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現代日本人の設定

作者: 怒万坊

毎年、三万人の自殺を誇るわが国にあって、

精神的な原因を、ここに探求するとすれば、

それには、何が挙げられるだろうか?

東洋的思想では、自殺は否定されていない。

しかし、現代思想は、それを否定している。

自殺は悪い、もしくは、現実逃避…「逃げ」の手段であると。


東洋と西洋の思想上の全く異質な点は、

自然への態度である。

しかも、それは、いくら東洋が、欧米化しようと、

現代も変わらず続き、逆に、その自然への憧憬が、

欧米人に見直されるに至っている。

キリスト教の規範を持つ西洋人は、

どこまでいこうと、彼らの倫理はキリスト的である。

それが、彼ら、西洋人に宿命づけられた民族の精神性である。

彼らの倫理の歴史は、キリストへの反発と回帰の繰り返しの運動である。


反対に、我々東洋人、殊、日本人を特徴付ける性格は、

自然への憧憬である。荒れ果てた山に愛着を覚え、土の道を懐かしみ、

昼下がりの海に畏敬の念を覚える…

これが、日本人の、現代になっても消えうせない、自然への態度である。

こういった精神性が、なぜ、育まれるのかは、私には分からない。

そこに非常な興味がある。


明治維新以来、我々は、もはや、何物も、倫理的規範を持たなくなった。

「天」は失せ、「儒学」は自由教育の理念と民法の改正で滅び、「天皇」は象徴いわばアイドル化した。

我々の行動規範を形成するものは、家庭しか残されていなかったが、「父権の失墜」、核家族社会での夫婦の「愛の不可能性」が、出稼ぎサラリーマンや熟年離婚といった言葉で象徴されるように、もはや機能していない。

家庭に、「教育」の拠り所をなくした母親は、「学校」にその大任を一任し、

しかし、理想なき「個人主義的教育」は、母親と生徒との板ばさみになりながら、組織的に、死に絶えている。

我々は、人格を形成する、何物の基準も持てなくなった。現代の若者に見られる自分探しの旅は、昔の若侍の旅とは違い、自分自身の人格を価値付ける体系を模索する、悲劇的な、ハムレット的な旅である。


日本人に、倫理的規範はない。

しかし、我々は、自我を意識し、これをどうにかしようともがく。

現代小説の執拗な性的描写は、この肥大した自我を肯定でもあり、また、その醜悪な自我に怯える現代人の恐怖と虚無感を表現しているといえる。


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