あとがき ~蛇足
一時はどうなることかと思われた宝達菩薩の地獄めぐりも、どうやらハッピーエンドに終わったようです。
実に因縁というものは、どこでどこにどうつながるか、ホントにわからんもので……もしかするとあの罪人たちにもそれぞれ、前世の宝達菩薩と何か助けあった因縁でもあったのかもしれませんね。
ブッダは「宿命通」の神通力でそれを知り、罪人たちの苦しむ姿から宝達が教訓を得ることが功徳となって彼らを救うことが可能と計算して、わざわざ宝達を地獄へ送った……ということでしょうか?
そのへんの事情は原典にはくわしく書かれていませんでしたから、筆者には想像するしかありませんが。
ともあれ、めでたし、めでたし♪ でよかった♥
なお三十巻本佛名経には唐の時代(日本でいう奈良時代)から偽経説があったようで……筆者も、内容が非現実的かつ時代考証無視的であるこの物語は「形式からは初期大乗仏典のようだけど、これはブッダの実録ではなく、よくても修行者が瞑想中に観た幻覚の記録、下手したら意図的な後世の創作だろうな」と考えています。
あんまし哲学的思索も具体的な修行法の解説もなくて、地獄の恐さを列記するだけの「方便」っぽい内容で、しかもその地獄はすでに消滅している。
日本仏教で重視されてこなかった理由がなんとなくわかる気がします。
が、文献学的な研究によれば、テキストデータで400MB以上ある仏典のうちブッダの実録に近いものなどせいぜい10MB分ていどとのこと。
あとはほとんどが、後世に書かれたフィクションなのだとか……学問と信仰では一般に、真説と定義する部分がぜんぜん違うところも興味深いんですけども(汗)、390MB分はいわば「小説」ということになります。
小説として読むなら実話かフィクションかは二の次、肝心なのはテーマの説得力と内容の面白さということになります。
そんな考えから、あまり知られてないこの物語を、「たぶん偽経」と思いつつも、筆者自身も脚色したりワルノリを楽しんだりしながら、興味深い古典小説としてご紹介してみたのでした。
仏典にはやたらと壮大なスペクタクル・ファンタジーが時々ありまして……これはスケール的にはやや小さめの方でしたけれど、そんなかのひとつとして楽しんでいただけましたなら幸いです。
南無宝達菩薩 合掌




