大乘蓮華寶達問答報應沙門經第九 ~焼脚地獄
寶達頃前入燒脚地獄云何名曰燒脚地獄其地獄縱廣七十由旬……
宝達菩薩は焼脚地獄にやってきた。広さはタテヨコ約490km。
周りは鉄の壁と鉄の網に囲まれており、猛火が荒れ狂って罪人を焼いている。
あるいは、尖った鉄の塊が飛び回って罪人に突き刺さる。地上と火の間に僅かに空間がある。
西の門に8000人の沙門がいて、口々に
「なんで私がこんなところに……こんな生活、もうイヤーっ!」
と嘆いている。
馬頭羅刹が鉄の棒で罪人の頭を押し、前へ進ませ続ける。足を蹴り飛ばされ、あるいは鉄の刺で突き刺されるため、罪人たちは歩き続けることができず次々と倒れてしまう。
こんな状態が、夜となく昼となく続き、千回死んでも一万回生まれ変わっても終わらない。地獄から出られたあとも、彼らは深刻な障害を体に抱えて生まれるのだ。
宝達は泣きながら言った。
「この沙門たち、なんでこんな目に遭ってるんスか?」
馬頭羅刹は
「この坊づどもは前世で、出家し戒律を受けておきながらか礼節を守らなかった。汚れた足のまま寺に入ったんだ。あるいは、乗り物や馬に乗ったまま寺院に入ったり、合掌もせずに仏像の前を通り過ぎたりして、心に恥じなかった。その因縁でこの地獄に落ち、罰を受けてるのさ」
明治以前の日本では、お坊さんでない一般人でも、仏像や鳥居の前を通るときはいちおう手を合わせたり頭を下げたり、乗馬した武士でも足を鐙から外したり(略式の敬礼)してたそうですね。つまりは「敬意を払っていた」ということで。
TV時代劇でも、時代考証のしっかりした作品ではちゃんと表現されてる習慣です。
何年か前に中国人の友人の、仏教徒だという老ご両親が来日し、奈良・京都の観光に筆者も案内役で同行したことがありまして。そのとき、寺院の祭壇だけでなく博物館でガラスケースに展示してある仏像にまで、一体一体、手を合わせて瞑目してから見学していた姿にちょっと感銘を受けました。
お母さんのほうが奈良のとある仏像を気に入ったらしかったので、次に中国に行ったとき、日本旅行の思い出にとその写真が表紙になってる仏像写真集をおみやげに持っていきましたら、その本をまず仏画のように祭って線香を手向け、それからはじめて本を見ていたりもして、カルチャーショックを受けました。
本をめくる前に、表紙写真を通してお気に入りの仏像を遥拝したわけですね。
そういやフランス人やカナダ人にも、日本では神社やお寺の前を通るときにいちいち立ち止まって帽子を脱いでいた人がいましたが。
筆者もそういう心がけは見習いたいと思いまして、あれ以降は仏像/ご神体などの前では、たとえ展示用の模型などでも挨拶の形だけはしようと心がけてる次第です。……さすがに本やパンフの表紙写真まではいちいち祭りませんし、ときどきウッカリ忘れますけど;
でも一般人でもこうなのですから、お坊さんならなおさら、そういう心がけが必要でしょうね。
ただ……資料館などに展示してある仏像や祠の模型にまず合掌してからゆっくりじっくりと見学してたりすると、知らない人に、こっちもあっちも日本人なのになぜか英語で話し掛けられるのだ。。。(血涙)
ということで、宝達は馬頭羅刹の話を聞き、ぐすぐす泣きながら立ち去った。
-つづく-




