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◇◇ ヴィクトール

 ユーフェ・エバンスが隠し事をしているだろうな、ということは出会った当初から感付いていた。


 アレックスが理由をつけて自分を始末したいのはわかっていたし、親切めかして「聖女を同行させてやる」など――てっきり、ユーフェはアレックスが差し向けた刺客だと思っていたのだ。ところが彼女はアレックスがつけた護衛を振り切り、自分を助けにやってきた。


 田舎育ちだから馬に乗れるというのはまだわかるが、子どもの頃にチャンバラごっこをしていたからと言って、暗殺者たちの攻撃を防げてしまうのはどう考えたっておかしいだろう。


 田舎育ちです! と、ごり押しの言い訳が面白すぎて吹いた。

 懸命に自己アピールをして取り入ろうとする素振りを見せるくせに、ヴィクトールが好意的に接すると明らかに戸惑う。元気で明るい田舎娘を演じているというのに、世慣れたような冷めた表情もある。……ユーフェ・エバンスというキャラクター像はちっとも定まっておらず、プロの密偵にしては脇が甘かった。


「――ノルド村の出身だという女からの証言が取れました。ユーフェとノクトという名の兄妹とは会ったことがない、そもそもあの村には子ども自体が少なかったそうです」

「そう」


 ユーフェの出自をロバートに調べさせた結果を聞いても別段驚きはしなかった。


「ご苦労様、ロバート。いくつか頼まれてくれる?」

「なんなりと」

「じゃあね、お針子や宝石商を呼んで、ユーフェの身の周りに必要な品を手配して欲しい。兄上の部屋にあった物は趣味が悪いから捨ててしまって」

「…………ユーフェ嬢の素性の調査は続けなくてよいのですか」


 戸惑うロバートにヴィクトールはきっぱりと「必要ない」と言った。


「兄上の手の者じゃないならいいよ」

「しかし……」

「彼女が何者だろうとこちらに寝返らせてしまえばいいだけの話さ。それに、俺の近くに置いておいた方が油断してボロを出すかもしれないし、お前も『尊敬すべき聖女』としてきちんとした態度で接して欲しい。もちろん、侍女や騎士団の連中にも他言無用だ」

「……かしこまりました」


「だが、(ノクト)の方は探し出して監視をつけておけ」


 ヴィクトールがユーフェを囲い込んでいるという噂が城中に流れると、すぐに兄とやらは姿を現した。


(似ていないな)


 確かに髪の色や瞳の色は近いが、顔立ちは全く似ていない。


 似ていない兄妹などいくらでもいるし、ヴィクトールとアレックスだって冷え込んだ兄弟関係なのだからとやかくは言えないが、本能的に血のつながりがないように感じられた。


 ユーフェの心は常に誰かに支配されている。

 ノクトがユーフェの手綱を握っているのかと思ったがそれも違う。


(恋人? 親? 飼い主は誰だ?)


 初めからユーフェの事は信用していなかったから、わざと待ち合わせの時間に執務室を空け、ユーフェのボロが出るのを誘ったこともあった。

 ヴィクトールの机を漁ったユーフェは焦ったことだろう。

 空っぽの引き出しに心が冷えたはずだ。

 ヴィクトールが部屋に戻った時に何食わぬ顔をして見せたのは見事だったが、ティーカップを持つ手が震えていたのをヴィクトールは見逃さなかった。得も言われぬ支配欲が腹の底から湧き上がるのを感じ、ヴィクトールはことさらに甘くユーフェに迫った。


 ――この娘は飼い主に捨てられまいと必死なのだ。そいつのために成果を上げようとして失敗し、ヴィクトールに露見することを恐れ、自分の良心や罪悪感に苦しむ姿はなんて――なんて人間らしいのだろう。


 新しいおもちゃを手に入れた子どものように、久しぶりに心が躍った。


(この子の苦しむ顔が見たい)


 どろどろに甘やかして、きみの生きていく場所はここだよと囁き続けたら、あの子はどんなふうになるだろう。

 抵抗する? 諦める?

 少なくともユーフェはヴィクトールを騙してこの城にいるのだから、これくらい虐めたっていいだろう。


「好きだよ、ユーフェ」


 かわいそうに、きみは自分に自信がないんだね。役立たずだなんて誰が言ったの?

 ヴィクトールが甘い言葉を囁くたびに彼女は戸惑ったような反応を見せる。


 これまで愛されたことはなかったの?

 だったら、俺がたくさん愛してあげる。


 文句をつけてきそうなアレックスを排除し、過保護な兄の顔をしてきみを支配しようとするノクトとやらも遠ざけよう。


 精一杯愛を与えてやったつもりなのに、……鞭で打ってくれなんていう言葉が出た時にはぎょっとしたよ。


 悪いことをしたら鞭で打たれていたの? そして、その傷は自分で治してきたの?


 想像すると何とも哀れだった。


 ――ヴィクトールの見立てでは、彼女は聖ポーリアから送り込まれた密偵だろう。

 それも、自分で自分のことを役立たずだというくらいに『聖女』の序列を目の当たりにしてきた場所、聖女を保護するという教護院の出身である可能性が高い。

 教護院は聖ポーリア国王家の息がかかった場所だ。いったい誰が彼女をそんな目に合わせたのだろう。


(そんなことをした奴は殺してやりたい)


 腹の底からどす黒い殺意が湧くのを抑えることはできなかった。


 もしもこれが手練れの密偵で、ヴィクトールの同情を買うための芝居だとしたら見事なものだ。ユーフェがヴィクトールを騙そうとしているのなら全力で騙されてやってもいい。でも、そうじゃないのなら……。


(俺が『飼い主』を忘れさせてあげる)


 だが、伸ばした手はユーフェに振り払われた。


「嫌っ!」


 倒れる寸前の、ヴィクトールを振り払ったユーフェの顔。

 恐怖と憎悪で歪んだ顔で拒絶されて傷ついた。


(傷つく? 俺が?)


 おもちゃであるはずのユーフェに拒絶されたくらいで?


 動揺したせいで倒れる身体を受け止めきれず――ガツッと痛そうな音を立てて頭をぶつけたユーフェが動かなくなった姿に血の気が引いた。


「ユーフェ? ユーフェ!」


 なんてことだ。

 目を開けないユーフェの姿に心がバラバラに引き裂かれそうになる。


「誰か来てくれ! ユーフェが……!」


 きみがいけないんだ、ユーフェ。

 きみが素直に俺の求婚を受け取らないから。

 きみを苦しめるのは俺だけであって欲しい。

 きみの心を支配する誰かを追い出してやりたい。


 そんな身勝手な感情が暴走したせいで拒絶された。いつの間にか振り向かせたくてたまらなくなっていて、ユーフェに逃げられようとしたことや拒絶されたことにショックを受けていた。そんな人間らしい感情がまだ自分に残っていたことに気づかされる。


「ユーフェ、ユーフェ……!」


 どうか目を開けて。

 ヴィクトールはユーフェに縋りついた。だってきみが、俺を生かしたんだよ?


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