◆世界で一番くだらない結婚式
後日談②です。
本日2話投稿していますのでご注意ください。
忌々しいほど晴天の日。アンスリウム皇国の皇都にある大聖堂は厳重な警備体制が敷かれていた。
続々と止まる馬車からは友好国の王子王女が降り、厳かな聖堂の中へと入っていく。その中には、聖ポーリア王国王太子ヨハンの姿もあった。参列者たちは粛々と席に着きながらも、そっと目配せで様子を窺いあっている。
「あれが聖ポーリアの王太子……。停戦したばかりでよく顔を出せたわね」
「いやいや、だから来たんだろう。アンスリウムも聖ポーリアも代変わりするのだから、関係を強固なものにしておきたいに違いない」
「まあ。わたくしの聞いた話だと、ヴィクトール様は妃殿下のために聖女を多く囲っている聖ポーリアの加護を授かりたいのだと聞きましたけれど……」
ひそひそ、ぼそぼそとさざめき合う声を無視し、ヨハンはただ静かに、高潔な顔をして前を見据えたまま座っていた。
自分には関係ない。
先立っての侵略戦争は『第一皇子アレックス』と『聖ポーリア国国王』によるもので、『アレックスの死により皇帝位が転がり込んできた第二皇子』と『慈悲深いことで有名なヨハン王太子』は有効な外交関係を築くことを望んでいるのだから。
しばらくすると大聖堂の入り口は一度閉ざされ、奏者がハープを奏で始めた。
花嫁が歩くバージンロードは窓から差し込む陽光で照らされている。これから輝かしい未来を歩むフェリスを祝福しているかのようだ。
(意外としたたかだったんだな、フェリス)
この私を裏切り、敵国の皇妃になるなど。
孤児院で虐められていた娘がずいぶん生意気になったものだ。
(今は聖女だとちやほやされていい気になっているのだろうが、近いうちに別の聖女を送り込んでやろう。自分の存在価値が否定されれば、あの娘は再び私の元に戻ってくる)
フェリスの心を支配しているのはヨハンだ。
そういうふうに時間をかけて教え込んだ。
ヴィクトールへの一時の感情で聖ポーリア国を捨てたフェリスがヨハンの姿を見たら……。結婚式が台無しになるくらい狼狽えてくれたら面白いなとほくそ笑む。
大聖堂の扉が開く。
通常はバージンロードを歩く花嫁を花婿が待つものだが、二人は入場から腕を絡めてやってきた。
穏やかな微笑みを浮かべるヴィクトール。
そして、ベールで表情を隠されているフェリス。
すっきりとウエストを絞ったデザインのドレスの背は羽のように長く優美なトレーンが広がっていた。あちこちに施されている金銀の刺繍が光を受ける度にきらきらと輝いている。
「美しい……」
「まさに神の加護を受けし方ですわね」
感嘆交じりに手を叩く参列者たちに倣ってヨハンも手を叩く。
ドレスを踏んで転べ、と祈ってみたが、フェリスはぎくしゃくしながらも歩ききった。
讃美歌の斉唱にはじまり、誓いの言葉、そして誓いのキスへと式はつつがなく進行していく。――やたらと長いキスだった。何を見せられているんだ、くだらない。自分の立場も忘れて幸せそうな顔をしているフェリスを蹴り飛ばしたくなる。
どうでもいい式を終え、皇城での食事会までこなすと、若い夫婦の元には祝辞を述べるための客が殺到した。
ヴィクトールの地頭はいいらしい。
嫌味なく相手国を褒め、相手の信頼と興味を勝ち取るための話術はなかなかのものだ。アレックスの陰に隠れるようにして生きてきたらしいが、幼少期からもっとうまく立ち回っていればアレックスなどあっという間に追い落としていたに違いない。
一方フェリスはと言えば、客の顔と名前を覚えるだけで精いっぱいのようだ。黙って微笑んでいればよいとでも指示されているのか、ぎこちない笑みを浮かべている。
(ほらな。自分の価値がわかっただろう、役立たず)
昏い笑みを浮かべながらヨハンもタイミングを見計らって二人の前に姿を現した。
フェリスの顔がサッと硬直する。
もちろんヨハンが招待されていることは知っていただろうが、実際に対面して言葉を失ってしまったらしい。いいザマだ。ヨハンは優雅に腰を折った。
「聖ポーリア国から参りました、ヨハン・エルドラード・アルゼイと申します。この度は素晴らしい式にお招きくださりありがとうございます、ヴィクトール陛下。そしてユーフェ……妃殿下。大変仲睦まじく、心が洗われるような式でした」
ヴィクトールも優雅にお辞儀を返してきた。
「はるばるご足労いただきありがとうございます。私もヨハン殿下と直接お話しする機会が設けられて嬉しく思います」
この男はどこまで知っていてフェリスを手元に置いているのだろう。
ヨハンは値踏みするようにヴィクトールを見てしまう。
ノクトの報告では殺されそうになっていたユーフェの前に一人で飛び出したらしいから――まさか本気でフェリスの正体に気付いていないということもありえるのだろうか。いやいや、そこまで馬鹿ではあるまい。
「本音を言うと招待状をいただいた時は驚きました。ヴィクトール殿下も聖ポーリアを目の敵にしているものだと思っておりましたので」
「まさか。……故人を悪く言うようで心苦しいですが、そちらの領地に興味を示していたのは兄一人なのです。それに、愛する妻が持つ聖女の力については『神に加護されし国』と名高い聖ポーリア国と縁があるように思えます。そのような国を攻めるなど私にはできませんよ」
「そうですか。聖ポーリア国の王太子としても、一国の皇妃に聖女が選ばれるということは誇らしく思います。妃殿下はきっとヴィクトール殿下の心と身体を癒すことでしょう」
フェリスの笑顔は強張っている。
この役立たずに一国の王を癒せるだけの能力があるとは思えない、というヨハンの嫌味はしっかりとわかったらしい。
「あ、はは……私が少しでもお力になれているといいのですが……」
「またまた、ご謙遜なさらずとも。我が国の聖女は国民から慕われるほどの力の持ち主ばかりでしょうし、妃殿下もさぞ高い癒しの力をお持ちなのでしょう」
「……っ……」
言外に込めた圧にフェリスの喉が上下している。
(ははは。傷ついたのか? フェリス)
泣け。
幸せになれるだなんて思うなよ。
お前はこの私を裏切った。不透明なことの多いアレックスの死にも関わっているのだろう。そんなお前が愛されるとでも思っているのか。
意地悪な気持ちで言を紡ぐヨハンに、ヴィクトールがやんわりと仲裁した。
「失礼、ヨハン殿下。私は聖女だからユーフェを娶ったのではありませんよ」
「おや、そうでしたか。妃殿下がヴィクトール殿下を助けたことがあると耳にしておりましたので」
「ええそうです。私の危機に駆けつけてくれた彼女の勇敢さと優しさに恋に落ちたのです。彼女はずいぶんと苦労して育ってきたようですから、私が全力で愛し、幸せにしたいと思っています。たとえばこの先、彼女に聖女としての能力がなくなったとしてもこの気持ちは揺らぐことはありませんよ」
「……ヴィクトール様」
フェリスが泣きそうな顔をしてぎゅっと唇を噛んだ。
(なるほど、こういう甘い言葉を囁かれて堕ちたのだな)
くだらない。
ただの女の顔をして頬を赤らめるフェリスなどフェリスではない。
(この娘は逆境に放り込まれてこそ輝くのに)
地べたを這っても立ち上がろうとする根性や、ヨハンの嫌味で傷ついた顔を見せまいと耐える姿こそが愛らしいのに。真綿でくるんで大切にされる姿など見たくなかった。失望した。
(失望? 馬鹿馬鹿しい。ただの捨て駒だろう)
今は束の間の幸福でも噛み締めておけばいい。
「情熱的で何よりです」
と棒読みでヴィクトールの愛を褒めちぎったヨハンはその場を離れた。
ちらりと去った後を窺うと、ヨハンとの遭遇で顔色が優れないフェリスにすぐさまヴィクトールは声を掛けていた。さて、あの娘はどうごまかすつもりか。興味本位で様子を伺っていると――
「⁉」
ヴィクトールが人目もはばからずにフェリスにキスをした。
目を白黒させているフェリスのこともお構いなしに、ねっとりと、情熱的な……、「二人きりの時にやれ!」と突っ込みたくなるような口づけに、周囲も目のやりどころがないといった様子で見て見ぬふりをされている。
ふと、ヴィクトールと目が合った。
ふ、と彼はヨハンに向けて笑みを浮かべる。
(……なんのつもりだ)
真っ赤な顔で狼狽えるフェリスを抱き寄せたヴィクトールは、勝ち誇ったように唇を動かした。ヨハンに向けて「俺のものです」と。
(は? 何が言いたい? 俺に牽制しているつもりか?)
意味が分からない。別にフェリスごときなどくれてやる。
あんな娘など惜しくもないし、ヨハンがフェリスに気があるとでも思っているのか。馬鹿じゃないのか。
視線をそらしたヨハンは人波に紛れた。そして物陰からもう一度二人を振り返る。
――赤くなった顔で恨みがましくヴィクトールを睨むフェリスの顔。
怒っているらしいがとてもそうは見えない。「こんなところで何をするんですか」とでも言いたげなフェリスだったが、その顔にははっきりと幸せだと書いてあった。
ついさっきまでヨハンの言葉に怯えていたくせに、今はもうヴィクトールのことで頭がいっぱいなのだろう。ただのいちゃつき合うバカップルにしか見えずに、ヨハンは今度こそ二人から視線を外した。
勝手にやってろ、馬鹿馬鹿しい。変にフェリスにちょっかいをかけて、当て馬扱いされるのもごめんである。
フェリス、と呼びつける機会がもう二度と訪れないことなど――別にもう、本当に、……惜しくなどないのだから。
(世界で一番くだらない結婚式/終)
ここまでお付き合い下さりありがとうございました!




