取りで階段を下る。
これから教室に二時限拘束されるのだ。勉強が高校生の本分だとよく言うが、憂鬱極まりない。
「なぁ、次の授業なんだっけ?」
「数学。担当が高橋だからな、更にかったるい」
「げっ、マジでっ? うわー、全力で逃げたい! ……成幸クン、モノは相談なんだけど」
「サボりならパスだ」
口調まで変えて下手に出る悪友を成幸はばっさり切り捨てる。他の授業なら考える余地があるのだが、数学だけはサボり過ぎて出席日数がまずいのだ。
「ちぇ、付き合い悪いな」
「馬鹿、お前に付き合ってたからやばいんだろうが。真、お前も留年したくなきゃ出ろ」
「えー? 後一回くらい大丈夫だろ」
「なら好きにしろ。後で泣きついて来てもオレは知らねぇぞ」
冷えた目で一睨みすると、成幸は足早に階段を下る。
目力に怯んだらしい真が後を慌てたように追いかけてきた。
隣に並んだ悪友に、口端を皮肉気に吊り上げる。
「サボるんじゃなかったのかよ、真チャン?」
「う……っ、成幸クンがマジ冷たい! このどSめ!!」
「そうかそうか、どМな真チャンはオレに蹴り落とされるのがお望みか」
ならば叶えてやろうと足を上げれば、悪友が無様な悲鳴を上げて階段を駆け下りていった。その逃げ足の速さには感心するばかりだ。
「いやぁっ! 嘘です冗談です生意気言ってマジすみませんでしたーっ!」
「わかればいい。おら、ふざけてねぇで、教室行くぞ。高橋の奴は一秒でも遅れたら遅刻扱いにしやがるからな」
大げさな謝罪を鼻で笑うと、踊り場から廊下に道を逸れた。すると下から上がってきた高橋とばったりはち会う。
「げっ!」
「ちっ」
蛙が踏みつけられたような声を真が出せば、成幸はそっぽを向いて舌打ちする。面倒なことになった。
高橋はインテリ風の眼鏡の縁をくいっと指で押し上げると、歪んだ笑みを浮かべる。
「ほぅ……珍しいこともあるものだ。不良が私の授業に参加するつもりかね? せいぜい他の優秀な生徒の足を引っ張らないように頼みたいものだ。──あぁ、もちろん安藤君は別だがね」
気色悪い猫なで声に、真が引きつった顔をする。
それをどうとったのか、高橋がここぞとばかりに言葉を続けた。
「いい加減に、宮下みたいなクズと付き合うのは止めた方がいいぞ? 君は次期社長なんだからね。お父様もきっと心配していることだろう」
もっともらしいことを言ってはいるが、全てが嘘臭い。それもこれも真の家が金持ちであることを知らなかった当初、成幸と同じように真を罵っていたのを知っているからだ。
真は冷めた目で高橋を見ると、言葉を吐き捨てる。
「……家のことはあんたに関係ないだろ。それから勘違いしてるようだから言うけど、オレがこいつに付き合ってるんじゃなくて、こいつがオレに付き合ってくれてるんだよ」
無表情の中に、冷たさが宿る真には暗い影がある。滅多に見せないその表情は、真が本気で苛立っている時のものだ。
それがわかるから成幸は真の背を軽く叩いて落ち着くように伝えると、皮肉交じりに笑って見せる。
「あんたこそ、生徒のやる気を削ぐような言動は慎んだらどうだ? 仮にも教師なんだからよ」
「お前のような不良は私の生徒には入ってないのだよ」
「そりゃあ幸いだ。こっちもあんたを先生とは呼びたくないんでね」
目に力を込めると、高橋がびくっと震える。元々いいとは言えない目つきをしているのだ。さぞや、凶悪に見えることだろう。
「ふ、ふんっ! せいぜい問題を起こさないことだな!」
焦ったように目を逸らすと、高橋は慌てた様子で背を向けた。
そのまま遠ざかる背中に、成幸は肩を竦める。
「ビビるくらいなら、最初っから喧嘩売らなきゃいいのにな。それとも、オレの目はそんなに怖いのか?」
「ぶはっ! あいつが小物なんじゃね? まぁ、お前が本気で睨んだら、オレでも尻尾巻いて逃げるな」
なにがそんなに笑えたのか悪友が噴き出す。どうやら機嫌は直ったらしい。いつまでも苛立ちを引きずらないところが、真の良いところだ。それを言ってやる気はないが。
「なっさけねぇこと言うなよな。そこは根性の見せどころだろ」
「いやないね。ないない。むしろ裸足で逃げるべきところだろ」
真が答えた瞬間、予鈴が高らかに鳴った。
「やばいっ! 走れ、真!!」
「だぁーっ、結局こうなるのね!」
二人は勢いよく廊下を駆け出した。