公爵令嬢は沼らせる。冷徹王太子の落とし方!
公爵令嬢シルフィアは隣国の王太子ベルグに嫁いだ。政略結婚だった。
シルフィアは美麗な顔立ちにしっかり化粧をし、薄く柔らかな生地の薄紅色の夜着を身に着けた。できるだけ清楚に見える様に、普段付けない純白の勝負下着も装着済み。シルフィアの寝室も今日の初夜のために自ら片付けもした。毛足の長い絨毯まで綺麗にし、埃一つないように徹底した。腰まで届く濡羽色の豊かな髪も腰元で一つ結びにし、香油を塗った。ふわりと香る匂いは主の好きそうな匂いにし、艶も問題なし。準備万端といった状況で主を待っていた。
コンコン
硬質なノックの音が響いた。シルフィアは頬をわずかに上気させる。青い血管の浮き出る白皙の手を座るベッドに置き、手の湿り気を吸い取らせる。
「どうぞ」
穏やかで柔和な声を上擦らせないように細心の注意をしながら入室を促す。
ドアノブが静かに回り、主が入ってくる。
冷徹王太子ベルグ・ベリフォン。薄青の特徴的な癖のない髪は丁寧に整えられ、髪と同色の瞳はすべてを拒絶するような鋭さを放つ。細い顎と薄い唇。透き通るような肌は少し薄暗くした照明に照らされ存在感を放つ。その意志の強そうな顔を崩して優しく微笑めば、国中の女は腰を抜かすだろう。
シルフィアは自分好みの大好きな顔を凝視する。シルフィアは面食いだった。それもかなりの。
ベルグは護衛をつれてシルフィアの寝室へ入ってくる。ベルグは仕立てのいい飾り気のない服をきちんと着こなし、シルフィアに薄青眼を合わせる。すでにシルフィアのこめかみには血管が浮き出ていた。
「お前を愛するつもりはない。好きなように遊んで生きろ」
ベルグはまるで命令するようにシルフィアに言い放つ。
ブチン
何かが切れる音がした。
シルフィア・レジェネイア。王弟を父に持つシルフィアはそれはそれは可愛がられて育った。英才教育も徹底され、まさに文武両道を体現した淑女であった。負けん気が強く、凝り性だったシルフィアはよく軍部の訓練に顔を出して自分を鍛え上げた。そして、自分の価値を高めるために、古書や書物を読み漁りさまざまな知識を吸収していった。そして彼女は人心掌握術に出会った。自分の願いを叶えるために他人をコントロールし始めたシルフィアは、最終的に自分の好きな顔の男に嫁ぐことに成功した。
シルフィアは思い出す。
結婚式が終わってから、ひたすらに準備していた自分の姿があまりに愚かで哀れに見えた。
沙汰を下した。
万死に値する。だが情状酌量の余地あり。顔は十二分に綺麗で自分好み、性格と気配りは下の下。その辺の平民の方がよほどまし。初夜の夜に護衛を連れてくるなど聞いたこともない。よって最終判決。性格改造の刑に処す。
ベルグはすぐさま踵を返して去っていこうとする。シルフィアはすぐにベッドから立ち上がり追いすがる。
そしてベルグの右腿に強烈なローキックが突き刺さった。それは軸足を九十度回し体重が乗った、綺麗で見事なローキックであった。ベルグは右足を抑えてよろける。即座に護衛の男が抜剣しようとする。
「抜くなよ。凡愚。妾は王太子妃である。王太子夫妻の痴話喧嘩に剣を抜いた愚かな愚図として城前に縛って晒すぞ」
シルフィアの声は底冷えのするような低い声だった。ベルグは痛む右足を庇うように体重を左足に移す。
「どういうつもりだ?」
シルフィアは剣吞な光を宿した瞳をベルグに向ける。
「どういうつもりだはこっちのセリフじゃ。なんじゃ、お主。いかなる理由で妾を愚弄する。ゆうてみい」
シルフィアの目線は挑戦的だった。しかしベルグは拒絶する。
「お前には関係ない」
ベルグの瞳は哀切を映し、シルフィアを見ていない。
「ほぅ」
シルフィアの目に明らかに見下すような色が混じる。
「わっぱじゃな。助けて欲しいなら素直に泣き付けばいいものを」
シルフィアはゆっくりとベルグに近づいていく。
そして、紅玉のような双眸でベルグと目が合うまで見続ける。
ベルグは口をへの字に曲げてシルフィアを見返した。
「さぞ気持ちがいいのであろうな。僕は粛清のために人を殺しました。心が痛いです。でも王太子だから耐えます。みんなこんな可哀想な僕を見てくれ。頑張ってる僕を見てくれと聞こえてくるようじゃ」
シルフィアの声には明らかに嘲笑が滲んでいた。その言葉はベルグの心をナイフで抉る。
そんなシルフィアの言葉を聞いた護衛の男は怒りを声にしようとする。しかしシルフィアの冷めた視線を前に動きを止めた。
「なんじゃ愚図。まだおったのか。ここは寝室ぞ? 今から初夜に入り夫婦の語らいをするのだぞ? はん。なんじゃお主、妾の裸が見たいのか」
シルフィアの挑発は止まらない。護衛は顔を真っ赤にしながらも自分を顧みる。どう考えてもシルフィアの言葉は正しい。圧倒的な正論であった。
「去ね」
シルフィアの命令は反論を一切許さなかった。護衛はすごすごと退室する。
シルフィアはもう一度ベルグを見る。瞳には少し怒りの感情が滲む。ただ、それを口に出すことはしない。ベルグは周りからどう見えていたのかを恥じる。シルフィアはさらにゆっくりと近づいていく。
「王とは迷わぬ」
一歩。
「王とは痛みを民にみせぬ」
一歩。
「王とは孤独なものである」
シルフィアはベルグの胸倉を掴む。
唇が触れ合うほどの距離で薄青と紅玉の視線がぶつかる。
ベルグの心は揺れていた。何も知らない女に王失格の烙印を押された。怒りの感情は影を潜め、孤独に戦う自分の姿が頼りなく思えた。
シルフィアは胸倉を引っ張り、耳元に顔を近づける。
「だが安心せい。お主には妾がおる」
そう告げて胸倉を放す。シルフィアはとても優しく優雅な手つきで皺の寄ったベルグの服を治す。
ベルグの耳から入ったシルフィアの言葉は脳に留まる。処理するよりも先にシルフィアが後ろを向いて一歩離れる。
その直後、ベルグの鳩尾にシルフィアの踵が突き刺さった。
後ろに振り向く動作からの反動を無駄なく丁寧に伝えるその蹴りは芸術の域に到達していた。
ベルグは目を見開きながら壁に背を強かに打ち付ける。そしてそのまま壁に背を当てたまま座り込む。ベルグは腹を押さえてシルフィアを見上げた。
「なぜ?」
ベルグから出たのは先ほどまでの拒絶するような声ではなく、母親に突き放され戸惑う子供の声であった。
ベルグの目は動揺に揺れている。状況の処理が追い付いていなかった。優しく言われたその直後に、この仕打ち。少し心が揺れかけたベルグの情緒が搔き回される。
シルフィアは優しく笑う。
「これは妾の心の分じゃ。妾は楽しみにしていたのじゃ。お主に愛されることをな。それなのにお主は妾を愛さないという。では妾は残りの人生をどうしたらいいのじゃ? あまりに無責任なのではないか? 人の人生を弄んだお主への罰じゃ。軽い方ではないか?」
ベルグは自分が無神経に人の心を傷つけたのだと自覚する。自分のことばかりだった。ベルグは猛省するように目を閉じる。
そして、同時にあたたかく柔らかい感触に包まれた。シルフィアは優しくベルグの頭を両手で抱きしめ、自分の胸に押し付ける。
ベルグの脳はシルフィアの肌と花のような少し甘い官能的な香りに支配される。そして、なんともいえない肉感が思考に靄をかけていく。そしてシルフィアの手は優しくベルグの頭を何度も撫でる。
「お主は、よく一人で頑張ったのじゃ。辛かったのう。大丈夫じゃ。妾だけはお主の味方じゃ」
子供をあやすような声はゆっくりと撫でる手と同期しながら、ベルグの体に沁み込んでいく。
ベルグが幾重にも掛けてきた心の鍵を一つずつ外していく。
「でも、大丈夫じゃ。これからはずっと一緒にいてやる。妾がお主を本当の王にしてやる。だから心配いらぬ」
ベルグの思考はシルフィアの甘い言葉に呑まれ、塗り替えられていく。
感情のタガが外れ、ベルグの濡れた瞳から一筋の涙が頬を流れる。
シルフィアはその涙を愛おしそうな表情で指で拭う。
「お主に罰を与えてやろう」
そう言ってシルフィアは優雅な動作で立ち上がる。
そしてベルグの正面やや左側に立つ。
ベルグは温もりが去った直後、幼子のようにシルフィアに手を伸ばした。
その顔にシルフィアの膝が容赦なくめり込む。嫌な音が響き鼻血が吹き出す。
目を見開いたベルグに見えたのは純白の下着であった。脳に血が昇る感覚と吹き出す血に混乱したベルグは思考を放棄した。
ベルグの頭の中は鋭い鼻の痛みと白。シルフィアの言動に脳が理解を拒む。
シルフィアは鼻を抑えるベルグの服の襟元を掴んでベッドまで引きずっていく。混乱するベルグはなすがまま。
そしてベッドの上に寝かされた。生まれて初めて女にベッドへ放り込まれる経験をしたベルグに判断能力は残っていなかった。ベルグはこうしてシルフィアの沼へ落ちていった。
ベルグ曰く、シルフィアはとても優しかったそうだ。
後年の歴史書にはこう記してあった。数多の不正を断罪せしベルグ王は、賢王として民に笑顔を振りまき国を富ませた。そして、常に側には優しく儚げな顔で微笑むシルフィア妃がおり、王を支えたと。
お読みいただきありがとうございました。面白かったと思っていただけましたら、評価していただけると嬉しいです。




