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チューベローズ食堂のルビア(1)

灰色の空だった。

だが、そんな暗い空とは不釣り合いに、

たった一筋の月明かりだけで

この場所は明るく照らされていた。

その光の中に、私はひとり立っていた。


冷たい空気に素肌のように刺す体。

自分のものではない赤い血に染まったこの古びた服は、

あるより劣っている。


私はただ、

空っぽの路地の中でうずくまり、震えていた。


「大丈夫?」


かすむ視界の中で、

一組の顔が私を見下ろしていた。

初めて感じる温かな手に安心したのだろうか、

私は静かに、そのまま眠りについた。


---------------------------------------------------------------------------------------------------

「ルビアお姉ちゃん!!

今日はお兄ちゃんじゃなくて私の方、手伝ってくれ!!」


赤い髪をひとつに束ねた末っ子のウェンディが

美しいエメラルド色の瞳を輝かせながら私の腕にしがみついてきた。


「厨房も忙しいんだよ!」


「お兄ちゃんにはパパとママがいるんだから大丈夫でしょ!!」


厨房では、肩までの長い赤毛をきつく束ねた次男のエドガーが

苛立ち混じりの声で野菜を切っており、

ウェンディは睨みながら彼に叫び返した。


「わかった、ウェンディ。心配しないで。

今日のお昼は厨房、夜はホールを手伝うから。」


「ほんとに!? お姉ちゃん!! 最高! ありがと!!」


その言葉が嬉しかったのか、ウェンディは満面の笑みで

私を抱きしめて頬にキスをしてきた。


正直に言えば、私はホールの仕事があまり好きではない。

黒い縮れ毛に紫の瞳。

その異質な見た目はいつも人の視線を集めてしまう。


特に、赤毛の母と茶色の髪の父の間で、

この髪色はあまりにも浮いていた。

そんな風変わりな外見に興味本位で近づく人もいれば、

私たち家族を賭けのネタにするような無礼な客もいた。


そんな時は、黙ってはいなかった。

そんな言葉に耐えるには、私にとってこの家族は大切すぎた。


もちろん、彼らの言葉が全くの間違いだったわけではない。

私は両親の血を受け継いだ子どもではない。


けれど、優しい両親のおかげで、

私は一度たりとも、

この家の"本当の家族"ではないと思ったことはなかった。


「ルビア、市場でじゃがいもと香辛料をもう少し買ってきてくれる?材料がちょっと足りないの。」


「はい。すぐ行ってきます。」


チューベローズ食堂の扉を開けて外に出ると、少し肌寒い空気が体を包んだ。

ここアドニア王国の首都は切り立つような高い山々に囲まれ、

永遠に広がる万年雪により山の上には常に雪が積もっていた。

そのせいか、冬はすべてが凍るほど寒く、

夏は暑いとはいえ、他の地域に比べると涼しい方だった。


「おじさん、こんにちは。

じゃがいもを三かごいただけますか?」


「おお、ルビアか。

朝にも買っていったのに、今日はお客さんが多いのかい?」


「夜に団体のお客様が来る予定なんです。

お昼の営業もできずに、ずっと準備中です。」


私たち家族が営むチューベローズ食堂は、首都でもそこそこ有名な店だ。

もちろん、庶民向けの店だから貴族が来ることはめったにないが、

なぜか王国の騎士たちはよく団体で食べに来ることがある。

騎士の中には庶民もいれば貴族もいるため、

母と父は彼らが予約する日には普段よりもさらに気を遣い、

昼から料理の準備を始める。


まあ、騎士たちが来ると、

面倒なお客さんがいない分気は楽だけれど……


とにかくたくさん食べるし飲むので、疲れるのは変わらない。



母の頼みを済ませ、店の片付けと調理を手伝っているうちに、

空はいつの間にか夕焼け色に染まっていた。

外に出て「営業中」の札を裏返した途端、遠くから騎士たちが歩いてくるのが見えた。


「いらっしゃいませ~!」


「おお、ウェンディさん、今日もお美しいね!」


にこやかに笑うウェンディを見て、数人の騎士たちが顔を赤らめて声をかけていた。

あまりにもウェンディが可愛いので、彼女を目当てに来る客も多く、

それに慣れているのか、彼女もその反応が嫌いではないようで

さらに明るい笑顔で彼らを迎えていた。


営業が始まると、本当に目が回るほど忙しかった。

絶え間なく届く注文に、魂が抜けるような感覚だった。


「ご注文のチューベローズビール5杯、お待たせしました。」


騒がしい騎士たちで賑わう店内だったが、

いつも静かなテーブルが一つだけあった。

それは貴族家の若者たちが含まれるテーブルだった。


特に、その中でもひときわ目を引くのは、

アドニア王国で最も名高い騎士家であるカメリアス伯爵家の次男、

エデルベイン・カメリアスだった。


騎士として有名なのもあるが、


「お姉ちゃん、今日も眩しすぎる…よね?」


彼の美しい容姿も大きな要因だった。


『神が黄金の絹に月の光を注いで造った男』


人々は彼をそう称えた。


銀に近い金髪は柔らかく波打ち、

わずかに乱れた髪すら職人の手が加えたように整っている。


夜空のように濃く深い青の瞳はわずかに伏せられ、

一見すると子犬のようだが、誰も軽んじることができない冷たい刃を秘めている。


高く通った鼻筋と鮮やかな紅い唇は、あまりにも美しくて、


『戦場で出会えば恋に落ちる顔』


という冗談まであるほどだ。


騎士らしい逞しい体格と長身もあいまって、

彼はその存在と実力から「王国の輝ける剣」と呼ばれることもある。


だが、いつも無表情で寡黙な雰囲気のためか、

簡単には近寄れない――

それがまた良いのだとか。



少し注文が途切れてひと息つけた時、

ウェンディと一緒に厨房の前に立ち、店内を見渡した。


忙しく行き交う視線の間に、

ふと、彼と目が合った。


驚いた。

でも、今さら笑うのは不自然すぎるし、

慌てて目を逸らせば失礼かもしれないと思った。

だから私は無表情のまま、

目を逸らさずに彼を見つめた。


すると、彼の方が先に視線を外した。


「び、びっくりした……」


驚いた胸をこっそり落ち着かせて、

また押し寄せる注文に追われた。


噂のような容姿と雰囲気だったけれど、

どこか噂とは違うと感じた。


営業が終わった後、店の中には深い静けさが降りていた。

家族たちは皆、椅子に崩れ落ちるように体を預け、

指一本動かす力もなさそうだった。


「ゴミ…ゴミだけでも捨ててくるね…みんなは少し休んで」


「ルビア…ありがとね」


「お姉ちゃん最高…」


「愛してる」


「ありがとう、ルビア…」


疲れ切った顔で感嘆と愛情の言葉を投げかける家族を後にし、

私はゴミ袋を手に店の外へ出た。


顔を撫でる冷たい夜風が

今日の疲れを少し洗い流してくれるようだった。


ゴミ置き場は店から10分ほど離れた路地の奥。

慣れた道を歩いていると、

背後から気配を感じた。


『……店を出た時からついてきてるな…』


私は静かにゴミ袋を下ろし、

そばにあった石をそっと拾い上げた。


そのとき、酒の匂いをまとった声が背後から響いた。


「おい…お前…その黒い髪…チューベローズ食堂の…あの女だろ?」


かすかに漂う酒の匂い。

不安定な足音。

そして濁った発音。


正気ではないとすぐに分かったので、

私は石をさらに強く握りしめた。



あと少し近づいたら、明日の新聞に載るのはあなただよ、

と心の中でつぶやきながら、酔っ払いの足音に集中した。


そして、その足音がすぐ背後まで迫った瞬間――


『今――!』


私は石を握った手を高く振り上げ、振り向いた。


けれど、すべては私の想定とは違っていた。


鼻をつくアルコールの匂いが、

ひんやりとして整った香りに変わった。


そして、視線の先に見えたのは、

月光に照らされ、かすかに輝く髪。

そして――


私の前、いやその男をかばうように立ちはだかる

広い背中だった。


「え……エデルベイン・カメリアス様!!?」


彼は盾のように私の前に立っていた。

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