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「私、も」
立ち止まった私を不思議そうに振り返った圭介さんの手を、ぎゅっと握り締める。
うーっ、恥ずかしいっ!
これ、あえて口に出すとか、凄く恥ずかしいんだけどっ。
「由比さん?」
またさん付けに戻った呼称に少しだけ寂しいと思う今の私なら、言える……はず!
伏せていた顔を、勢いをつけて上げる。
少し驚いたように、目を見開く圭介さんの顔。
「今日二人きりでっ、その……嬉しい、……です」
最初こそ勢いで言ったものの、語尾がどんどん小さくなっていく。
だって、じっと見てくるんだもの。
再び目を伏せた私に、くすりと笑う圭介さんの声が降りた。
「ありがとう。さ、行こう?」
「え……っ」
その声はとても穏やかで。
さっきみたいに、熱を孕んだものじゃなくて。
気を使っていると、勘違いされたようで……っ。
握って握られていた手を、思い切り振りほどく。
「……由比さん?」
驚いたように、歩き出した圭介さんが足を止めた。
目を見開いて、外れた自分の手と私を交互に見つめる。
「由比さん?」
戸惑ったようなその姿に、どうしていいのか分からない自分の中のもやもやが一気に膨れだした。
「私も、二人きりに、なりたいってずっと思ってた! 圭介さんに気を遣って言ってるんじゃなくてっ、だから今日も、本当は凄く嬉しくて……!」
あぁ、言ってる事が、ちぐはぐだ。
感情のままに飛び出す言葉は、収拾がつかない。
唯一の救いは、昼時……しかも湖から少し離れた散策路と言うこともあって、辺りに人影が見えないことだろうか。
「嬉しいけど、その、恥ずかしくてっ。触れてもらえて嬉しいけど、心臓が、ばくばくで。どうしていいのか分からなくて……!」
だからあんな事言っちゃって……そう続けると、ぽんぽんと頭の上に大きな温もりが落ちた。
顔を上げれば、その重みがゆっくりと前後に動いて私を宥めてくる。
圭介さんは、目を細めて嬉しそうに微笑んでいた。
「うん、ありがと。嬉しいよ、由比さん」
「嘘じゃな……!」
また流されてしまうのかと思って言葉を言い募ろうとした私の口を、圭介さんが指先でつついた。
「分かってる。私が急いただけで、同じ気持ちだって事、分かったから。だから、“ありがとう”」
ほんわかと笑うその表情に、強張っていた体から力が抜けて思わずしゃがみこみそうになる。
圭介さんは、おっと……と小さく呟いて私の腰に腕を回して支えると、反対の手で手を握った。
「二人きりで、いたいと思ってくれてたんだ」
「うん」
「あまり、そういう風には見えなかったけど。今日だって、私が連れ出したようなものだし」
確かに、翔太が卒業旅行に行く事は聞いていたけれど、特に圭介さんとどこかに行こうとか思ってなかった。
ただ……
「アパートで、二人になれるかなって、そう思ってたから」
だから、どこかにわざわざ行かなくてもいいと思ってた。
そう続ければ、そうだったんだと圭介さんが笑う。
「私ばかりが焦ってるのかと、思ってたよ。その言葉が聞けただけでも、ここに来てよかったな」
「圭介さん……」
気持ちが通じて、嬉しくて、握られた手をぎゅっと握り返す。
大きな掌と、温もりが凄く嬉しくて。
「二人きりって、恥ずかしいけど……嬉しい」
アパートで二人といっても、階下には人がいるし顔見知りだ。
おかずやお土産のやり取りだってするし、いきなり来訪したりもする。
みんなの事は好きだけど、でも、やっぱり圭介さんと二人でいる時に来たら恥ずかしい。
だから本当に二人になりたいなら、外に出るしかないってことに気付かなかった。
そう伝えると圭介さんは何か思いついたように、あぁそうだ、と呟いた。
「じゃ、私から由比さんに、二人きりの時間をあげようかな」
「え?」
腰に回された掌が背中に上がって、促されるように歩き出す。
気がつけば背後から人の声が聞こえてきて、さすがにずっと立ち止まっているのは不自然だからと言うことなんだろう。
歩きながら圭介さんの言葉に、小さく首を傾げた。
すでに今、二人きりの時間を過ごしてる。
これ以上に、何をくれるというのだろう。
不思議そうな表情の私の頬を、圭介さんの指先が擦る。
くすぐったくて目を細めると少し真面目な顔になった圭介さんは、その指先で顎先まで辿ってそのままはなれた。
「由比さんの顔に、書いてある。二人でいたいって」
嬉しいな、とさっきと同じ言葉を呟いて、前を向く。
心なし、顔が赤く見えるのは圭介さんも照れてるんだろうか。
「うん。二人で、いたい」
恥ずかしいけれどちゃんと伝えたくて、圭介さんを見上げながら途切れ途切れだけど言葉にして気持ちを伝える。
へにゃりと笑うと、圭介さんはありがとうと嬉しそうに笑ってくれた。
「では、また後ほどお伺いいたしますので」
「ありがとう」
「……」
えーと、ね。
うん。
今、私の頭の中をあらわすなら、何もない。
真っ白。
散策路を後にした私達は、湖畔を散歩したりお土産を見たりのんびりと過ごした。
穏やかな時間を過ごせて、本当に嬉しくて。
夕暮れを迎えて、それでも手を繋いだまま色々話して。
もうすぐこの時間も終わるんだなぁって、内心少し寂しくなりながら……。
圭介さんに促されるまま、歩いて。
歩いて。
て。
……で。
なぜか、和風の旅館に辿り着きました。
何の躊躇もなく旅館の中にはいって行く圭介さんを慌てて追いかけると、なぜか宿泊が予約されていて。
あれ? あれ? と戸惑っているうちに、仲居さんに部屋へと通された。
私が状況を把握する前に。
圭介さんと向かい合って座っている卓状台の上には、豪華な和食な料理が並んでいる。
着物姿の仲居さんが、無駄のない動きで襖を閉めて外へと出て行った。
「さ、食べよう?」
にこにこと笑う圭介さんが、お箸を持って私を促す。
「え、うん」
思わず頷きながら箸を手にとって、動きを止めた。
いやいやいや、ここは流されている場合じゃない。
「えぇと、圭介さん。これって、なんでしょう」
手元を見ていた視線を上げて圭介さんを窺うと、これ? と不思議そうな顔をされてしまった。
いや、そんな顔したいの私なんだけど……。
「あぁ、和食じゃなくて洋食の方がよかった?」
昼が洋食だったから和食にしてみたんだけど……、そう言う圭介さんに思わず突っ込みを入れたくなる。
「そうじゃなくて、和食は好きなんだけど」
「それならよかった。由比さんのご飯が一番おいしいけれど、お互いに遠慮せずゆっくりできるかなと思って。ごめんね、少し驚かせちゃったかな?」
疑いの目を向けていた私に、圭介さんは穏やかに目を細めた。
「由比さんが嫌がる事はしないから。ね?」
その言葉に、頬が熱くなる。
そうだよね。圭介さん、優しい人だし。何を自意識過剰になっているのやら。
恥ずかしさを誤魔化すように、私は目の前のお造りを口に入れた。
程よく脂ののったマグロは、当たり前だけどスーパーとかで買う盛り合わせとは全く味が違くて。
思わず頬を押さえて、にへらと笑う。
「おいしい」
そう呟くと、嬉しそうに圭介さんが微笑む。
「喜んでもらえて嬉しいよ。アパートでもいいけど、やっぱり初めて二人きりになるんだから少しは格好付けたいなと思ったんだ」
「変に勘繰ってごめんなさい」
ら小さく頭を下げると、圭介さんはそんな事ないよと箸を動かす。
「……勘繰りじゃないし」
「え?」
おいしい夕飯に意識を向けていた私は、ぽつりと呟いた圭介さんの言葉を聞き逃した。
箸を銜えながら視線で問い返したけれど、圭介さんは笑ったまま何も答えなかった。
うん、後で思えば、はめられた瞬間だったかな。