第42話:決着と守るべき温もり
「あなたを雇った”慎重な依頼主”とやらは、何者ですか?」
地に伏したまま、完全に戦意を喪失した暗殺者を見下ろし、ユウトは静かに問いかけた。
その声に、先ほどまでの人の良さそうな響きはない。
暗殺者はしばらく黙っていたが、やがて、諦めたように途切れ途切れに答えた。
「…さあな。顔も名前も知らん相手だ。ただ、法外な報酬と…『白き本』を奪えという指示が…あっただけだ…」
「そう、ですか」
それ以上の情報は引き出せないと判断したユウトは、男を拘束するため、一歩踏み出した。
―――その瞬間。
「――ッ!」
それまで死んだように動かなかった暗殺者の瞳に、最後の光が宿る。
残った方の手で隠し持っていたナイフを抜き放ち、地面を転がりながらユウトの足元を狙った。
拘束されるくらいなら、一矢報いる―――
それは暗殺のプロとしての、最後の抵抗だった。
だが、その動きはあまりに鈍く、そして浅はかだった。
ユウトは迫る刃をこともなげに避け、相手の体の勢いをそのまま利用する。
ナイフを持つ暗殺者の手首に腕を絡ませ、流れるような動きで立ち上がると同時に、その体を宙に舞わせた。
呼吸投げ――。
相手の呼吸、力の流れ、そのすべてを読み切り、最小の力で相手を制する合気道の絶技。
暗殺者の体は、為す術もなく宙を舞い、後頭部から地面に叩きつけられた。
ゴッ、という鈍い音と短い呻きを最後に、その体から完全に力が抜ける。
『…見事じゃ。殺さず、しかし確実に無力化したな』
エルディオの言葉に、ユウトは静かに頷いた。
そして、完全に意識を失った暗殺者を拘束して担ぎ上げると、人通りのある路地へでて、そのまま守衛の詰め所へ連れて行った。
明らかに暗殺者風の男を担いで訪れたユウトに守衛は驚き、複数人で囲まれ事情をあれこれと聞かれたが、一方的に襲われたことを伝え、冒険者であることを示すカードを見せると、割とすんなり終わった。
(冒険者って暗殺者に狙われることも日常なのかな?)
そんなことを考えながら、ようやく帰宅の途に就くのだった。
―――
冷たく、死の匂いがした路地裏とは対照的に、「陽だまりの丘亭」の窓からは、温かいオレンジ色の光が漏れていた。
扉を開けると、食欲をそそるシチューの匂いと、暖炉の薪がはぜる音、そして、談笑する人々の声が、ユウトを優しく包み込む。
「あ、ユウト兄ちゃん! おかえりなさい!」
カウンターとテーブルを行き来していたフィンが、ユウトの姿を見つけると、ぱっと顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「遅かったね! 心配したんだよ?」
少しだけ潤んだ瞳で、フィンがユウトの服の裾をぎゅっと掴む。
その小さな手の温かさが、先ほどまで死線をさまよっていたユウトの心に、じんわりと染み渡っていく。
「ごめん、少し依頼が長引いちゃって」
ユウトはそう言って、フィンの頭を優しく撫でた。
指先に伝わる、柔らかな髪の感触。
当たり前のようにそこにある、穏やかな日常。
(…これを、守らなきゃいけないんだ)
「さあ、フィン。夕飯にしようか。今日は、お腹が空いてるんだ」
そう言って微笑んだユウトの顔は、路地裏で見せた冷たいものではなく、いつもの、少しだけ気の抜けた、優しい少年のものに戻っていた。




