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校正者のざれごとシリーズ

校正者のざれごと――「さくら」と春樹ワールドと愛子さん

作者: 小山らいか

 私は、フリーランスの校正者をしている。仕事場はもっぱら自宅。

 その自宅に、ものすごくでかい蜘蛛が現れた。それは、陽気もよくなった春の終わり。

 虫が苦手という人は多いと思うが、私は別に虫をこわいとは思わない。家にゴキブリが出れば、逃げるよりまず古新聞を探す。古いカレンダーでもいい。蜘蛛だって、指の先くらいの小さいものは、家の中にそのまま放っておいてもいい。

 でも、今回の蜘蛛は別だ。

 左右の足を伸ばすとたぶん20センチはある。体はやや肉厚で、存在感がものすごい。なんて気持ち悪いんだろう。見ていると背筋がぞくっとする。

「この蜘蛛はアシダカグモっていって、家の中の害虫を食べてくれるから、そのままにしておいたほうがいいよ」

 夫は何食わぬ顔でそんなことを言う。

 いやいや、何言ってんだ。こんなものと同居? 無理に決まってる。だいだい、私以外はみんな昼間家にいないじゃないか。一日中、こんなのと一緒にいるなんて耐えられない。

 蜘蛛は、しばらく見かけなくなったかと思うと、ふと天井あたりに姿を現す。神出鬼没だ。まだわが家が気に入っているらしい。早く出ていってくれればいいのに。

 そしてある日突然、私はキレた。床拭き用のモップを手に取る。さあ、戦闘開始だ。

 窓を全開にする。壁を這う敵に向かって、開いている窓のほうへモップの柄を使って誘導する。敵はモップの動きに驚いて逃げ回るが、なぜか窓の外へ行こうとはしない。数分格闘したが、結局、家の中のどこかへ隠れてしまった。完全なる敗北。

 蜘蛛は数日後、今度は仕事をしている私のうしろの壁に現れた。高い所からまるで仕事中の私を監視でもするように、そのまま動かない。

 振り向いて、しばらく様子を観察してみた。気持ち悪いことに変わりはないが、よく見ていると、手足を少し曲げた状態で、なんとなくリラックスしているようにも見える。

 おのれ。人をこんなに不安にさせておいて、生意気な。

 ふと思いついて、立てかけてあったモップの柄で蜘蛛の近くの壁を軽く叩いてみた。すると、蜘蛛は驚いて左右の足をぴんと伸ばした。とたんに緊張感のようなものが感じられる。ふん。いい気味だ。

 この間の敗北で、追い出すのは諦めた。くやしいが、こいつとは共存していくしかない。

 そこで思った。どうせ共存しなければならないなら、気持ち的にこいつを受け入れられる方法を考えてみてはどうか。そうだ、名前をつけてみよう。そうすれば、少しはかわいいと思えるようになるかもしれない。

 蜘蛛に「さくら」という名前をつけた。

 さくらは、まだ私の後ろの壁にいる。さっきまでは緊張していたが、また少しリラックスし始めたように見える。もう一度、モップの柄で壁を軽くたたく。足をぴんと伸ばす。

 なんだか、その姿は先生に叱られた子どものように見えた。まあ、かわいいとまではいかないが、彼女――さくらは別に悪いことをしているわけじゃない。このまま、少しの間、様子を見ることにする。

 

 先日、教材の仕事で、教科書に掲載されている村上春樹さんの『青が消える』を読んだ。村上春樹さんの小説は学生の頃にずいぶん親しんでいたが、ここ最近は目にしていなかった。でも不思議なことに、数行読んだだけで「ああ、村上春樹だ」と強く感じた。数十年のブランクを吹き飛ばす、圧倒的な懐かしさ。こんな短い文章でも、世界観というか、空気感そのものすべてが村上春樹だった。やっぱりすごい。恐るべき、春樹ワールド。

 クイズ番組などで、小説のなかの文章が数行示され、「作者は誰か」と問われることがある。誰もが知っているような有名な作家の文体にはやはり特徴的な流れがあり、ああ、あの人の書いたものだな、となんとなくわかる。

 比べるのもおこがましいが、自分でも文章を書いていて、好みの流れがある。書き始めると、あまり意識することなく何となくその流れに落ち着いていく。きっとそれは、今まで読んできたものの影響を強く受けているんだろう。

 そして、たぶんその候補のひとつであろう作家が、佐藤愛子さん。『娘と私の時間』や『娘と私のアホ旅行』など、とにかく笑えるエッセイがとても好きだった。この「さくら」のエピソードを書きながら、なぜか突然それを思い出した。彼女のようなキレッキレの、そしてユーモアのある文章が書けたら。そんな思いで、久しぶりに本棚にあった彼女のエッセイを手にとった。佐藤愛子さんは現在101歳だそうだ。2021年には98歳でエッセイを発表している。素晴らしい。彼女のように生きていけたら。ふとそんなことを考える。

 いつの間にか秋になり、気づくとさくらの姿は見かけなくなった。彼女はついに家じゅうの害虫を食べつくしたのかもしれない。別に、今でもかわいいとは思っていない。もちろん寂しくもない。でも、こうして懐かしい本を思い出すきっかけになり、それがひとつの文章になった。最近は夜も長い。読書の秋。ゆっくり本でも読むか。でも締め切りが……。いや、これは本を読まない校正者のただの言い訳だな。


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