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「んで、どこ置くんだこれ」
久しぶりに足を踏み入れた地下倉庫は、最後に来た時と同様、綺麗に片付いていた。
「あ、奥の棚なんで」
桐原の言葉に由比が荷物を受け取ろうと、両手を伸ばす。
しかし桐原はそれを無視して、倉庫の奥へと足を進めた。
「ちょ、桐原主任!」
慌てて追いかけてくる、由比が可愛い。
親鳥を追いかけてくる、コガモのようだ。
そこまで考えて、俺は母親かとため息をつく。
俺は男で、こいつは女で。
付き合ってて恋人で、なのに自分から親ガモコガモ想像かよ……。
「情けねぇ」
両手で段ボールを棚の一番上に載せていたら、思った言葉が口から零れてしまったらしい。
「え、なんです?」
その声に右斜め後ろに顔を向ければ、見上げてきた由比と目があって毒気を抜かれる。
まぁ、いいか。
どんな状況でも、付き合ってることには変わりねぇし。
どこの世界に人の脇の下から顔をのぞかせる、ただの同僚がいるものか。
少しずつ、距離を詰めていきゃいい。
面倒だけど、しかたねぇや。
「なんでもねーよ、別に。つーかさ、俺、聞きたかったんだけど」
由比と付き合い始めてからずっと聞きたくて、聞いていなかった事。
聞けなかった時点で、かなり情けないのだが。
「また、何かされてるとか……ねーよな?」
「はい?」
何か? と首を傾げるのは可愛いと思うけど、ちょっと離れてくんねーか?
すぐそばにいるから、腕を下ろせないんだけど。
そう思いつつも、いつもより傍に近づいてきているこの状況が勿体ない。
懐かない猫をなんとか傍に寄せた気分だ。
これで手を出したら逃げるとか、絶対アリだな。
こいつの場合、マジで逃げられそう。
ということで、腕がしびれるまで我慢大会決定。
内心盛大に溜息をつきながら、もう少し詳しく言葉にした。
「また、社員に何かされてねーのかってこと」
そこまで言ってやれば、やっとぽんっと掌を打ち付けて破顔する。
「ないですよ、何も」
楽しそうにくすくすと笑う由比の目が、嘘をついているようには見えなくて内心安堵する。
前回、まったく気付けなかった桐原は、そのことに関してだけは由比に直接聞くしかない。
これで嘘でもつかれようなら、頭を抱えてしまいそうになる。
「もう秘密にはしませんよ、桐原主任。だって、……まぁその……一応彼氏さんですからね」
ふわりと恥ずかしそうに笑ってそんな事を言い放つ由比をぎゅっと力任せに抱きしめたい……という欲望はなんとか抑え込んで、それでも嬉しくてにやけそうになる口元を隠すように横を向いた。
「一応って、なんだ」
「一応は、一応です」
こいつも大概、意地っ張りの恥ずかしがり屋ときた。
思わず二人で噴き出した俺達の笑い声が、静かな倉庫に響いた。
「それにしても、なんか立場が逆転って感じで面白い」
一通り笑った由比が、しばらくして桐原を見上げた。
「立場?」
そろそろ腕が疲れてきたなとか思っていた桐原は、さっきの由比ではないが少し首を傾げて問い返した。
「だって、私の方が上みたい」
「上?」
「前はねずみねずみって言われてたのに、今は心配される立場。少しはランクアップしたのかな?」
ふふっと笑うその表情に、桐原は、あぁ、と呟いた。
「そういえば、お前俺の事“捕食者”って呼んでたな」
たった数か月前の事なのに、懐かしい響き。
捕食者から彼氏って、どんな変遷だと思わず苦笑を浮かべる。
「今は落ち着いちゃて、捕食者っていうより……」
んー、と考えながら指先を当てる唇が、妙に赤く見える。
あぁ、だから。
あんまり可愛い仕草とか、しないでくれよ。
捕食者ヅラを何とか隠して、理解ある彼氏やってやってんだから。
その間に、もっと近づける準備してくれよ。
こっちはもうずっと、お前を捕食したくてたまんねーんだから……
そんな事を考えていた、二十八歳桐原悟。
彼女である二十二歳上条由比は、にっこり笑って爆弾投下しやがった。
「保護者!」
……やべぇ、圭介と同じ立場にしやがった!