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異世界カフェ・パーチ〜元地球人のダークエルフは異世界でも人の悩みが変わらない事を知っている〜

作者: 絲紬ぺろろ
掲載日:2026/03/04

水と太陽の都ウディーツァ。

職人と冒険者が行き交う下街の一角に、一軒の小さなカフェがある。


表通りから外れた路地裏。

風が吹き抜けるその場所に、木の香りをまとった明るい窓を持つお店が顔を見せる。

――カフェ・パーチ。


目的地にするには少し分かりにくく。

立ち止まるには、ちょうどいい場所だ。


異世界情緒あふれる客が、今日も気まぐれに腰を下ろす。

鎧を脱いだ冒険者、工具袋を提げた職人、役所帰りの者。

彼らは皆、少しだけ疲れた顔で、ここを止まり木に選ぶ。


カウンターの内側に立つのは、ダークエルフのバリスタ――セシル。

銀の髪に、静かな翠の瞳。

落ち着いた所作で豆を挽き、湯を注ぐ。


異世界に転生してから二十五年。

ようやく手に入れたこの店は、彼にとって何よりの宝物だった。


世界が変わっても、人の営みはそう変わらない。

悩み、迷い、誰かに話したくなる気持ちも同じだ。


今日もセシルは、コーヒーと一緒に。

その「変わらないもの」を受け取る準備をしている。

日が傾き、下街の喧騒が少しだけ和らぐ頃。

カフェ・パーチの扉についたベルが、軽やかな音を立てた。


入ってきたのは、サイナンスロープ――犬獣人の若い女性だった。

淡いカフェ・オ・レのような色合いの髪と毛並み。

普段なら忙しなく揺れているはずの尻尾は、今日は力なく左右に揺れている。


「今日も疲れた〜」


カウンターに肘をつき、そのまま椅子に身を預ける。


「てんちょ〜、きっついの頂戴〜」


セシルは微かに口元を緩め、何も言わずに豆を量った。

アリシアの好みは、フルーティーな浅煎り。

そこにたっぷりのミルクと、角砂糖を三つ。


湯を注ぐと、軽やかな香りが店内に広がる。


差し出されたカップを手に取ったアリシアは、まず深く息を吸い、

それから一口だけ口に含んだ。


「……にっが〜い」


言うが早いか、ミルクを足し、角砂糖を一つ、二つ、三つ。

迷いなく放り込んで、スプーンで勢いよくかき混ぜる。


「あっま〜い」


満足そうに息を吐くその様子に、セシルの胸も少しだけ温まる。


さっきまで元気そうに振られていた尻尾は、

しかしすぐにぺたりと力を失った。


「てんちょ〜。聞いてくださいよ〜」


「今日は、どうされましたか?」


穏やかな問いかけに、堰を切ったように言葉が溢れる。


「もう、あの主任の下で働くのやだ〜」

「ただでさえ、毎日、まいにち! 冒険者さんのセクハラやパワハラに、耐えに耐え抜いてるのにですよ!」

「ま〜〜〜〜たっ! あの主任が、ぶつくさぶつくさっ!」

「も〜〜〜〜っ、耐えられません!」


がしゃん、と荒っぽくカップが音を立てる。


「あ、いけない!」


舌を出して慌てるアリシアに、セシルはただ微笑みで返した。


「冒険者のアイドル、美人受付嬢のアリシアさんにしては、らしくありませんね」


軽い毒を含んだ一言に、アリシアは仏頂面を作る。


「でも今回は酷いんですよ!」

「いつも私が出してる、冒険者の報告書の査定!」

「ほとんど、支給される時には主任が勝手に書き換えちゃってるんです!」


はぁ〜、と盛大な溜息。


「私、信用されてないんですよ〜」

「落ち込んじゃうな〜……」


「おやおや。アリシアさんには、心当たりがないんですか?」


セシルの穏やかな声に、アリシアは勢いよく首を振った。


「私、ちゃんと規定通りにやってるんですよ〜」

「でも今日、何気な〜〜く過去の支給記録を見たら、微妙に変わってるのがあって」

「別に冒険者さんから文句が出てるわけでもないし、主任にはその権限があるから……いいんですけど〜」


納得していない声音だった。


セシルは口元に手を当て、少しだけ考える。


「それは、特定の冒険者だけを優遇している、ということですか?」


「違うと思う」

すぐに否定したあと、顔をしかめる。

「けど、あの陰険眼鏡が若い女性冒険者に色目を使ってると思うと……」

「うげ〜。気持ち悪〜」


「ふむ。では、特定のタイミングで増減するとかは?」


「それも無いかな〜」

アリシアは指を折りながら考える。

「でも、そのままの時もあったんだよね〜」

「やっぱり、嫌われてるのかな〜……」


耳までぺたりと伏せてしまう。


セシルは新しくコーヒーを注ぎ、カップを静かに置いた。

そして、もう一つだけ質問を重ねる。


「書き換えられているのは、アリシアさんの書類だけですか?」


「あっ」


声を上げて、アリシアは鞄から書類束を取り出した。


「よく見たら……他の人のも、変えられてる」


セシルの眉間に、わずかに皺が寄る。


「主任さんは、真面目な方だったんですよね?」


「うん。遊んでる姿も、サボってるところも、見たことないかも」


「では、支給額と出金額、ギルドの残高に違算は?」


「まさか!」


慌てて書類に視線を落とし、すぐに肩の力が抜ける。


「勘弁してくださいよ、てんちょ〜」

「さすがに、それはありませんでしたよ〜」


湯気の向こうでアリシアの顔を静かに見つめた。

セシルはすぐに答えを口にしなかった。


カフェ・パーチには、夕暮れの光が差し込んでいる。

大きな窓から伸びる影が、木の床にゆっくりと形を変えていった。


豆の残りを確かめ、ポットを持ち替える。

こういうとき、手を動かすと考えがまとまりやすい。


書類は正確。

帳簿も合っている。

冒険者からの不満もない。


それでも、数字は「少しだけ」変わっている。


悪意があるなら、もっと露骨になる。

怠慢なら、辻褄が合わない。

誰かを陥れる意図も感じられなかった。


セシルは、前の世界で過ごした日々を思い出す。

会議室、資料、表計算。

誰もが正しく、だからこそ噛み合わないことがあった。


アリシアは黙って、カップの中を覗き込んでいた。

表面に映る自分の顔が、ゆらりと歪む。


「……てんちょ〜?」


「少しだけ、考えさせてください」


セシルはそう言って、トリュフの箱を棚から下ろした。

蓋を開けると、一粒一粒、形も大きさも微妙に違うチョコレートが並んでいる。


揃っているようで、揃っていない。

それでも、箱全体としては、きちんとまとまっている。


セシルは一粒を手に取り、しばらく眺めてから、そっと元に戻した。


「……なるほど」


小さな呟きが、コーヒーの香りに溶けた。

「アリシア。少し、その書類を見せてもらってもいいですか?」


ぴん、とアリシアの耳が跳ね上がった。


「えぇ〜〜〜」


露骨に嫌そうな顔をしながらも、しばらく書類とセシルの顔を見比べる。

やがて観念したように、小さくため息をついた。


「……内緒ですよ〜」


そう言って差し出された書類に、セシルは静かに目を通した。


数秒。

それから、くすりと小さく笑って、書類をそのまま返す。


きょとん、としたまま、アリシアはセシルの顔を見つめていた。


「大丈夫ですよ」


柔らかな声で、セシルは言う。


「貴女の上司は、とても素晴らしい方ですね」


「……え?」


まだ言葉を飲み込めないアリシアに、セシルは続ける。


「ギルドでは基本的に、冒険者さんの活動を表にまとめて、平均値を算出し、それを元に報酬を決めているようですね」


アリシアは口を挟めず、こくこくと頷く。


「ですが――平均値というのは、必ずしも平等な評価とは限らない」


セシルはカウンターに手を置いた。


「ほんの一部の極端な結果が、全体を引っ張ってしまうことがある」

「だから主任さんは、別の指標を考えたのでしょう」


「……別の?」


「中央値、です」


アリシアは首を傾げる。


「真ん中に位置する数値を基準にする方法ですね」

「多くの冒険者さんの実態に、より近い数字になる」


「貴女の書類は、規定通りで、何一つ間違っていない」

「主任さんはそれを否定したわけではありません」

「ただ、現場を守るために、もう一段階、調整しただけです」


「……う〜〜ん」


アリシアは腕を組み、唸るように考え込む。


「明日、主任さんと少し話してみてはどうですか?」


そう言って、セシルは棚から小さな手提げ袋を取り出し、カウンター越しに差し出した。

中には、いくつかのトリュフチョコレート。


「数字の話をした後は、甘いものがあったほうがいい」


アリシアは一瞬きょとんとし、それから小さく笑った。


「……主任、甘党なんですよね」


袋を受け取り、ぴんと立った耳が、少しだけ柔らかく揺れる。


水と太陽の都ウディーツァ。

今日もまた、喧騒と静けさを抱えたまま、街はゆっくりと夜の帷に染まっていく。


カフェ・パーチの灯りは、その片隅で誰かの止まり木として、静かに残っていた。


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