涼気な心臓
誰だ?待っていた?知らない…のに…泣きそうなほどに懐かしくて、会いたかったみたいなそんな感覚が全身を覆う。淡梁の見開いた目はその存在を思い出そうと、頭は思い出すまいと、お互いにぶつかり合うのは、自分の心のせいだろうかと思った。
「そうか、あれから少し経ったから…なるほど、成長したな。髪も上背も伸びて」
淡梁はその言葉に少しの違和感を感じた。いや、感じていいはずなのだ。なぜなら彼女は覚えてないのだから。5歳の頃はこんなに長い髪じゃなく、お母さんがショートカットに切ってくれていたのだ。それを知るのは、やはり。気配だけを追い、得体の知れないモノとの会話に、不思議と恐怖を感じないのはそういうことだろう。
「なんのこと?それより誰?」
それを聞いたソイツは、少し揶揄うように微笑んだ。月明かりに照らされて眩しい真っ白な髪と、黒に赤の刺繍が入った和服。その上にも白の羽織を着ており、袖から出した左手を口元に置き、微笑みながら魅せる歯は尖っていてみ蛇みたいだ。引き込まれそうな鶯色の目は、暖かみを帯びていた。
「お前が余の言葉を忘れるとは、随分と悲しいなぁ」
「ちょっと待ってよ、私たち会ったことがあるの?」
おそらく、会ったことがある。いきなり森の奥にある神社に、丑三つ時に現れたソイツに対して、幼くも何十年も生きてきたわけでもない心が、警戒を示さなかったのだ。わかっていた、わかっていたのだが、なんとなく認めたくなかった。自分の記憶の残り香を頼りにしたとて、こんな普通恐ろしいことに対し、自分が愚者の頭になるかのような選択をしたくはない。そして、ソイツは私の発言に対し何食わぬ顔で受け流した。
「どうであって欲しい?まぁ、気がつかないならそれでいい」
この言い種はほぼ会ったことがあると言ってるようなものなのに。それに軽くあしらわれた。少し子供扱いされているのを感じた淡梁は色々聞きたいことがあったが、今の会話で少し気が失せた。会ったことがあるならばそれは5歳の頃の話、なるほど成長したなと言うにはやはりまだ下に見ていると言うこと。我ながら不服であるの一言に尽きるだろう。何か文句の一つでも言ってやろうかと思い、言葉を発しようとするとソイツの血相が変わった。まるで幼子が親にお気に入りのおもちゃを取り上げられ、壊されそうになる目前の様な。焦りと恐怖、一番大きい怒りで首筋の血管が浮き出てきている。それを見た淡梁は、鳥肌が脳天から爪の先にまで伝っていく感覚がした。それはとても、とても人間のものとは思えない迫力と重圧と、何か不思議な揺らぎ。
「あやね、ちと殺しにいくぞ。」
その言葉を聞いて私はやっぱり、ソイツは人間ではないと思った。染みるほどに感じたその恐怖はソイツに対してなのか、その怖さを出させる無謀な奴へになのかは、わからない。そして、よく教室で聞き覚えのあるその言葉は約束されたものでないが、ソイツが言うのならば、空気を吸うが如く、時が流れるが如く、必然であり約束されたものなのだろう。と、思っていたら間に体が浮いた感覚がした。何かと思えば片手で自分を抱き上げているではないか。
「えっ待って、なにすんの!?」
「いくぞと言っただろう」
とソイツは言い、片足を地面にコンッと叩くと、下から風が押して周りに落ちている葉が踊りだす。宙に浮いた感覚に驚き咄嗟にソイツの襟元を掴んでしまった。ハッとした顔に気づいたのか、微笑しながらそのまま掴めと言われるがままにした。そろそろソイツと言うのもなんとなく心地が悪いので、名前くらいは教えて欲しいと言ったところ、ソイツは
神樂と言うらしい。
「どこに行くの?誰を殺しに?」
「余の者を取り返しに、どこぞの馬の骨を殺しにいく。」
その馬の骨の存在と余の者というパワーワードに対して色々言いたいことはあるものの、なんで自分の意思を無視して空を飛ばなければならないのだ。樹頭を踏み台にして夜の森を駆け抜けていく。夏の暑さに対して夜の風は涼しく、恐ろしくも全てを奪っていきそうな強さがあった。
森の奥地に高く聳え立った城がそこにはあった。それの中にはいろいろな妖怪がおり、何かに備えている様に見えた。何階もあるそれは、地下にも広がっていたのだ。地下の拷問室に、牢屋を監視する男が2人、付き人が1人、拷問官が1人、囚われ者が1人。囚われている者は痛々しい傷が沢山あり、至る所から血が流れている。手首に手鎖をかけられ壁へと繋がって、自由が効きそうにない。さらには、拷問官は刀を握っており、刃を男の首元へ持っていっている。
「随分と殺すのに惜しいな、お前は」
「はっ、よく言われるよ」
一方最上階では、玉座に鎮座する妖怪がおり、何かを待っている様だ。何か血の気の与奪者を待ち受けているのだろう、ウズウズしていてとても落ち着きがない。と思ったが、それはその城全体の話であった。ハイエナがようやくご馳走にありつける喜びを噛み締めている様に見える。そしてその喜びは、神樂と淡梁が戸を蹴破ったことで頂点に達したようだ。神樂と淡梁は二手に分かれて、神樂は一直線に地下の方へ、淡梁は囮になった。
いいかあやね、お前には余の札を付けておく。おそらく、お前が囮になった時対峙する雑魚の攻撃くらいは防いでくれる札だ。だが、それを知られるな。知られないまま逃げてるフリをして、お前が攻撃を避けていると思わせろ。大丈夫だろう、昔からお前は足が速いからな。
その言葉を置いて行ってしまったので、淡梁はそれ通りにするしかなかった。何故こんな危険な目に遭っているのかなんてことを考えている暇などなく、あちこちから撃たれ、殴られる状況から抜け出したく走る。しかし疲れて動けなくなっては困る、どこか隠れる場所を探して階段を駆け上がった先に扉があった。その扉を引いて中に入ってやり過ごそう、そう思って入ったのがまずかったのだ。
何段あるかもわからない程長い地下への道を飛び降りていく。神樂は冷たい視線を配りながら明確な殺意を見せている。ようやく牢屋が並んだ階に着き、一番奥を目指す。が、1階上にいた様で、強く床を踏んで壊した。上からの敵襲に驚いたのか、その者の首元にあった刃は離れた。傷だらけで出血が多い様子を見て、敵を睨みつけながら殺していく、拷問官だけを残して。
「おいそこの愚か者。誰に言われた?お前の意思か?余の者をこんな姿にして、ただじゃおかないからな」
「お、おいらは…!アレに言われただけ、最上階にいる奴なんだ。それに、この傷もおいらじゃねぇ、アレにやられた後引き渡されて、いざとなったら殺せって言われただけで…」
そうか、と言い神樂はソイツを殺した。気絶している者を横抱きにし、最上階を目指す。一階や最上階に行く道中にいた奴らは、殺しておくのは流石に妖怪が減りすぎると思い、適当に気絶させてやった。全員気絶させたところで応急手当てをした。自分の羽織を破いて包帯がわりにした後羽織らせたが、白の羽織がどんどん紅で染まっていく。早めに片付けねばと、大きな扉をまた蹴破った。
正面にある玉座の裏から、ここの主人と思われる奴が、淡梁を抱きながらこちらに近づいている。こちらも気絶しているだけで死んでいないようだ。淡梁を取り返して逃げよう。一気に距離を詰めて足を蹴った。相手がふらついたので淡梁を回収、近くの壁を壊し脱出。まではよかったが、それに対して相手は怒りを蓄積して城の屋根まで壊すほどの大きな体になった。大きな声を出しながら手を振り回して暴れている。急いで2人を連れて山を降りるが、いずれか追いつかれそうだった。退治できないわけではないが、それよりも怪我人が心配なので構っている余裕はない。すると、淡梁が起きたのか目を見開いて後ろを見ている。
「何あれ!?絶対なんかして怒ってるでしょ!」
「喋るな、舌を噛むぞ」
流石に追いつかれ、淡梁の髪が引っ張られた。
「いたっ、やめて離して!」
それで離してくれるわけでもなく、淡梁は神樂何か切れる物はないかと尋ねた。先程の拷問官が持っていた刀なら念の為持ってきておいたのだ、それならある。そういうと、淡梁は伸ばした綺麗で長い黒髪を刀で無造作に切り、刀を相手の爪に刺した。痛みを感じ取ったのか、ソイツは叫びながらさらに暴れたが時期にもの姿に戻り、3人はあの神社に戻ることができた。怪我人の手当てのため神樂の家に行くことになった。横抱きにされているその者を見て、淡梁は興味を示す。綺麗で艶のある黒い髪にところどころにある白髪が目立つ。睫毛が長く、血色のいい唇。透き通った白い肌。
「綺麗な人だね」
「あぁ、そうだろう。この"男"は余の者だからな」
…男?その言葉は一瞬で淡梁の誤解をさらに絡ませた。頭の中の糸が解けない。男なのか。一つ一つ紐解いていこう。確かに言われてみれば、少しガタイがいい気も、身長も高い方な気もするが、そんな女性はよくいるし…と思っていたのだが、神樂がその男と思わしき者の治療中に胸元が見えた。女の胸元ではなかった…
「此奴は恭介と言うのだ。お前を拾ってきた時はどうしてやろうかと思ったがな」
色々と情報量が多い。やめてくれ、脳がキャパオーバーする。しかしこの男、恭介に聞けばあの頃の話を聞けるのでは?もしかしたら思い出すかもしれない。そんな淡い期待をしていた時、神樂が口を開いた。
「…やはり長い髪も綺麗だったが、今の方が余は落ち着く」
確かに今は昔みたいな短い髪になっているのだろう。
「私もこっちの方が落ち着く」
こっちに着いてから一気にいろいろなことが起こったが不思議と嫌な気はせず、むしろ懐かしい気持ちになった。おそらくこれからもっと不思議なことが起こっていくのたろう。ここは何かが違う様ダ。