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チューベローズ食堂のルビア(4)

久しぶりに訪れた休日。

窓の外から降り注ぐ陽光は、まるで金粉のように軽く暖かかった。窓辺に積もった埃さえもきらめくほど、今日は眩しいほどに平和な日だった。


台所からは焼きたてケーキの香りが漂っていた。甘い果実とふんわりしたクリームが織りなすその香りは、ゆっくりと家中に広がっていた。


私は静かにケーキのデコレーションを仕上げながら、そっと呟いた。


「いつももらうばかりで申し訳ないから…」


食卓の上にはきっちりと折りたたまれたナプキンときちんと並べられたお皿たち。まるで小さなピクニックに出かけるような期待感が、食卓に満ちていた。




陽光をたっぷり含んだ暖かな部屋の中。

私は鏡の前で、クローゼットを手繰りながら立ち尽くしていた。


無難で、私を隠してくれるような色と形の服たち。

その中から一着を取り出してボタンをかけようとした瞬間、ドアがそっと開いた。


「お姉さん、今日も会うの?」


部屋に入ってきたのは、ウェンディだった。


「う…うん…」


私はぎこちなく笑いながらボタンを留めた。

ウェンディは小さくため息をつき、静かに近づいてきた。彼女の手には、控えめで清楚、見慣れた白い服が一着持たれていた。


「これ、着て」


「これ?ウェンディがお気に入りの服じゃないの?」


「うん。お気に入りだから貸してあげるの」


そう言い終わると同時に、彼女は私が着ていた服を脱がせ、自分が持ってきた服を手渡してきた。

ウェンディの瞳は、普段と違って静かで深いものだった。


私は黙って服を受け取り、着替えた。


「…やっぱりこういう服はウェンディが似合うね、私にはちょっと似合わないかも」


「どうして? 似合ってるよ」


ウェンディは私の手を取って椅子に座らせ、

そっと髪を梳いてくれた。


カチリ――

柔らかな音とともに、可憐な白いリボンピンが私の髪に留まった。


「あ…これ、前に買ったやつじゃない? 一度もつけてない気がする」


「気にしないで」


しばし沈黙が流れ、

ウェンディは少し目を伏せたあと、そっと微笑んで私の肩を包み込んだ。


「…きれいだよ、姉さん。楽しんできてね」


「貸してくれてありがとう」


「これ、愛だよ。わかってる?」


私は静かに微笑みながら頷いた。


「はは、じゃあほんとにありがとうね」


彼女は小さく笑い、部屋を出る直前に最後の一言を残した。


「ありがたいなら、ケーキ一切れ残してってね」


ドアが閉まり、部屋に再び静寂が訪れると、私は鏡の中の見知らぬ自分を再び見つめた。


「…あら、もう時間が」


約束の時間が迫って、私は慌てて階下に降りた。

ケーキを慎重に切り分け、そのうちの一部をバスケットに入れた。


店の扉を開けて外へ出ると、柔らかな風が裾を撫でた。



正午を少し過ぎた頃。

ベンチに座ってエーデルバインさんを待っていた私は、ケーキのバスケットをそっと開けた。


甘い香りが漂い出すと、思わず胸がキュッと締まった。


ほどなくして、彼がいつもと変わらず眩しい姿でこちらに近づいてくるのが見えた。


「ルビアさん」


彼は軽く頭を下げて挨拶した。

揺れる髪が穏やかな風にそよいだ。


「お待ちでしたか?」


「いいえ…私も今、着いたところです」


ときめく心を隠すように、私は咄嗟にバスケットを差し出した。


「こ、これ!」


彼は一瞬驚いたように瞬きをしたが、すぐに柔らかく微笑んでバスケットを受け取った。


「これは何ですか?」


「朝焼いたケーキです…いつもプレゼントをいただくだけで…申し訳なくて」


「私のために作ってくれたのですか?」


彼は静かにバスケットを抱えた。


「本当に…ありがとうございます」


そしてほんの一瞬、彼の視線が私の手元に留まった。

そのまま私の手をそっと握って「こちらです」と言い、どこかへ私を導いた。


人々の騒音は次第に遠のき、代わりに鳥のさえずりと葉擦れの音だけが耳に入ってきた。

心臓の鼓動が彼にまで聞こえてしまいそうで、私は息を整えながら歩いた。



森の小道を10分ほど歩くと、視界がぱっと開け、宝石のようにきらめく大きな湖が現れた。

澄んで透明な水面に陽光が揺れ、そよ風が水面を撫で、静かなさざ波を作っていた。


「わあ…」


無意識に漏れた感嘆の声。

彼はしばらく私の反応を眺めてから、小さく頷いて言った。


「私の秘密の場所です。幼いころからよく来ました。

騒がしい場所から離れ、一人静かに思いに耽るのに適した場所です」


「本当に…美しいですね」


彼の顔にわずかな笑みが浮かんだ。

彼はケーキのバスケットを下に置き、私と一緒に大きな木陰の下に席を取った。

静かに一切れずつ取り分け、彼はフォークを取ってケーキを一口入れた。

しばらくして、目を軽く閉じてから頷いた。


「本当に美味しいです」


短いながらも心のこもった称賛に、胸がきゅんとした。


「気に入ってもらえて嬉しいです」


彼との会話は、最初のぎこちなさが嘘のように楽しいものになった。

ずっと長い間過ごし、紅い夕焼けが水面に広がる頃、私たちは森の小道を通って村へと戻り始めた。

夕焼けが木々の隙間から差し込み、世界中の音がまたゆっくりと私たちのそばへと戻ってきた。


そしてその瞬間、



「あら、カメリアス卿ではないですか?」


澄んだ高さのある未知の女性の声が不意に響いた。

その声の方へ目を向けると、騎士たちや侍女たちの中で、華麗な刺繍を施した淡紫色のドレスを纏った女性がゆっくりと近づいてきた。

銀色の髪が風に揺れ、手には紫色のレースの扇子を携えていた。


「ブラウン公女様」


エーデルバイン氏はきちんと頭を下げて挨拶した。私も彼の後ろでそっと腰を折った。


彼女は扇子の向こうから私を上から下へと視線でなめるように見つめ、微妙な笑みを浮かべるだけだった。


「近頃、カメリアス卿が…平民の女と楽しみをしているという噂を聞きましたが、まさか本当だったとは」


彼女の声音は整っていて上品だった。しかしその一語一語には鋭い毒が含まれているように感じられた。

公女は自然にエーデルバイン氏の身近に近づき、そっと彼の腕元に指先を掛けた。


「卿が私たちの家の催しに顔を出してくださらないのは残念です。もうすぐパーティーがありますが、ぜひご出席いただければと思います。卿がないと、いつも少し寂しいのです」


周囲の視線が私へ向いているのを感じた。

貴族女性たちの間で、エーデルバイン・カメリアス氏は、誰もが望むが誰一人として手にできない存在だった。

その彼のそばに、私が存在しているという事実は、正直なところ異質に映った。


私は視線を伏せた。

恥ずかしいとか、気分が悪いとかではなかった。

エーデルバイン・カメリアス氏は王国の輝く刃であり伯爵家の次男だ。

その彼のそばに、平民の私がいるというだけで、彼の名誉を汚しているのではないかという申し訳なさが胸を重くした。


しばらく静寂が流れた後、エーデルバイン氏が静かに口を開いた。


「ブラウン公女様」


彼の声は低く、そして毅然としていた。


「相手に対する礼儀はお守りください。

私にとって大切な方です」


彼の言葉には揺らぎがなかった。

その瞬間、彼女の微笑みが明らかに歪んだ。


「…相変わらずですね」


そして冷たい視線で私を見つめながら言った。


「お楽しみになるのも結構ですが、

カメリアス家の気品をお考えになるなら、ほどほどにされた方がいいのでは?」


公女は扇子を閉じ、小さく聞こえるかどうか程度に嘲笑を漏らし、顔をそらした。



彼女が去っていくのをぼんやりと見届けていると、エーデルバイン氏が私の前に立ちはだかった。


「不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません」


私はゆっくりと顔を上げ、彼を見た。

先ほどの冷たい表情は消えていた。

彼の瞳には心配と謝罪の色が溢れていた。


私はそれに応えるように無理に笑顔を作ってみた。

しかし、どこか苦しさがあって、もっと見ることができなかった。

だから、彼が抱えていたバスケットをそっと胸に抱え、視線を落とした。


「今日は楽しかったです。時間を割いてくださり、ありがとうございました」


「ルビアさん!」


後ろから彼の声が聞こえたが、私は無視して走り出した。

裾が風に揺れ、どこかで心が痛むような鼓動が始まった。




「はぁ…はぁ…」


息を整えながら家に戻ると、母が最初に駆け寄ってきた。

その後ろには心配そうな家族全員が私を見ていた。


「大丈夫よ、ちょっと走ったら息切れしちゃって…疲れただけだから今日は先に上がって休むね」


私は無理に笑って手を軽く振った。

家族の視線を避けるようにすぐ部屋に入り、ドアを閉めた。


扉が閉まると、安心とともに重苦しい静寂が襲ってきた。


私は窓辺に近づき、座った。

カーテンの隙間から夜の空気が染み込んできた。


『大切な方です。』


嬉しい言葉だった。

しかし同時に、胸が張り裂けそうだった。

その言葉が持つ重みと意味を、私という人間ではもしかしたら受け止めきれないかもしれないという思いが頭をよぎった。

エーデルバイン氏は私が届かない場所にいる人だ。

少しでも近づけば、彼が背負っている貴族という地位が、私には扱いきれないほど不都合なものになってしまうのではないかと思った。

もう少しでも近づけば、彼に向けられる数多の視線と言葉が、鋭い矢のように彼に向かうのではないかと不安だった。


そんな考えにとらわれているうちに、いつの間にか空はすっかり闇に覆われ、アドニアの街には静寂が漂っていた。




私はそっと立ち上がり、部屋の片隅、クローゼットが置かれた方へ向かった。

その奥深く、誰にも知られていない秘密の場所から、古びた箱を一つ取り出した。


蓋を開けた瞬間、蝋燭の灯の下でかすかに光る黒い布と鋼の冷たい輝きが現れた。

真鍮の刻印が刻まれた黒装束と頭巾、そして一本の剣。


私はそれらの服に着替え、窓からそっと外へ出た。


涼しい夜風が顔をかすめて通り過ぎた。

私は夜空に浮かぶ月を見上げてから、頭巾で顔を覆い、静かに身を翻した。


そして急ぎ足でアドニアの中心部にある、小さな薬屋「アサビケシ」へ向かった。


ここは昼間は普通の薬屋だが、夜になると別の名前「ルケオ」に変わる。

古語で「月の闇」を意味するその名にふさわしく、夜の影の下、不正を正す義賊団として姿を現すのだ。



誰もが夢の中にいる時間。

人影のない街で、私は静かに薬屋の裏手へ回り、扉を一度、短く叩いた。


ほどなくして扉が開き、蝋燭の灯が中から漏れてきた。


「いらっしゃい、ルビア」


扉を開けたのは、赤い巻き毛の男性だった。

彼の名はハヴィ。昼は薬剤師、夜はルケオの情報責任者だった。


「こんばんは、ハヴィ」


私は軽く頷きながら中へ入った。


慣れた香り。薬草とインク、軽い革の匂いが混ざる空間を通り抜け、上階へ向かった。


三つの扉が並ぶ廊下。そのうち一番手前の扉を開けると、若干薄暗いが、壁いっぱいに文書や地図、写真に囲まれた空間が現れた。


大きな机があり、五つの椅子が並んでいる。すでにそのうち三席には人々が座っていた。


私は最も奥、壁に近い席に座った。

やがてハヴィも私の左隣に席を取った。


「隊長、こんばんは~」


愛想良く声をかけてきたのはアサップ。

長い茶髪をきちんとまとめた彼女は、昼は静かな書店の店主だが、夜はルケオの情報収集と文書整理を担当している人物だった。


私の右隣にはラクータ。

粗く結んだ金髪と鋭い眼差し。彼は武器商人として働き、私たちに必要な装備と秘密のルートを提供する人物だ。


その隣にいる、紫がかった髪をたらし、目の下には浮き出る疲れが見える静かな男性はケイン。

普段はハヴィの助手として働き、潜入と隠密行動に優れた影のような存在だった。


これが、ルケオの面々だった。


私は指で机上の一枚の文書をトントンと軽く叩きながら言った。


「では、始めましょう」


みんなの視線が一斉に私に集まった。

チュベローズ餐館のルビアではなく、ルケオのルビアとしての夜が、始まる時間だった。

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