大乘蓮華寶達問答經報應沙門品第一
爾時摩竭道場菩提樹光明不現……
時は古代、場所はインド。釈迦牟尼、つまりゴータマ=ブッタのもとで、多くの弟子たちが修行していたころのお話。
その日も、摩竭国の修行所の庭、菩提樹の日陰で、弟子たちを前にブッダが瞑想のお手本を見せていた。
ちなみに上位の修行者の瞑想って非っ常~に深いもので。
たとえば、ブッダの修行時代の師匠のひとりアララ仙人なんかは、大木の下で瞑想していたときに、500台の荷車の大群が轟音と砂煙を蹴立ててすぐ横を通ったのに、見も聞きもせず、眠ってたわけでもないのにまったく知覚しなかったんだと。
アララ仙人のもとで修行してた30代の頃のブッダ……ゴータマ=シッダルタも、師匠が「私と同レベルだ」と認めたほど凄い集中力だったらしく。瞑想中に至近距離で雷が落ちて農夫2人牛4頭が死すという大惨事が起きても、ぜんぜん気がつかなかったんだとか。彼らはそれくらいの集中力で瞑想修行をしていた。
この種のすんげー瞑想集中を「三昧(さんまい)」って呼ぶ。アララ仙人の三昧は、後に「止観(しかん)」とも呼ばれるようになった「心の動きを完全に止めてしまう瞑想法」だ。この修行は仏教にも取り入れられて、悟りの一歩手前の段階の訓練とされた。今でも天台宗や禅宗などでは行われていると聞く。
苦しみを感じない新しい自分になるため、今までの自分をいったんカラッポにしようという訓練が「止観」なんだろうか?
とはいえ筆者は、体験参禅のときに和尚さんに「10数える間、何も考えないようにしてください」と言われたことくらいしか実物の「止観」に触れた機会がないし(数息観……もちろんできなかった)、『天台摩訶止観』の日本語訳も難解すぎて挫折したから、これ以上の説明は求められても不可能なのだ、ゴメン。
さてこの日も、止観の指導をしていたのかそれとも他の瞑想法だったのか、ブッダはマガダ国で修行に励む弟子たちとともに、微動だにせず菩提樹の下で三昧に入っていた。
するととつぜん、ブッタの後ろの菩提樹があやしい光を放った。そして花々がたちまち枯れてしまい、ブッダの前にひらひらと落ちてきたそうな。
弟子たちはこの不思議なできごとに驚き、瞑想に集中なんかしてられなくなって
「何がおきたんだ!?」
とざわめいた。ブッダの直弟子というわりにずいぶん落ち着きの無い連中だこと。
ともかく一同が不安にとらわれてしまったなかで、宝達という名前の菩薩(大乗仏教の修行者)が座を離れ、緊張した顔でブッダの前に進み出て一礼した。
なお漢文訳の資料しか入手してないため、古代インドの言葉でなんていうのかわからない固有名詞は、宝達のように漢訳の名前で通すことにする。
で、その宝達菩薩が、
「せ、先生! 菩提樹があやしく光って、花が枯れ落ちちゃったっスよ! いったいどういうことなんスか? みんながアセッてます、願わくば、そのわけをお教えください。どうか俺たちの不安を除いてくださいっス」(なぜ体育会系言葉?)
すると……それまでまったく動ずることなく瞑想に集中していたブッダが、三昧から戻って目を開いた。
瞑想から出てきたときのブッダは、顔や全身から黄金色の光を発してるように見えたという。つまり、新品のキンキラ仏像やタイのお寺の須弥壇みたいな感じだ。(ということで、本来はむしろ、金箔が剥げて黒や青の銅が剥き出しになってしまってる渋い色の日本の仏像のほうが間違いなのだ)
さてブッダは光を放ちながら、
「沙門たちよ、まあ落ち着け。『すべてのできごとには因縁(原因と結果のつながり)がある』っていう因果因縁論は、仏教の大前提だから君たちも知ってるよね? 菩提樹の花が枯れて落ちた、これももちろんそういう因縁があったからそうなっただけだ、何も驚き怪しむ必要は無い。その因縁は……道を外れた沙門たちがひどい場所へ堕ちて罰を受けているってのが原因なんだヨ」
「……風が吹いたから桶屋が儲かった、みたいな?」
風が吹くと埃が舞う。埃が舞うと人々の目に入る。目に入ると眼病になる。眼病になると失明する。失明した人々は生活に困り、三味線弾きで稼ごうとする。三味線弾きが増えると、三味線が大量生産される。三味線が大量生産されると、材料である猫の皮がたくさん必要になる。猫の皮がたくさん必要になると、猫がたくさん殺される。たくさん殺されると、町内から猫が減る。猫が減ると、ネズミが増える。ネズミが増えると、桶がたくさんかじられて壊れる。桶がたくさん壊れると、新品の桶がたくさん売れる。新品の桶がたくさん売れると、桶屋が儲かる。
「風が吹くと桶屋が儲かる」……まあ、因縁の極端な例です。宇宙はこういうふうにできていて完全な偶然などあり得ない、というのが仏教の世界観。
にしても道を外れた沙門たちが罰を受けるとなんでブッダの後ろの花が枯れるのか……このお経にはその経路は明記されていませんでした。が、この物語をガマンして最後まで読んでみたら、どのような因縁があったのか……違う宗教風に表現すればどのような神のご意志が働いたのか、を想像できるかもしれません。
さて、こんな話を聞いた宝達は、
「道を外れた沙門たちっスか~……。そいつら今、どこにいるんス?」
と質問を続けた。
「遠い東の国に、鉄輪山という大きな山があってね。その山中は暗闇で、太陽や月の光も届かない。われわれの言葉で言う奈落、日本語で言うと地獄ってやつだ。そこで、道を外れた沙門たちが罰を受けちょるんだわ」
ブッダには六種の神通力があるそうで、そのひとつ天眼通を使えば、どんな遠くでも……異世界の出来事でも、床下のシロアリの巣の中でも、女子更衣室のロッカーの中のお菓子の箱でも、何でも見ることができるのだ。
もうひとつ、宿命通は、すべての過去/未来の因縁を解き明かすことができるという。風が吹いただけで「ああ桶屋が儲かるな」とわかるし、カロリーの高いものを食いすぎたら「ああ太るな」とわかるわけだ。
いや、後者は誰でもわかるだろうけど。でもわかってても食っちゃうのは「あなたを太らせる因縁」があるからで、そういう因縁に、知らず知らず動かされてしまうことを「業障」とか「業」とか言う。この業の影響をなんとかして打ち消そうというのが仏道修行のもっとも重要な要素ということになる……っと、ちょっと先走りすぎた、この話は後でまた。
まあどっちにしても、仏の通力はいろんな意味で危険なワザなので、まだ悟りを開いてない良い子は真似しちゃいけません。
さて宝達菩薩は好奇心を刺激されたのか、
「そこんとこ、もそっと詳しくッ! ……どうしてそんなことになったんスか? 彼らはどんな罰を受けてるんスか?」
「……そんなに興味あるのか、君は? まあ、こんな話をすることになったのもひとつの因縁だしね。それじゃ君、自分で地獄を訪ねて、どうしてそんなことになったのか、どんな罰を受けてるのか、関係者にチョクで聞いてくりゃいい」
「ちょ、ちょっと待てくださいっス! どうやってそんなとこ行けっつーんですか、フカノーっスよ! まあたしかに、凄惨な阿鼻地獄とか話には聞いたことあって、本音を言えばいっぺんナマで見てみかったつーかなんつーかはあるっスが……」
「よしよし。それじゃ君、ナマで見てきなさいな。……今すぐ地獄に送ってやる!」
仏様のくせに悪役キャラと間違われそうなセリフをブッダがのたまうと、いきなり大地が激しく揺れだした。
「地震っ!? 火ィ消せ、窓開けろ、津波の情報はッ!?」
一同が驚いて、座布団を被ったり机の下に頭を突っ込んだりラジオをつけたりしているところへ、一頭のドラゴンがスーッと飛んできた。
そして呆然としていた宝達を掴んで背中に乗せ、あ、と言うまもなく空に飛び去って行ったのだった。
そのドラゴンは秒速何千kmだかマッハいくつだか光速の何%だかで空を飛んで、たちまちのうちに宝達を、遥かなる東の彼方、夜の闇に包まれた鉄輪山の上空につれてきた。
鉄輪山は複雑な地形の山塊で、その峰は暗い空に高くそびえ、周囲には樹木どころか草の1本も生えていない。まあ地面が鉄ではいかに雑草でも無理だろ。そして太陽も月も、ここまで照らすことはできないようだ。
やがて宝達とドラゴンは地獄の王の宮廷のある谷間へと飛んできた。宮廷には、ちょうど地獄の王たち36人が集まってミーティングをしていた。
興味ある人もいるかもしれないから、面倒くさいけど全員の名を並べると。
恒伽噤王。波吉頭王。廣目都王。安頭羅王。虎目見王。陽聲吉王。大諍誦王。吸血鬼王。安得羅王。陀達王。達多羅王。吉梨善王。安侯羅王。寶首王。金樹吉王。大惡聲王。鳥頭王。等虎眼王。等象牙王。等震聲王。等歸首王。衣首王。見首王。廣安王。廣定王。王頭王。立正王。立見王。摩尼羅王。都曹王。部見王。惡目王。善王。龍口王。鬼王。南安王。などなど。
インドの言葉でなんて発音したかのは資料がない、必要なら自分で調べてほしい。
宝達菩薩が、『♪ネバ~ぁ、エンディング、ストぉ~リ~』などと歌いながら……かどうかは知らないが、とにかくドラゴンにまたがって遠くから飛んできたのを見たこの36人の王は驚き、みんな合掌して出迎えた。……地獄の王たちって意外と礼儀正しかったのね。
そして彼らの誰かが尋ねた。
「どこのどなたか知りませんが、なんとなく尊いっぽいお方、なんでまたこんなところへ?」
「宝達菩薩と申しまス。いや、ブッダがね。遠く東に鉄輪山って山があって、太陽も月も光が届かない暗闇があって、そこにひどい場所があって、罪人が苦しんでるって言ってたんスが。そこが実際どんな感じなのか知りたくて、見学に来させてもらったんス。アポも紹介状もなくいきなりで申し訳ないんだけど、ちょっといいっスか?」
恒伽噤王が
「誰か広報の人、おねがーい」
と周りを見回すと、地獄の広報担当者だったのか鬼王が髭をしごきながら、
「自分でもひどい場所っておっしゃいましたが、宝達菩薩さんとやら。わざわざ酷い場所に行きたいのですかな?」
宝達は、ドラゴンから下りると、鬼王の前に来て座った。
「まず質問なんですが……この山に地獄はいくつくらいあるんス?」
鬼王が答えていわく
「この山の中にゃ、いくらでも無限に地獄が生じますわい」
ちなみに仏教でいう地獄ってものは、もともとあったものじゃなくて、「人々が罪を犯すから、その因縁で自動的に生じてしまうもの」ということになってるようです。だから、後から後から新しい罪が犯されれば、後から後から新しい地獄ができてしまうという道理。
地獄といえば有名なのは、世界最初の男・ヤマ(キリスト教でいうとアダム)の死後の姿ともいう閻魔大王が仕切っている「八熱地獄」ですね。ここはもう、罪人が次から次へとやってくるので昔からずっと存在し続けている、大規模な地獄です。
だけどそれ以外にも八寒地獄だの十六地獄だの、大小さまざまな地獄が宇宙のあっちこっちにあるのでした。時には1人の罪人のために生じた、いわばワンルーム地獄もあるって話です。彼の贖罪の間だけその地獄は存在し続けるというわけ。おお恐。。。
ただし贖罪が終わればその地獄は消滅し、罪人たちはもうちょっとマシな状態に生まれ変わることができるのです。まぁ「人身 受け難く 云々」という言葉もあるから、ゲジゲジとかゴキブリとかに生まれちゃうのかもしれませんけども。そのへんについてはまた後ほど触れることもありましょう。
さて、この鉄輪山の地獄の場合は……。
「現在、ここには32ヶ所の沙門地獄があるのですじゃ」
「32ヶ所もあるんスか! ちなみにそれぞれの名前は?」
「鉄車鉄馬鉄牛鉄驢地獄。鉄衣地獄。鉄銖地獄。洋銅潅口地獄。流火地獄。鉄床地獄。耕田地獄。斫首地獄。焼脚地獄。鉄鏘地獄。飮鉄銖地獄。飛刀地獄。火箭地獄。■肉地獄(判読できず)。身然地獄。火丸仰口地獄。諍論地獄。雨火地獄。流火地獄。糞屎地獄。鈎陰地獄。火象地獄。大声叫喚地獄。鉄■地獄(判読できず)。崩埋地獄。然手脚地獄。銅狗鈎牙地獄。剥皮飮血地獄。解身地獄。鉄屋地獄。鉄山地獄。飛火叫喚分頭地獄。それぞれ、名前が罰の内容を現してるのですじゃよ」
……尻切れトンボな感じだけれど、参照した佛名經テキストの第一章はここで終わってしまっていました。
-つづく-