②魏国王都
王刮、田蒼、田耳は架空の人物です。
「それにしても、安邑は広いですな〜」
衛鞅の小姓、王刮が感嘆の声をあげた。
「それはそうであろう。大国、魏の王都だぞ。しかし、こういう景色を見ると、祖国の衛がどれだけ小さい国であったのか思い知らされるな」
衛鞅も、安邑の余りの大きさに呆気にとられていた。
「いやー、懐かしいのう。あ、まだあの酒屋は潰れていなかったのか!けしからんな」
田蒼は、ある酒屋を見て青筋を立てていた。
「田蒼どの、あの酒屋になにか因縁でもあるのか?」
衛鞅が田蒼に尋ねると、田蒼は興奮冷めやまぬ様子でまくし立てた。
「若い頃、秦国と戦うために儂は徴兵されて安邑へ向かったのですがな、出陣の前日のことです。儂が仲間とともに酒を飲みに来たら、慢性的な酒不足とか何とか、それらしいことを言って、酔った儂らから大量の金を取っていったのです」
今すぐ怒鳴り込まんとする勢いの田蒼を宥めつつ、衛鞅は今後どうするべきか思案した。
(とりあえず、父上から頂いた印を見せて、魏国の権力者に仕官しようかのう。仕えながら、この国の内情や田耳の行方を調べても何も問題ないはず)
しかし、魏国の権力者がわからなかったので、衛鞅は田蒼に尋ねた
「そうじゃのう。儂も田舎におるので、そういうことには疎いのです…」
「うーん、参ったのう。何か打てる手はないのか…」
「恐れながら、魏国の権力者というのは、魏国の宰相と言い換えられるのでは?」
王刮は、衛鞅に怒られると思いながらも、恐る恐る進言した。しかし、衛鞅は怒るどころか、満面の笑みを浮かべて王刮の頭をなでながら言った。
「確かにお主の言うとおりじゃ!全く俺としたことが、肝心なことを考えてなかったわ!感謝するぞ」
尊敬している主から褒め言葉を頂いたため、王刮は有頂天になった。
「確か、今の魏国の宰相は公叔痤だったかな」
大国、魏の宰相の名くらい、知ってて当然だと衛鞅は考えていたが、隣を見ると王刮がキラキラした目で尊敬の眼差しを向けていた。
「いかにも。彼は相当な『やり手』ですから、平身低頭を心がけて用心に付き合わなければ、『あの御方』のようになってしまいますからな」
一方の田蒼は、険しい表情をしてこう進言した。衛鞅も大いに共感できたので、大きく頷いた。
「恐れながら、『あの御方』とは誰のことですか?」
王刮は、二人が共通認識している『あの御方』が誰か分からなかったので、正直に尋ねた。
「呉起大将軍のことです」
田蒼がしみじみと噛みしめるように言った。本人は冷静を装っているつもりだが、明らかにいつもと雰囲気が違う。
この雰囲気で尋ねて良いのか王刮は迷ったが、田蒼をこの表情にさせるような人とは、一体どんな方なのか気になり、その欲望に打ち勝てず尋ねた。
「呉起とは、誰ですか?」
「………」
「………」
二人とも呆れて言葉を失ってしまった。やがて、衛鞅の顔が呆然とした表情から怒りの形相へ徐々に変化した。
「そなたの無知さは昔から知っておったが、流石に酷すぎる!ましてや、田蒼どのが沸き起こる怒りを抑えて話しているというのに。空気を読まんか!」
「まあまあ、そこまで怒らなくても」
衛鞅の激怒する姿を見て我に返った田蒼が、衛鞅を宥めた。
「今からたっぷりお話しましょう。呉起という稀代の大将軍の一生を!」
田蒼が満面の笑みを浮かべながら言った。やはり尊敬する人のことを他人に話すというのは愉快らしい。王刮も共感できる部分があった。自身も衛鞅のことをよく友人に話しているからだ。
次回は田蒼の懐古録ということで、呉起の一生を描きます。