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【小説】恋の追い風参考記録

掲載日:2025/12/20

 トラックの前に設置されたランプが赤く灯り、レル子はおおきく息を吸った。

 二つ目のランプが赤く灯り、レル子は細長く息を吐いた。

 三つ目のランプが赤く灯り、レル子は再びおおきく息を吸い込むと脚に力を込めて低く構えた。

 そして四つ目の青いランプが点ったその刹那、レル子は一気に飛び出した。

「持ち味を活かせッッ!」

 ツケ郎の悲鳴にも似た叫び声が聞こえた。


 春も終わり、桜が散って緑色をした風が吹き荒れる事、芦持レル子は茶色いトラックの上を走り続けていた。

 足に装着したジェットギアが金切り声を上げる。それでも構わずレル子は走った。

 スランプと言う表現は嫌いだが、どうにも調子が悪い。タイムが落ちる事は無かったが、伸びもしなかった。

 自分の走りがダバダバとしただらしないものに感じられた。



 何が原因かは分からない。

 脚部ジェットギアの整備は誰よりもこまめにしている。余計な油を拭き取り、冷却液も入れ替えている。

 ジェットギアそのものは型落ちだがまだ新しい部類だったし、ブースターオイルだって買える範囲で良いものを使っている。

 それでも調子は上向かない。

 だからレル子は走るしかなかった。


 走ったところで何も解決しないのはレル子も分かっているが、走ること以外で解決できるとも思わなかった。

 だからこそレル子は悩み、練習にも手ごたえを感じられなくなっていた。



 しかしトラックの反対側を走る前神キル子の姿を目にすると、レル子の足が燃える様に熱くなり呼吸が乱れていくのがわかった。

「レル子!自分の持ち味を活かせ!」

 トラックの傍で、ジャージ姿の粉出差ツケ郎が柔軟をしながら声をあげた。

 ムッとする気持ちと恥ずかしさ、それと小さな歓びみたいなものが同時に込み上げて頭が混乱していく。

 再び自分のペースを見失ったレル子は決めていた周回を終える前に速度を落としてトラックから出て行った。



「もう終わりか?普段ならあと3周は走ってるだろ」

 ツケ郎はストレッチの姿勢のままレル子に話しかけた。

「放っておいてよ、ってかわたしの事を見過ぎじゃない?」

 レル子は睨みつけたがツケ郎は意に介さず笑うだけだった。

「まぁな。同じ中距離だし、最近なんか調子悪そうだし」

 ツケ郎はそう言って柔軟を続けていたが、目はレル子から離さなかった。


 スランプの原因はこれかも知れない、とレル子は思った。

 ツケ郎はストレッチを終えて、脚部ジェットギアの動作を確認し始めた。

「レル子はさ、脚質が差しな訳じゃん。だから先行するのは良くないと思うんだよ。足を溜めておいて後半で一気に捲るのが合ってる走りだと思うんだ。

 最近は先行気味で、中盤にズルズルしちゃう感じだろ」

 ジェットギアの確認を終えたツケ郎は立ち上がってジャージを脱ぐと

「まぁ試してみてよ」

 と言って走り出した。


 ツケ郎は短距離走の様な速度で走り出すと、トラックを半周したあたりで少しペースを落とした。

 脚質が逃げのツケ郎らしい走りだ。

 特にコーナーでのスピードコントロールが彼の強みで、細かくジェットギアを噴射して着実にコーナーでのスピードアップをしている。

 そのセンスは類い稀だ。一歩毎、いやそれより細かい脚の動きに合わせて微妙なコントロールをする。



 自分の強みを理解した走り。私にもそれが出来るだろうか?だけど、例え脚質が差しだとしても性格的には先行したい。差し切れるか不安になって、仕掛けどころを見誤りがちになる。

「練習も満足に出来ないなら帰れば?」

 振り向くと、自分のトレーニングを終えたキル子が汗を拭いながら言い放った。

 本人からも、そして脚に光る最高級ジェットギアからも異様な白煙が上がっている。


 レル子はムッとした顔を隠さずに「うっさいな、あっち行っててよ」と言うとキル子に背を向けた。

 その背中になおもキル子が投げつける。

「ツケ郎も、なんでアンタなんかに声をかけるんだか」

 キル子はフンと鼻を鳴らして笑うと、ガチャリと厭味な音をたえて踵を返し部室に向かっていった。



 自分でジェットギアの整備もできないくせに、と言いかけたが高級品を変えない身分の自分が惨めになるだけだと思ってレル子は飲み込んだ。


 あの女、いつか、ぬっころしてやる。


 まもなく始まる県大会に出るには、まず地区予選を勝ってレギュラーの座を争わねばならない。

 その地区予選、キル子と争う事になるのは分かっている。

 そしてそのキル子は絶好調の状態だ。

 先週には学内新記録を叩き出した。

「負けたくない」

 食い縛った奥歯が割れそうな音を立てた。握りしめた拳から血が滲みそうになったその瞬間、レル子の傍をツケ郎が走り抜けた。

 ツケ郎のジェットギアからは、カストロールにも似た少し甘い香りがして、レル子はその匂いを胸に大きく吸い込んだ。


 地区予選当日、レル子はトラックに立った。

 凄まじい視野狭窄が起きている。心拍は壊れる寸前のジェットギアみたいに狂った速度で脈打っている。

 柔軟もアップも足りてるのかやり過ぎなのか分からない。自分の調子が良いのか悪いのかもわからない。

 だが走るしかない。

 スタートケージの横に並んだキル子を見る。

 不敵に笑い返すキル子は余裕がありそうだった。


 この女、ぬっころしてやる。


 その瞬間、レル子は自分の腹が据わったのを感じた。底が熱く燃えるのがわかったし、その奥がどこまでも冷たくなっていくのを感じた。

 これはジェットギアの熱じゃない。わたしの熱だ!

 レル子は全身に纏っていたボンヤリとした薄皮が剥がれ、ピリピリとした競技場の空気を感じることができた。

 全身の血流と脚部ジェットギアが噛み合うのを感じた。


 行ける!



 トラックの前に設置されたランプが赤く灯り、レル子はおおきく息を吸った。

 二つ目のランプが赤く灯り、レル子は細長く息を吐いた。

 三つ目のランプが赤く灯り、レル子は再びおおきく息を吸い込むと脚に力を込めて低く構えた。

 四つ目の青いランプが点ったその刹那、レル子は爆発するように一気に飛び出した。


「レル子!持ち味を活かせッ!」

 ツケ郎の悲鳴にも似た叫び声が聞こえたが構うものか。

 レル子はそのまま一気に先頭に躍り出ると、さらに加速した。

 ツケ郎の様にコーナーでの細かい加速は出来ない。それなら直線で一気に攻める。

 競技場トラックの空気が溶けたバターやクリームのようにレル子の全身を包んだ。そしてレル子はそれを振り払うように、ジェットギアを大胆に使って大逃げを打った。


「なによあれ、あの子あんな走りを……」

 意表を突かれたキル子は躊躇い、そして自身が出遅れた事に焦った。いや、脚部ジェットギアの動作がほんの少しおかしかったのだ。

「大逃げ?馬鹿な……」

 だがキル子は自分の脚部ジェットギアの異変に気づいていなかった。レル子の作戦に動揺しきっていた。

「あの子の脚質は差しのはず」

 それが大逃げ?ツケ郎のマネでもしているの?ツケ郎に教わった?

 あらぬ妄想が頭を占めた。

 その瞬間、自分が囲まれて団子となった集団のさなかにいる事に気づいた。

「しまった……!」

 だがもう遅い。

 キル子は諦めるとジェットギアの自爆ボタンを押した。

 トラックに派手な花が咲いた。



「汚い花火ね」

 余裕を持って先頭を走っているレル子は呟いた。

 団子から距離を取っていた選手たちは巻き込まれずに済んだが、それぞれが動揺を隠しきれずにいた。

 レル子はそのまま逃げを打ち、一番最初にゴールテープを切った。レコードが狙える速さだと思った。


 しかし、レル子が出した記録は追い風参考記録で、正式な記録には認められなかった。

 レル子は失望したが、その瞬間ツケ郎が彼女の肩を優しく包みこんだ。

 レル子はツケ郎の胸の中で泣き崩れた。

「キル子が……」

 ライバルだったとは言え、その涙は本物だった。

「あぁ、残念だ。だがあれが彼女の限界だったんだよ」

 ツケ郎はそう言って微笑むと、手に持っていた最新型の小さな螺子をハナクソの様に飛ばした。

「県大会出場、おめでとう。これからもレル子を支えるよ」

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