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③呉起大将軍

 魏国の最盛期は、約30年前じゃろう。まあ如何(いかん)せん、魏は独立してから日が浅いから、現時点の話じゃ。武侯という優れた君主のもとに、四人の大将軍がいた。李克(りこく)西門豹(さいもんひょう)呉起(ごき)楽羊(がくよう)じゃ。この四人は多大な功績を上げまくり、魏の勢力拡大に大きく貢献したため、特別な称号が与えられた。それが『魏国四大龍』じゃ。四大龍には、それぞれ東西南北の指揮権を与えられた。東の対燕・斉は西門豹、西の対秦は呉起、南の対韓・楚は李克、北の対中山・趙は楽羊。

 この四人は、指揮権を有効に活用して、それぞれ勢力を拡大した。だが、四人とも勢力拡大のやり方は違っていた。少し脱線するが、聞いてくれ。

 東の西門豹は、東の大拠点の(ぎょう)をよく治めて富国強兵に努めた。燕が攻めてきた時も、決して迎撃せず、確実に勝てる状況になるまでひたすら耐えて、ついに敵の僅かな隙をついて燕軍を撃退した。確かその時、勝ちに乗じて今まで燕軍に取られていた城を取り返したばかりか、燕の領地に深く踏み入り、昔年の恨みを果たさんと暴れまくったとか。西門豹は人格者で、戦の指揮も優れており、領内統治にも精通し、武力もあった、まさに万能型の大将軍じゃった。一回だけ、あの方が大将軍になる前の話じゃが、儂は西門豹軍の一兵卒として戦ったことがあるが、軍の系統がしっかりと取れていて、兵からしても戦いやすかった。

 南の李克は、文官出身のため領内統制は『四大龍』の中では最も優れていた。儒家の出身だが領内は法によって治めていた。李克兵は弱かったのう。それこそ『四大龍』の中で最弱。李克自身も武力がないから、戦の時は他の『四大龍』とは違って前線におらんかった。でも、なぜ『四大龍』になれたかというと、あやつの謀略がひとえに優れていたからだ。上は敵軍の副将、下は伝令兵と、あらゆる者を賄賂(わいろ)で内通させ、相手を思いの(まま)に操り、最小限の犠牲で大きな戦果を上げておったな。まあ、そういう戦い方は儂は好かんが。

 北の楽羊は、『四大龍』の中で筆頭に位置付けられる将軍じゃった。博打(ばくち)を打つような戦は好まず、大戦も滅多にしなかった。小競り合いで堅実に価値を重ねていく感じじゃ。儂は一回だけ楽羊兵としても戦ったことがあるが、あの方の元で戦っている時は、不思議と戦場なのに冷静で落ち着いてられるのじゃ。負ける可能性、死ぬ可能性が少ないとわかっているからかのう。そんなこともあって、あの方は常勝将軍と呼ばれ、一兵卒まで慕っておったわい。

 そして呉起大将軍。あの方は楽羊とは真逆、博打を打つ戦ばかりじゃった。そして自ら前線で矛を振るい、味方の士気を上げておった。また夜になると各陣営を周り、一兵卒の膿を吸ったり、談笑したり、一緒に酒を飲んだりしとった。そうだな、こうして振り返ると、呉起様は味方の誰からも慕われておった。そしてその味方は、呉起様のためには命など惜しくないと考えておった。儂もそうじゃ。呉起様の采配する戦で死ねるなら本望じゃった。だから呉起兵はとても強かったし、呉起様の博打を打つような無理な作戦も遂行(すいこう)できていたのだと思うのう。

 さて、長くなってしまったが、あの頃はあの頃で、熱き戦いが繰り広げられておった。

少し脱線して、魏国四大龍の話も田蒼目線で書いていけたらいいなと思っています。

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