11 デートと追っ手
「わあ……!」
城下の大通りは大賑わいで、食べ歩きの屋台もたくさん出ていた。
そこかしこからいい匂いが漂い、呼び込みの声がかかる。
「すごい人……。何かのお祭りですか?」
「毎月十日と二十日は蚤の市が開かれるんだよ」
「蚤の市?」
「古物市だよ。要らなくなったものを安く売るんだ。結構掘り出し物もあったりするよ」
「へええ……」
市の形も様々で、地面にシートを敷き、直に品物を並べている人もいれば、本格的な陳列棚に高そうな食器を並べているところもある。
ユーフェは通りかかった店の古着のタグをちらりと見た。安い。
(逃亡時の変装用に使えそう)
基本的には庶民向けの品が並ぶが、中には珍しい骨董品なんかもあるらしい。
「北側に行けば行くほど玄人向けの品が多くなる。この大通り以外で店を開いているのは違法品やぼったくりが多いから、変なところで買っちゃだめだよ」
「はぁい」
そしてその賑わいに便乗して食べ物の屋台も多く出ているというわけらしい。
ヴィクトールが甘い物を買ってくれたので、ありがたく受け取った。
「これはなんですか?」
「クレープだよ。小麦と牛乳と卵を混ぜて薄く焼いた生地にクリームや果物を巻いて食べるんだ。ユーフェ、リンゴが好きだって言ってたよね?」
かぶりつくとシロップで甘く煮たリンゴが入っていた。
「おいしい!」
「良かった」
ヴィクトールが本当に嬉しそうに笑うものだから、ユーフェの心臓がどきりと音を立てる。
(……なにしてるのよ、わたし。せっかくヴィクトールと二人きりなんだから、彼の行動ルートやプライベートなことを知るチャンスだわ)
普通にデートを楽しんでどうする、と気を引き締めた。
「えと、ヴィクトール様はよく城下に来られるんですか?」
「ふふ。俺がしょっちゅう城を抜け出して遊んでいるって思ってる?」
「え、そ、そういう意味ではっ」
「冗談だよ。こんなふうにお忍びで出かけるのなんて数えるほどしかない。わざわざ街に降りなくても、城にいれば大抵のものが手に入るしね」
わざわざ自分で出向くほどでもないということか。
皇子様らしい理由だ。ユーフェは少し鼻白む。
するとヴィクトールはこちらの心を読んだように微笑んだ。
「……俺はね、子どもの頃からよく暗殺者を差し向けられているんだ。父上の血を継ぐ男児は、第一妃が産んだアレックス兄上と、第二妃が産んだ俺の二人だけ。妃の位や生まれた順からしても兄上が皇帝位を継ぐのが順当だけれど――それじゃ面白くないって考える輩はいっぱいいるんだよね」
「……ヴィクトール様を皇帝にと考える派閥もあるということですね」
「そう。そうなると兄上側は目障りな俺を始末したいって思うようだね」
そうか。暗殺者が狙っているとなれば迂闊に街を歩くこともままならなかっただろう。
「本当につまらない毎日だったよ。毎日毎日決められたことの繰り返し。仕事に勉強、会話だってお決まりの言葉を並べ立てるだけのものさ。あまりにも退屈で、こんな暮らしが続くならいっそもう殺されてもいいかなーなんて考えたりもしたんだけど……」
そこで言葉を切ったヴィクトールはユーフェを見つめた。
「きみに出会って、俺は生き方を変えることにしたんだ」
「っ⁉ わ、たしですか?」
「きみは面白いよ。そんなに可憐な容姿なのに肝が据わっているし、無知で世間知らずかと思えば、時々世慣れたような表情を見せる。きみのことをもっと知りたいと思ったら、城まで抜け出してしまったよ」
「……え、ええと、でも、暗殺されるかもって可能性はゼロじゃないんですよね?」
「うん。今も追けられてる」
「え⁉」
あまりにもヴィクトールがあっさりと言うものだから、食べかけのクレープを落っことしそうになった。
「味わって食べたかったけど、急いで食べられる? 広場は人目がありすぎるから襲ってこないはず」
歩きついた噴水広場は多くの住民がのんびりとくつろいでおり、背の高い木々もない。
開放的で見通しも良すぎるため、確かに不審者は近づいてはこないだろう。
「で、食べ終わったら逃げよう」
ユーフェはこくこく頷きながら大急ぎで食べた。
ヴィクトールがユーフェを面白いと感じるように、ユーフェもまた、ヴィクトールの意外な素顔に驚いていた。
(控えめな性格と聞いていたから温室育ちの皇子様だと思っていたけれど、尾行されてるって気づいても全然動じてない)
もしかしてこっそり味方もついてきていますか? と尋ねても護衛はみな置いてきたと言うし……、それなのに美味しそうにクレープを食べる余裕すらある。
苛烈な性格のアレックスの影に隠れていたせいで目立ってこなかったが、本当はヴィクトールの方が曲者なのかもしれない。
「広場を出てさっきの大通りに出よう。服屋の角を曲がったら走って裏通りへ」
「わかりました」
ユーフェとヴィクトールは何食わぬ顔で大通りに戻る。
すると確かに、背後からは視線を感じた。
ヴィクトールがさりげなくユーフェと手を繋ぐ。
「……今だ!」
曲がったタイミングでヴィクトールは素早く服屋からストールを二枚掴んだ。
裏路地に飛び込み、走って反対の通りに抜ける。
「っ、くそ、どこへ行きやがった……⁉」
二人組の男はそう言いながら走り去っていく。――派手な色のストールを頭から被り、しゃがんで安い手作りアクセサリーを眺める女二人の背後を通って。
追手が去っていくのを横目で確認したヴィクトールは、適当なブレスレットを二つ買い、ユーフェの手を取ってごく自然に店から立ち去った。
さらには「申し訳ないけど」と路地のごみ箱に二人分のストールを捨て、先ほどの服屋でユーフェには別のストールを、ヴィクトールは上着と帽子を買った。外見の印象を変えたユーフェたちは、追跡者に気づかれないまま城の方へと戻る。
「……逆恨みかなー」
「え?」
「ううん、なんでも」
ヴィクトールは誤魔化したが、追尾者は間違いなくアレックス派の人間だろう。
(そういえば、アレックス様は今、査問にかけられているんだっけ……)
ノクトから聞いた情報では貴族たちからかなり叩かれているらしい。
……もしやヴィクトールがそう立ち回ったのだろうか? やはり、ヴィクトールは食えない男だ。けろりとした横顔を盗み見る。
「無事に逃げ切れたみたいで良かったよね」
「ヴィクトール様、やっぱりお忍びし慣れてます?」
「そんなことないよ~。ユーフェこそ、こんなときに動じないなんて、まるでスパイみたいだね」
ぎく。
「とんでもない。心臓がバクバクいってますよ!」
「そう? あ、チェストツリーだ」
市街からやや離れたところにライラック色の花を咲かせる中木が植えてあった。
「知ってる? ここを通った男女はキスしないといけないという決まりなんだよ」