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27 訃報


 次に目が覚めた時、フェリスの視界に入ったのは黒革のブーツだった。

 誰かが椅子に座って足を組み、自分はその下で床に転がされているらしい。


(ここは……)


 身じろぎをしようとしたが後ろ手に縛られているようでうまく身体を動かすことができなかった。あちこちがひどく痛む。


「……おや、起きたのか聖女殿」


 アレックスの声だった。

 ふんぞり返って座っているのはアレックスらしい。ということは自分たちはアレックスの手に落ちたのか……。


「ヴィクトール様は」


 零れるように口にした言葉に、アレックスは笑いをこらえきれないと言った様子でフェリスを踏んだ。


「残念だったな。決死の覚悟で崖から飛び降りたようだが、二人して力尽きてしまうとは可哀想に。奴がどうなったか知りたいか?」


 くくっと低く笑ったアレックスはフェリスを蹴飛ばした。


「っ、どう、なったの……っ」


 歯を食いしばりながらそう言うとますます強く踏まれた。


「それが人にものを頼む態度か?」


「……ヴィクトール様がどうなったのか、教えてください……」


「フン、まあいい。辛うじて生きているさ。辛うじて、な。ちゃんと城まで連れ帰ってやったのだから感謝して欲しいくらいだ」


 では、ここは城なのか。

 皇都に戻ってきたのか……。


「いいか? 『ユーフェ・エバンスは大嘘つきの悪女である』」


「⁉」


「一つ、第二皇子ヴィクトールを誑かし、第一皇子アレックスを廃そうとした。

 一つ、ヴィクトールを意のままに操り、皇妃になろうと目論んだ。

 一つ、お前の正体を訝しんだヴィクトールをおびき寄せて殺そうとした」


「なっ……」

「優秀な俺様は『死んだふり」をして皇都から離れて潜伏していたのだ。そして貴様の目論見を暴いた。――どうだ、皇帝になるに相応しいだろう』


 すべてがでっちあげだ。

 フェリスは皇妃になりたいなどと望んでいないし、ヴィクトールを殺そうとしたのはアレックスの方ではないか。


 しかし、悲しいことに「真実」なんて国民にはわからないのだ。

 力を持つアレックスがそう公表してしまえば、それが事実になる。


「……あなたのほうが嘘つきだわ」


「何とでも言え。貴様は大々的に処刑にかけてやる。ヴィクトール殺しの犯人としてな」


「ヴィクトール様は死んでない」


「そうだな。『まだ』死んでないな。しかし、聖女よ。貴様は傷を塞ぐことしかできないそうじゃないか。城に運んだヴィクトールの身体は綺麗なものだったが、目を覚まさないのはどうしてだろうな?」


 ヴィクトールは目を覚ましていない――フェリスの目の前が暗くなる。


(やっぱり、わたしの力じゃだめだったの?)


 完全に解毒ができていなかったのなら、城に運ばれるまでの間に毒はヴィクトールの身体を蝕んでしまうだろう。アレックスの余裕ぶりからしても、ヴィクトールが助からないと確信しているかのようだった。


(だめ。アレックスの言葉に揺らいだら、だめ。信じるって決めたじゃない。即効性の毒なのに、城までヴィクトールは死なずに運ばれているのよ。わたしの力にまったく効果がなかったわけじゃない。だから――)


 ばたばた、と廊下を走る靴音。


 駆け込んできた騎士が勢いよく扉を開けた。


 アレックスに入室の伺いもたてないなど考えられないことだが、それほどまでに急を要する内容だったのだ。




「急ぎ報告申し上げます! たった今、ヴィクトール殿下が、息を引き取られました……!」




「う、そ……」

「っく、」

 アレックスが喉を鳴らす。

 そして天を仰いだ。


「くくく、はーっはっはっは! ざまあないな!」


 興奮したアレックスはフェリスを踏んだ。

 何度も、何度も。

 ガシガシとフェリスを踏みつける。


「あいつは賢い男だったよ! なのにお前と出会ったせいで馬鹿になったんだな! こんな小娘に執着して死ぬとはなんて馬鹿な男だ!」


 目の前が真っ暗になる。

 踏みつけられながら涙がこぼれた。


 やっぱりわたしは役立たずだ。


 殺して欲しい。今すぐ。踏まれているのにもう痛みすら感じない。


(わたしが、ヴィクトール様を、死なせた)


 ヴィクトールがフェリスを追いかけてこなければ彼が死ぬことはなかった。

 ヴィクトールがフェリスに執着しなければ、親しくならなければ、……出会わなければ、死なずにすんだのに……。


「来い! 貴様にも死に顔を拝ませてやる!」


 フェリスを乱暴に引き起こしたアレックスは興奮した顔で歩き出した。


「お前は皇子を誑かした挙句に死なせた重罪人だ。手足をもいで一生牢に繋いでやる。ヴィクトールの部下たちもお前のことを決して許しはしないだろう。お前と出会ってからあいつはおかしくなってしまったからな。皇子を誘惑し、誑かした女など聖女などではない」


 何も反論できずにフェリスは引きずられて歩く。

 おそらくアレックスはヴィクトールが自分の時と同じように替え玉を立てていることを疑っているのだ。自分の目、そしてユーフェの目で死を確認するつもりでいる。ヴィクトールが生きている可能性はまだゼロではない。そんな風にフェリスの心は逃げ道を探していたが……。


「ああ、弟よ! なんということだ!」


 大仰に声を上げたアレックスが扉を開いた。

 寝かされているヴィクトールの顔には白い布がかけられている。部屋の中にいるのはロバート、そして数名の護衛だけだった。大股で寝台に近づいたアレックスが白い布に手をかける。


「せめて最期にこの兄に顔を拝ませてくれ!」

「っ、アレックス様! そのような冒涜行為――!」


 ロバートが止める間もなく取り払われた布の下には、目を閉じたヴィクトールの顔があった。


「あ、あ……」


 替え玉なんかじゃない。

 ヴィクトールだ。本物の。


「いやああああっ!」


 自分のものとは思えない叫び声を上げて、フェリスは床に崩れ落ちた。


「アレックス様ッ!」


 声を荒げたロバートが白布を取り返す。

 主を侮辱されたと感じたのだろう。怒りに震えるロバートに、アレックスは動じることもなく背を向けた。


「――弟をこんな目に合わせた聖女はやはり一刻も早い処罰が必要だな」


 その声は喜びに満ち溢れていた。

 遺体は本物。次期皇帝の座はアレックスのものだ。邪魔者はもういない。

 彼は我が世の春に酔いしれていた。


 ――その背を剣で貫かれるまでは。



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