第7話:トロールの恋バナ
ある朝、ムウがいつもより少しだけ、丁寧に剣を拭いているのに気づいた。「ムウ、今日は狩りに行かないの?」私が尋ねると、ムウは短く「ガル、アウ」と答えた。
彼女についていくと、洞窟から少し離れた、木漏れ日が優しく差し込む崖の縁に案内された。そこには、土を盛り、周りを平らな石で囲っただけの、ごく簡素な盛り土があった。ガルの墓だ。
ムウは墓の前に座り込むと、何も言わずにただじっと、その場所を見つめていた。私は彼女の隣に並び、静かに手を合わせた。かつて王宮の騎士として、そして一人の教育者として生きたガル。彼がいなければ、今のムウも、そして救われた私もここにいなかっただろう。
ふと隣を見ると、ムウの横顔が、いつもの厳つさを失っているように見えた。黄色の瞳に宿る光が、ひどく穏やかで、どこか懐かしんでいるような。その様子を見て、私は直感的に悟ってしまった。ムウにとって、ガルは単なる「言葉を教えてくれた恩人」以上の存在だったのではないか、と。
「……ムウ。もしかして、ムウはガルのことが好きだったの?」
ムウの身体が、ビクンと跳ねた。彼女はのそりと、しかし凄まじい気迫で私を振り返った。その顔は、私が今まで見た中で一番恐ろしい。トロール本来の、野生の殺気すら感じるような睨みつけ。
思わず身をすくめたが、すぐに違和感に気づいた。ムウは睨んでいるが、その大きな耳の先が真っ赤になっている。トロールの厚い皮の上からでもわかるほどに、顔全体が紅潮していた。
(あ、これ……図星を突かれて照れ隠しでキレてるやつだわ)
「ごめん、ムウ。からかうつもりじゃなかったの。……でも、素敵なことだと思うわよ」
私の言葉に、ムウは毒気を抜かれたように肩を落とした。彼女は大きな手を自分の膝の上で、もじもじと動かしている。その仕草は、恋バナに照れる乙女そのものだった。
「……オデ、ガル、スキ。……デモ、ガル、ニンゲン。オデ、トロール」
ムウは拙い言葉で、心の奥底にしまっていた想いを少しずつ吐き出した。それは、言葉も通じない幼い怪物の前に現れた、誇り高い騎士への思慕。種族の違い、言葉の壁、そして寿命の差。客観的に見れば、それは滑稽なほどに叶うはずのない恋だ。
ガルはきっと、自分の教育対象であるトロールがそんな熱い眼差しを自分に向けていたなんて、夢にも思わなかっただろう。彼はムウを、あくまで「教え子」か「風変わりな相棒」として慈しんでいたに違いない。そして彼は、その想いに気づくこともなく、すでに土の下に眠っている。
(……それでも)
私はムウの大きな背中を見つめながら、鼻の奥がツンとするのを感じた。着飾った美しさや家柄で判断されるアステリア王国の「愛」よりも。何一つ伝わらず、何一つ報われないことがわかっていても、それでも大切に守り続けているムウのこの感情の方が、ずっと尊い気がした。
「ムウ。世界一ピュアな恋ね、それは」
「……ピュア?ナニ、ソレ」
「最高に綺麗だってことよ」
ムウは首を傾げていたが、私の顔を見て、照れくさそうに「フンッ」と鼻を鳴らした。風が吹き抜け、ガルの墓の周りの草がざわざわと揺れる。その音は、まるでもう一人の「イイヤツ」が、私たちの会話を微笑みながら聞いているかのようだった。




