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23 癒しの力

「お邪魔するわよ」


 数日後。

 ツンと顎を上げてユーフェの部屋にやってきたのはエミリーだ。なんと彼女は提案を受け入れたのだ。


「どうせもう傷物ですもの。今さら傷が一つや二つ増えたって気にしませんわ。さっさとやってくださる?」

「エミリー様……」

「そんな不安そうな顔をしないでくれる? 青ざめた医者に治療されるほど恐ろしいことほどないわっ」


 医師ではなく聖女だが、ユーフェは緊張していた。

 ネリも真顔で、エミリーも高圧的な口調で喋っていないと不安なのだと思う。


 血で汚れてしまわないようにエミリーがドレスを脱ぐ間、ネリがナイフと熱湯、タオルなどを準備する。エミリーの希望で部屋の中は四人だけだ。


 タオルを敷いたベッドにエミリーがうつ伏せに横たわる。痛みに耐えるためにハンカチを噛み、両手は侍女のアネッサが握りしめた。感覚を鈍らせるために氷嚢を傷跡の上に当てると、冷たさでエミリーの身体がびくっと震える。


 ネリがナイフを熱湯で消毒し、真っ青な顔でエミリーの背に向かう。


「今から傷口を少しだけ切るわ。準備はいい? エミリー」


 ハンカチを噛むエミリーは黙っていた。

 ぎゅっと目を瞑り、やってくる痛みに耐えようとしている。侍女のアネッサも同じで、エミリーの手を握りながら目を閉じる。ユーフェも唾をのんだ。


 ネリが震える手でエミリーの傷口にナイフを入れる。


「痛い!」


 くぐもった声でエミリーが叫び、ネリはびくっと凍り付いた。


 切った場所からは鮮血が盛り上がる。ちょっと深めの切り傷といったくらいだが、ネリはぶるぶると震えていた。


「あ、あ……」

「ネリ」

「はっ、はいっ。続きっ、ですよねっ」


 ユーフェはネリの手を抑えると、落とさないように両手でネリの手を包み込み、ナイフを受け取った。


「……わたしがやるわ。ガーゼをとって」

「っ、……はい……っ」


 泣きそうなネリが下がる。


 やりたくないと思っていたユーフェだが、ぶるぶる震えるネリを見ている方が怖かった。エミリーからしたら赤の他人のユーフェにナイフを使われるよりも、友人であるネリの方が安心できるだろうと思ったが、このままではエミリーの苦痛が長引くだけだ。


(深く傷をつける必要はない。肌の表面だけ、綺麗に治せればいいんだから……)


 血を清潔なガーゼでサッと拭う。

 エミリーに負担のないようにすばやく肌を裂いた。


「ああああっ!」


 真っ赤な鮮血が一気にあふれたが、ユーフェは傷口に手をかざした。


(どうかきれいに治りますように……!)


 真っ白なエミリーの肌を頭で思い浮かべて強く願う。


 ユーフェの光が手から消え、ぜいぜいと肩で息をしていたエミリーの背中を恐る恐るガーゼで拭うと……。


「あ、あ、エミリー様……! なくなってます! 傷が、なくなっています……!」


 侍女のアネッサが叫んだ。

 エミリーが勢いよく立ち上がる。下着姿のままでユーフェの部屋の前にある姿見に飛んでいった彼女に、ネリが大慌てで大きな手鏡を渡した。


「……ねえ。手の込んだ詐欺じゃないでしょうね?」


 合わせ鏡で背中を確認したエミリーが呟く。


「詐欺なんかじゃないわ。ユーフェ様があなたの傷を治すところ、ちゃんと私が見ていたもの!」


「ネリの言うことは本当? アネッサ」


「ええ、私も見ていました。聖女様の手から光が出たのです! 治癒魔法と言うものは私初めて見ました」


「……そう」


「良かったですね、お嬢様。お嬢様の傷跡はもうすっかりなくなりました。だから……、もう、どんなドレスだって着られますよ……!」


 涙を流すアネッサに対し、エミリーはクールなものだった。


「聖女の力って言うのはなかなかすごいのね。感謝するわ。まあ、ヴィクトール様があなたを大事になさってるっていうのもわかったから、我がトンプソン伯爵家があなたの後ろ盾になると約束してあげても構わなくてよ」


 尊大な態度で早口で喋る。


 そして、そっぽを向いて黙りこんだ。


 ネリがエミリーの肩にブランケットを掛けると、ぎゅっと噛み締めていた彼女の唇がわななく。


「エミリーったら相変わらず素直じゃありませんのね。こういう時はありがとうございましたと言うのよ」


「うるさいわよ、ネリ。わたくしの侍女面しないでちょうだい」


「あら。あなたの侍女面をした覚えはないわ。だって私はあなたの友達だもの。……だから……、本当に、良かった……」


 くしゃっと顔を歪ませて泣くネリに、エミリーの方もこらえきれなくなった涙がこぼれた。


「な、なによ。わたくしの事なんかで泣くなんて……っ、ば、馬鹿ねっ……。本当に、おせっかいなんだから……!」


 抱き合う二人にアネッサは涙を拭い、三人から何度も感謝の言葉を述べられたユーフェは恐縮してしまった。


 三人だけにした方が良いだろうとそっと席を外す。


 閉めた扉の向こうからは三人の嬉し泣きの声がいつまでも聞こえていた。







「ユーフェ」


 三階にあるバルコニーで風に当たっているとヴィクトールが現れた。


「ヴィクトール様ってどこにでも現れますよね?」


 ユーフェに監視をつけていることを遠回しに皮肉って指摘したのだが、


「そろそろエミリー嬢の件が終わった頃かと思って」


 とあっさりスルーされてしまう。忙しいくせに、ユーフェが会いたくないと思っているときに限って現れるのだ。この皇子様は。


「うまくいったって聞いたけど、浮かない顔だね」

「そんなことないですよ、良かったなって思います」


 ヴィクトールが手すりに背中を預けた。

 すぐに立ち去るつもりはないらしい。結われたダークブロンドの髪が風で揺れている。


 ちっともどこかへ行ってくれないから、ユーフェは心情を吐露する羽目になった。


「…………。泣くほど感謝されたことがなかったので……、戸惑ってるだけです」

「ふふふ」

「何笑ってるんですか」

「可愛いなと思って」

「はあ」


 ユーフェはぷいっと顔を逸らした。


 出会った当初のことを思えばかなり邪険に接しているのだが、ヴィクトールはなぜか上機嫌だ。


「きみがどんな環境で育ってきたのかを俺は知らない。でも、これだけは言える。きみはとっても良い子だよ。素直に泣けないところも可愛いと思う」

「!」

「きみのことだ。エミリーやネリが泣くほど喜んでいるのを見て、『わたしはここにいていい人間じゃないのに……』とか感じちゃったんでしょ? 違う?」

「別に……、そんなのじゃ……」

「いいんだよ。ここにいて」


 ヴィクトールが笑う。


「きみが好きだよ。ここにいて欲しい」

「…………」


 いつものように、息をするように。

 彼は当たり前のことのようにユーフェに愛を囁く。


 ……ネリたちのやりとりを見ていたせいだ。そのせいで涙腺が緩んでいて、自分の存在を受け入れてくれたようなヴィクトールの言葉がやけに響いてしまった。ぽろりと涙がこぼれる。


 こんな役立たずのわたしなのに。


 エミリーにとった方法は聖ポーリア国だったら非難されるべき不出来な治癒方法であるはずなのに、あんなにも喜ばれるなんて。


「ユーフェ……?」


 ヴィクトールがおろおろとしはじめ、おっかなびっくりユーフェの肩を抱いた。


 なぜそんなにびくびくしているのだろう……と思ったが、そういえばつい先日はヴィクトールの手を振り払って転倒する羽目になったのだ。


 あの時、ヴィクトールはずいぶんとショックを受けた顔をしていた。きっとこの皇子様は女の子に嫌われたことがないに違いない。ユーフェが再び拒絶しないかを慎重に確認しているのだ。そんな表情がなんだかおかしかった。


「すみません。ネリやエミリー様に喜んでいただけたことが嬉しくて」


 自分で涙を拭って笑った。


「多分、わたし一人だったら無理だと思って諦めてしまっていました。でも、ネリもエミリー様もわたしを信じて任せてくれた。だから、彼女たちが喜んでいる姿を見て、聖女で良かったなって初めて思ったんです」


「――俺の時は?」


「はい?」


「俺もさ、ユーフェに治してもらってすごく嬉しかったよ? だからすごく喜んだんだけど……、そのときよりもエミリー嬢に喜ばれたほうが嬉しかったってこと?」


「…………」


 よくわからないがヴィクトールがエミリーに張り合い出した。


「はあ、まあ。そうですね」

「ユーフェ冷たい! きみくらいだよ、俺に好きって言われても喜ばない女の子なんて!」

「じゃあ、お喜びになる女の子と仲良くなさったら良いのでは……」

「言ったね? 絶対にきみに嫉妬させてみせるから覚悟して――と思ったけど、やっぱり俺はきみしか見えないな」


 そして抱きしめられる。


「うわっ、なんですかもう……」

「好きだよ」

「さっきも聞きましたよ」

「何度でも言うよ。きみにわかってもらえるまで」

「…………」


 ヴィクトールが愛を囁き、ゆるやかにユーフェを洗脳していくつもりなら少しだけ毒されかけている。


(ヨハン様に会うよりも先にこの国に来ていたら、わたしの人生も変わっていたのかな)


 ……そう思うほどには。



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