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1 ちょっと敵国まで働きに行ってくれる?

 フェリスの人生が変わってしまったのは六歳の頃。

 孤児院で育ったフェリスは、ちびで役立たずだとしょっちゅう年長者たちにいじめられていた。


 生まれてすぐに母が亡くなり、父親も不明だというフェリスに孤児院以外の場所はない。


 どんなに辛くても我慢するしかないのだ。その日も孤児院の裏で憂さ晴らしのように暴力を振るわれていたのだが……。


「やめなさい。自分よりも弱いものを虐めて恥ずかしくないのか?」


 突如、毅然とした声の主が現れた。


 黒髪に瑠璃色の瞳。

 ジュストコールを身に纏った、見るからに育ちの良さそうな十四、五歳くらいの少年だ。


 ……孤児院に援助をしてくれている領主の子どもだろうか。


 大人たちに密告さ(チクら)れるのを恐れたいじめっ子たちは、フェリスを置いて蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。取り残されたフェリスに、少年は膝をついて手を差し出す。


「大丈夫か?」


「……。……だいじょうぶ、です。いつものことなので……」


「いつも? お前はいつも叩かれたり蹴られたりしているのか?」


「…………」


「そうか。ずいぶんとひどい目に合っているようだな」


 少年はかわいそうな少女の境遇に同情してくれたようだが、フェリスは複雑だった。正直、余計なことをしてくれたなと思ったのだ。


 彼の登場によって「今日は」難を逃れたが、明日は今日の分ももっともっと叩かれるかもしれない。そんなこと、彼にはわからないし知る由もないんだろうな、と思う。どこかの良家のお坊ちゃんは砂を噛むような生活なんて想像もできないのだろうから。


「……助けてくれてありがとうございました。……じゃあ……」


「待ちなさい。怪我をしている」


 少年はフェリスの細い腕をつかむ。季節は夏で、擦り切れたワンピースを着ていたフェリスの腕と足はむき出しだった。


「へいきです」


 怪我といっても、血が出ているのは一か所だけだ。フェリスは振りほどこうとした。


「私が手当てをしてあげよう」


「自分でできるから、だいじょうぶ」


「……そのようだな。いつも虐められているというわりに、お前の肌はずいぶんと綺麗だ。血が出ているところは今やられたところだろう? だというのに、他にはかさぶたになっているところも、青あざができているところもない。不思議だな。……これはどうしたことだ?」


「――! そ、れは」


 少年の青い瞳に見透かされたようでギクリとする。


 フェリスには誰にも言えない秘密があった。


(わたしには『ふしぎな力』がある)


 手をかざすだけで切り傷や青あざを治すことができるのだ。


 ひどく虐められて傷ついた身体を撫でさすっているときにこの力が発現した。おそらくすごいことなのだろうけど、いじめっ子たちに余計に虐められたらどうしようとか、万年貧乏の孤児院の院長に売られたらどうしようとか……。考えた挙句、自分の怪我を治す程度にだけこっそりと力を使い、周囲には秘密にしていたのだ。


「ずいぶん上手に手当てをするんだな? ()()()()()()()()に」


 何もかもわかっているんだとでも言いたげな表情で少年は笑っている。


 フェリスがふしぎな力の使い手だと見抜かれている――……。


 言葉に詰まったフェリスの前で、少年の手が持ち上がった。


 フェリスは強張る。


 年長者たちに叩かれる風景と重なったフェリスはぎゅっと目をつぶってしまった。


 しかし。

 ……ぽん、と触れた手は優しく、慰めるように少年はフェリスの頭を撫でた。


「これまで一人でよく頑張ったな」


「……え?」


「お前はきっと『治癒魔法』の使い手なんだ。怪我を治せる力を持っている。それは、すごい力なんだ」


 治癒魔法。


 少年があっけらかんと褒めるものだから、フェリスは自分がふしぎな力の使い手だといういうことを隠すのを忘れて聞き返してしまう。


「怪我を治せるのって、すごいこと、なの?」


「ああ、とてもすごい。怪我や病気で苦しんでいる人を治すことができるんだ。この国にはそういった治癒魔法を使える女性が何人かいて、彼女たちは『聖女』と呼ばれている」


「せいじょ……」


「お前はこんなところで虐められていい子どもではない。『聖女』は、教護院というところで保護されて力の使い方を勉強するんだ。お前もそこに入るべきだ」


 びっくりするフェリスの手を少年は引いた。


 まだ行くとも言っていないのに、孤児院の敷地の外へ連れ出そうとしているのだ。


「わ、わた、し、……勝手に外に出たら、怒られちゃうから……」


「怒られないさ」


 少年は笑う。


「私の名前は聖ポーリア王国の第一王子、ヨハン・エルドラード・アルゼイ。お前の名前は?」


 王子様? 本物の?


 だとしたら、フェリスを勝手に連れ出しても孤児院の院長ごときに怒れるわけもない。


「なまえ……。……みんなは、××××って呼ぶけど……」


 孤児院に入るときにつけられた名だ。聖書の一節から取られた名だが、仰々しすぎて自分には全く似合っていないと思っていた。


「気に入ってるか?」


「あんまり」


「じゃあ、私がお前に新しい名前をつけてやろう。そうだな、『フェリス』なんて名はどうだ? 柔らかい響きがお前によく似合う」


 かわいい名前だ。

 自分のためだけに考えてくれた名前はきらきらとした意味を持ち、新しい自分に生まれ変われたような気がした。



 ありがちな話だ。

 いつか誰かが劣悪な環境から救い出してくれるという夢みたいな話。


 ――そしてまた、ありがちな話だ。

 助け出してくれた相手に恋をするなんて。



 教護院に預けられたフェリスは驚いた。

『聖女』の中でもフェリスはかなり役立たずの部類だったのだ。


 切り傷を塞ぐだけ、打ち身の跡を消すことだけしかできないフェリスとは違い、他の聖女たちは同時に痛みや熱も抑え、失われた血液の補填もできる。凄腕の大聖女クラスになると、大きな病の進行まで抑えることもできるのだ。


 役立たずは役立たずなりに頑張った。

 自分を救ってくれたヨハンに認められたいから。


 やがてヨハンは、フェリスの治癒能力が低いと分かると、自らの私設騎士団の訓練を受けるように命じた。護身術ぐらいできないとね、と言うヨハンに、どうしてそこまで孤児のフェリスを気にかけてくれるのかと聞いた。


 そうしたら、あっさりとヨハンは言った。


「ああ、だってお前は私の異母妹(いもうと)だからな」


 なんとフェリスは現国王――ヨハンの父が城仕えの女に手を出して生まれた私生児だったのだ。


 あの日、ヨハンは用もなく孤児院にきたわけではない。

 父親が手を出したらしい女が行方不明になっていると聞き、異母妹の存在を探っていたのだ。


「本当はお前を殺す予定で会いに行ったんだ。後々、よからぬことを考える輩に発見されて利用されても面倒だからな。だが、父が手を出した女は聖女だったそうだし、その能力が受け継がれているようなのを見て思い直したのだ。まだ使い道があるとな。だからあの時、私に殺されてしまわなくて良かったな、フェリス?」


 ははは……と乾いた笑いしか出なかったのは言うまでもない。


 ほんのり好意を抱いた相手は、王子様で、異母兄で、鬼畜な人間だった。恋心はこの辺りで砕け散った。


 それでもフェリスは頑張るしかない。

 捨てられた人間が、拾ってくれた人を裏切るなんてできなかったから。そして十年が経ち――……。







「フェリス、ちょっと敵国まで働きに行ってくれないか」


 第一王子から王太子に肩書が変わったヨハンは、にこやかに微笑みながらそう言った。


 フェリスもヨハンと同じ黒髪に瑠璃色の瞳を持っている――なんて言うと恐れ多いので、「黒っぽい髪」と「青っぽい瞳」を持っているのだが、彼のような気高さは誰にでも真似できるものではない。「行ってくれないか」という言葉も、問いかけではなく断定である。


 その言葉を地面に倒れ伏しながらフェリスは聞いた。


 今しがたまでヨハン直属の私設騎士団からのしごきを受けており、城の地下にある訓練場でボロボロにされていたのだ。


 受けそこなった打撃のせいでお腹はじんじん痛むし、身体は打ち身と擦り傷だらけ。


 けれど、フェリスがどんなに痛みに顔をしかめていようとも、ヨハンが膝をついて助けてくれるなんてことは決してない。スッとヨハンの後ろに控えた騎士団たちも同じだ。いつまでも一人でボロ雑巾のように地べたに這いつくばっているわけにもいかず、自力でよろよろと立ち上がる。それでいい、とばかりにヨハンは話を続けた。


「我が国の隣、アンスリウム皇国がいよいよ本格的に領土拡大で侵攻してくるつもりらしい。内部の情報を探ってきてほしい」


密偵(スパイ)、というやつですか?」


「そういうことだ。皇子二人のどちらかに近づいて来い」


「……お言葉ですが、ヨハン様」


 まるでフェリスが手練れのスパイのように命じてくれるが、フェリスの本職はスパイでも騎士団のサンドバックでもない。一応は癒しの力を持って生まれた『聖女』なのだ。そんなお使いにでも出すようなノリで言われてもできることとできないことがある。


「わたしにそのような役目が務まるとは思えません。わたしは密偵としての訓練を受けたこともなければ、警備の厳しい国境を越えられる手段すら考えつきませんし、ましてや皇子に近づくなんてことは不可能に近いかと……」


「できるさ」


 ヨハンは確信をもってきっぱりと言った。


「なにせ、アンスリウム皇国に使い物になる『聖女』はほとんどいない。兵たちの前で怪我でも治してみせてやれば、この国で()()()()のお前でもきっと大喜びで迎え入れてくれるはずだ。必ず王城に召し上げられるに違いない」


 大嫌い。

 フェリスは心の中で呟いた。


 ヨハンはひどい人だ。

 フェリスのことなんて手駒みたいにしか思っていないから、傷つくことも平気で言う。

 失敗してフェリスが死んでも悲しみはしないし、嫌だと拒否すれば血のつながった兄妹であっても始末するだろう。


 黙っているとぎゅっと両手を握られた。


「こんなことを頼めるのはフェリスしかいない」


 嘘つき。フェリスじゃなくても手足は大勢いる。

 頼めるのはフェリスしかいない、なんて嘘。

 まやかしの言葉。

 偽物の優しさ。

 憧れていた恋心はとうに消え失せている。


「どうか行ってくれないか、フェリス?」


 ……それでも、ヨハンに拾われ、彼に価値を見出されることでしか生きるすべのなかったフェリスにとっては、彼の命令に背くことはできなかった。これはもはや、長年の刷り込みのようなものだろう。


「…………わかりました」


「ああ、さすが私の見出した聖女だ。お前ならきっとそう言ってくれると思ったよ」


 心をズタズタに傷つけられながらもフェリスは過酷な任務を受け入れる。

 わたしはまだ、必要な存在だと思われていたいから。



 そして数日の後、フェリスは王都を発つことになった。



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