第1話:処刑の日
「……見苦しいぞ、エリザベラ。最後まで往生際が悪いとはな」
頭上から降り注ぐのは、冷徹な拒絶。かつての婚約者、エドワード王子の声だ。私は冷たい石畳の上に膝をつかされ、後ろ手に縛られていた。視界が涙で歪む。エドワード王子は、かつて私に囁いた甘い言葉など欠片も覚えていないかのように、冷淡な瞳で私を見下ろしていた。
「エドワード様、信じて……わたくしは、そんなこと……」
震える声で訴えても、彼の腕は優しく聖女マリアの肩を抱き寄せたままだ。私だけに向けられていたはずのその慈しみは、今や別の女のもの。その事実が、首筋に押し当てられた死の予感よりも深く、私の胸をえぐった。
「……エドワード様、わたくしの髪のことはもうよいのです。どうかエリザベラ様にご慈悲を……」
王子の傍らで、自慢の銀髪の一部を、無残に切り取られたマリアが泣き崩れている。その健気な訴えは、かえってエドワード王子の義憤を燃え上がらせた。このアステリア王国において、女性の長い髪は単なる装飾ではない。手入れされた髪を維持できることは高貴な身分の証明だ。
聖女の髪を、刃物で無残に切り裂く。それはこの国において、肉体を傷つけることよりも重い、許されざる大罪だ。
「聖女マリアの誇りを奪い、その未来を汚した大罪人エリザベラ!その罪、死をもって償うがいい!」
エドワード王子の宣告。群衆が「殺せ!」と獣のように吠え、処刑人がゆっくりと巨大な斧を持ち上げた。死ぬ。本当に、殺される。ガタガタと歯の根が合わないほどに震えが止まらない。
その絶望の極致で、私の意識は急激に「別の場所」へと引きずり込まれた。
(……えっ?)
視界が二重になり、激しい眩暈が私を襲った。豪華なドレスを着て処刑を待つ私と、現代日本でごく普通の暮らしを送っていた「私」が、一つの意識に強引に結び合わされる。
(……思い出した。前世ではありふれた毎日を生きていたんだ。そして、暇つぶしに読み漁っていた……あの、処刑寸前の悪役令嬢が鮮やかにピンチを切り抜け、自分を貶めた連中に報復を決める、スカッとする物語の数々を!)
急速に記憶の断片がパズルのように嵌まっていく。スマホの画面で眺めていたのは、転生した主人公が余裕たっぷりに断罪を跳ね除ける、都合のいい展開ばかり。だが、現実はどうだ。まさに今、処刑人の斧が振り下ろされている最悪のタイミング。証拠を揃える時間も、味方を作る余裕も、一分たりとも残っちゃいない。
(……いや、難易度設定おかしくない!?他の転生者たちはもっとマシな時期に目覚めてたじゃないの。いきなり処刑シーンからスタートとか、控えめに言ってクソゲーだわ!)
「私」の意識が「エリザベラ」という人格を飲み込んでいく。死への恐怖で停止していた思考が、現代人の視点を取り戻し、目の前の光景を冷静に見つめ始めた。
泣きじゃくるマリア。彼女の銀髪は確かに酷い有様だ。だが、記憶の中のあの日、彼女は私の前で、微笑みながら自らナイフを振るったのだ。「これで、貴女の人生は終わりですわ」と、美しく、悍ましい顔で囁きながら。
(この世界の連中は、マリアを『聖女』だと盲信しすぎている。彼女が涙を流せばそれが真実になり、彼女が傷つけば世界が彼女の味方をする。……これがいわゆる『ヒロイン補正』ってやつね。自作自演だなんて誰も疑いさえしないんだわ)
あまりに理不尽な、出来レースの世界。マリアの言葉一つで、公爵令嬢であるはずの私の破滅が決定づけられていく。
「処刑人!何をしている、執行せよ!」
エドワードの苛立ちを孕んだ声が響く。
(……ふざけないで。髪をちょっと切ったくらいで処刑なんて、どんな価値観よ。しかも冤罪なのに、このまま黙って殺されてたまるもんですか!)
マリアがハンカチを顔に当て、その陰で「勝ち」を確信し、醜い笑みを浮かべたのが見えた。
「お待ちになって!!」
斧の刃が振り下ろされる寸前、私はありったけの声を絞り出した。
「……何だ、エリザベラ。見苦しい命乞いか?」
エドワード王子が不快そうに眉をひそめる。
(命乞い?違うわ。交渉よ)
私は深呼吸をし、「エリザベラ」としてのプライドを、現代人の合理性で上書きする。
「エドワード様、そして市民の皆様。……認めます。ええ、すべてわたくしがやりましたの」
まずは「有罪」を認める。ここで無実を訴えても、誰も信じないし時間は稼げない。広場から「今さら認めるのか!」「死ね!」と怒号が飛ぶが、私はひるまずに言葉を継いだ。
「ですが、ただ死ぬだけでこの罪が贖えるとは思っておりません。嫉妬に狂い、アステリアの誇り、聖女マリア様の髪を傷つけたわたくしが、死という安らぎで逃げることを神がお許しになるはずございませんわ!」
「……何が言いたい」
エドワード王子が訝しげに目を細める。
「……罪深きわたくしに相応しい、より厳しい罰を与えてくださらないかしら?わたくしの髪をすべて剃り落とし、公爵令嬢の地位を剥奪し、名もなき卑しき身分へと落とした上で追放してくださいませ!」
広場はどよめきに包まれた。高貴な公爵令嬢が、自らその誇りを投げ捨て、丸刈りで追放される。それはアステリア王国においては、死よりもはるかに惨めで残酷な仕打ちと思われた。
「……自ら頭を丸め、追放を受け入れると?」
「ええ。二度とこの国の土を踏むことは許されず、生き恥を晒し続けること。それこそが、聖女マリア様への最大の贖罪ではございませんこと?」
私は必死に、この世界の価値観を逆手に取って言葉を積み上げた。内心では(髪なんて一年もあれば生えてくるわよ)と舌を出しながら。
王子はマリアを見た。マリアは一瞬だけ、戸惑ったような顔をしたが、すぐに悲劇のヒロインを演じ始める。
「エドワード様……エリザベラ様がそこまでおっしゃるなら。わたくし、エリザベラ様の命を奪うことは望んでおりませんの」
甘ったるい声。だが、彼女が私のそばに歩み寄ってきたとき、その声のトーンがわずかに変わった。エドワード王子や周囲には聞こえない、囁き。
「……いい考えね、エリザベラ。処刑されるより、一生ハゲ頭を抱えて、泥水をすすって生きていく方が、よっぽどお似合いよ」
マリアの唇が、歪んだ弧を描く。彼女の瞳には、かつての公爵令嬢が、自分から「惨めな罪人」へと成り下がっていくことへの、どす黒い悦楽が浮かんでいた。
(……性格悪すぎて引くわ)
私は内心で毒づいたが、顔には深い絶望の色を貼り付けた。
「いいだろう。貴様の願いを聞き入れてやる、エリザベラ」
エドワード王子の許可が下りると、処刑人は斧を置き、代わりに鋭利な剃刀を取り出した。広場の中心で、私の金色の縦ロールがハラハラと崩れ落ちていく。観衆からは「うわあ……」と、憐れみと嫌悪が混ざったような声が漏れる。
数分後。私の頭は滑らかな、完全なる丸坊主になった。泥にまみれたドレスと、不気味なほど真っ白な頭。
「これより、エリザベラ・フォン・アーデルハイドを国外追放とする。二度とこの国の地を踏むことは許さぬ。もし現れたら、その時こそ命はないと思え!」
私は兵士に突き飛ばされるようにして、広場から連れ出された。背中越しに、エドワード王子に抱き寄せられながら「可哀想な聖女」として称賛を浴びるマリアの姿が見える。
(笑ってなさい、今のうちは)
門の外へ放り出され、石が転がる荒野に手をついた。ズキズキと痛む手首と、風が直接当たる頭皮の感覚。所持金ゼロ、身分ゼロ、転生早々の丸刈り。悪役令嬢もののテンプレと比較しても、これ以上のドン底スタートがあるだろうか。
「……ふう。とりあえず、一話目はクリアってところかしら」
私は泥まみれの手で、自分のつるつるの頭を撫でた。まずは生き延びること。自分を陥れた連中にどう報いるかを考えるのは、もっと先の話だ。
私は立ち上がり、一度も振り返ることなく、未知の荒野へと歩き出した。




