7 第二皇子は甘々でした
がちゃがちゃと鍵が外される。
いつもなら無愛想な女中と兵士が入ってくるのだが、甘い微笑みを浮かべた美青年の顔は眩しかった。
「ごめんね、待たせちゃって……。昨夜はよく眠れたかな? 痛いところや調子が悪かったりしない?」
「まったく問題ありません。一晩寝たら疲れも取れました」
「そっか。それなら良かった。早速だけどユーフェ、部屋を移ってもらってもいいかな?」
「というと?」
ヴィクトールは花が綻ぶように笑った。
「今日から聖女ユーフェ・エバンスは俺の部下になります」
……アレックスは納得したのだろうか。
意外過ぎて驚いてしまう。
「……嫌、だった?」
「え! いえいえ、とんでもありません!」
「良かった。兄上がね、この部屋のものも良かったら持って行っていいって言ってくれたよ。一応俺の方でもドレスやアクセサリーは用意したけど……、何かいるものはあったかな」
ドレスにアクセサリー⁉
そもそもこの部屋にそんなものはない。小綺麗な着替えはあるが、貴族令嬢が着るような高価なドレスとは程遠いものだ。
「そ、そんな。わたしはそんなものを与えてもらう身では……」
「何言ってるんだ。きみは第二皇子を助けたっていう素晴らしい功績があるんだから、当たり前のことだよ。特に持っていくものがないなら、もうこの部屋には用事はないかな?」
「は、はい……」
「じゃあさっさとお暇しよう」
さらば監禁部屋。ヴィクトールに案内されて城を歩く。
城の西側が主にヴィクトールが使っている区域なのだそうだ。ユーフェが今までいたのは東側――アレックスの管理下である。
「さ、ついた。今日からここがきみの部屋だよ」
ヴィクトールがドアを開けた一室では、一人の女中が恭しく頭を下げて待っていた。
「お初にお目にかかります、ユーフェ様。私は身の回りのお世話をさせていただくネリと申します」
「お世話⁉」
「きみ専用の侍女だよ。困ったことがあったら何でもネリに相談するといい」
「よろしくお願いします、ユーフェ様。聖女様のお側に仕えられるなんて、光栄です!」
ネリは髪の色と同じ赤い瞳をキラキラさせて言った。
年はユーフェより少し年上だと思うが、背が低いので小動物のような愛らしさのあるお姉さんだ。
しかし、侍女までつけてもらえるとは……。
部屋の中を見たユーフェはさらに驚いた。
さっきまでいた軟禁部屋よりも倍近い部屋で、立派な物書き机や本棚、寝転がるのにちょうど良さそうなカウチソファまで置いてあるのだ。
「び、びくとーるさま、これはいったい」
「きみのための部屋だ。遠慮せずに使って欲しい」
「でも、あの」
こんな立派な部屋いただけません!
……否。
こんな好待遇な部屋、かえって密偵として活動しにくいんですが!
常に侍女に見張られているとなると、こっそり部屋を抜け出して城内をうろついたり、密書をしたためたりするのが難しくなるではないか。
「……あの、わたし、本当にただの田舎娘なんです。侍女の方に仕えてもらうような身ではありません」
するとネリはさめざめと泣きだした。
「ユーフェ様、そんなことをおっしゃらないでください……。このネリ、聖女様にお仕えできるとあって大張り切りでお部屋の準備も致しました。お邪魔であれば空気として扱ってくださって構いません。どうぞ、顎でこき使ってくださいませ」
ヴィクトールも途端にがっかりした顔をする。
「ごめん……。きみの気持ちも考えずに重荷だったかな……。この城で過ごしやすい暮らしができるようにと思って手配させたんだけど迷惑だった……?」
うっ。
こちらとてアレックスの軟禁部屋から出してもらった身。
また鉄格子と鍵のある部屋に戻るのはごめんだ。
「ええと、そんなことないです。びっくりしちゃっただけで、ありがたすぎるくらいで……」
「良かったぁ! 存分にご用命くださいね!」
「良かった! 迷惑じゃなかったんだね!」
ぱっと笑顔になる二人。嘘泣きか、この主従め。
「ユーフェ、一つ頼みがあるんだけどいいかな?」
「なんでしょう?」
断りにくい雰囲気でヴィクトールから提案される。
「良かったら一日一回、俺とのお茶の時間を作って欲しい。きみのことをもっとよく知りたいんだ」
「…………」
これは貴重な情報収集の場になるのか。
それとも拘束時間が増えるだけなのか。
ユーフェに示された選択肢は「もちろんです」の一択しかない。
「どうぞ、ユーフェ様。お茶菓子は、一段目と二段目は城で焼いたものですが、三段目のプチケーキは城下で人気の店で買って来たんですよ」
向かい合わせに座ったヴィクトールとユーフェのためにネリが紅茶を淹れた。
テーブルに置かれたケーキスタンドには美味しそうなお菓子が並べられている。一口サイズに焼かれたクッキー、香ばしいスコーン、ベリーで飾られたプチケーキ。
「へえ、見た目も可愛いね。ユーフェはどれが食べたい? ブルーベリー? それともこっちのラズベリーがいいかな?」
「え、ええと……、では、ブルーベリーを……」
「お取りしますね、ユーフェ様!」
ネリが甲斐甲斐しく小皿にとってくれる。
(わあ、なんなの、この好待遇……)
こんなに丁寧にもてなされるなんて生まれて初めてだ。カチコチになりながら紅茶を啜り、ヴィクトールの表情を伺ってしまう。アレックスが鞭なら、ヴィクトールは飴タイプなのだろうか。
「そんなに緊張しないで。俺はただ、きみのことが知りたいだけなんだ」
「わたしのことですか?」
「うん。きみみたいに勇敢な女の子と出会ったのは初めてだからね」
返り血を顔につけたままヴィクトールの側に参上した件を思い出したのか、彼はくすくすと思い出し笑いをした。
(そりゃ、皇子様が知り合う女の子はお行儀のよい令嬢たちばかりよね)
つまりユーフェは「面白れー女」として興味を持たれているのだ。
そうと決まれば同情的な話をして、少しでも信頼を得ておくに限る。
「敵に囲まれたとこも物おじしない態度で、素人とは思えない剣裁きだった。田舎ではチャンバラごっこをして遊んでたんだっけ?」
「はい、そうなんです」
偽造用の話を頭の中で展開させる。
「わたしがいたノルド村では男の子が多かったので、女の子のわたしが遊びに混ざろうとすると激しい遊びになっちゃうんです」
「お兄さんがいるんだよね。記録では、きみを城に送り届けた後は帰ったってあるけど……」
「いえ。……聖女以外は必要ないからと追い出されてしまったようなんです。……連絡も取らせてもらえなくて……、わたし、心配で……」
「そうだったんだ。それは申し訳ないことをしたね。お兄さんの行方はすぐに探させよう」
「えっ、いいんですか?」
「もちろんだよ。お兄さんもきみを心配しているはずだ」
やった! ちょろい!
「ありがとうございます、ヴィクトール様!」
ユーフェは心の底から「素晴らしい第二皇子にばんざい!」と叫んだ。これで外との連絡手段も確保だ。
「ヴィクトール様、こんなに良くしてくださったお礼として、わたしにできることがあればなんでもおっしゃってくださいね。どんな小さな怪我でもお治ししますし、今回みたいな遠征でも、並の女性よりは体力がある方ですから、ぜひお供させてください!」
そして機密情報をいっぱいください!
ヴィクトールは驚いたように目を瞬いた後、破顔した。
「嬉しいな。聖女のきみがいれば百人力だね。俺の部下たちもきみのことを称賛していたよ」
「本当ですか?」
「うん。ぜひ、訓練場にも顔を出して欲しいって」
「わあ~! 喜んで!」
「――ただ、色々なところの出入りを許可するためには、ユーフェから俺へのキスが必要なんだ」