①旧友を援けに
紀元前370年、魏の都市著雍にて。
「何だと!?田耳はここにはいないというのか!」
「は、はい。倅は半年ほど前に、『ある偉大なお方の食客として召し抱えられた』と言って、荷物をまとめてここを出ていきました」
訪ねてきた青年の身なりと、近くに馬車が控えていたことから、老人はすぐに青年が高貴な身分であると気づいた。そして、その青年に息子が出て行ったことを告げると、青年がいきなり大声を発したので老人は驚いた。
「『偉大なお方』とは誰じゃ!?」
「某も倅に尋ねましたが、教えてくれなかったのです」
「そこをどうにか頼む!田耳との会話を思い出せ。何か手がかりを捻り出してくれ!」
青年は深々と頭を下げた。老人は必死に思い出すふりをして、内心葛藤していた。
(この高貴な身分の青年なら、もしかしたら倅を救い出せる術を持っているかも知れぬ。いや、しかし見ず知らずの者に話すなど…。もし儂が青年に真実を話したとして、青年が誰かに密告したら儂もただじゃ済まされない。倅はそんなこと望んじゃいないはず。いや…)
しばらく会話の間が空いた後、老人の目から涙がこぼれ落ちた。そして無意識に老人はボソリとつぶやいていた。
「倅に、会いてぇな」
当然、青年は困惑した。
「ど、どういうことじゃ?老人よ」
もうこうなった以上、青年に話すしかないと老人は決心し、全てを打ち明けた。
「ようするに、田耳は殺人の濡れ衣を着せられて王都安邑の牢獄におる、ということか」
「い、いかにも。悔しゅう御座る!あああぁ!」
老人は、今まで堪えていた思いが爆発し、泣きながら崩れ落ちた。
「老人、いや田耳の父君よ、今まで辛かったであろう。俺に話すのも相当辛かったはずじゃ。よく話してくれた。礼を申すぞ。俺の身分と権力を使えば、もしかしたら田耳を救い出せるかもしれぬ。取り敢えず俺たちと安邑へ向かおう!」
青年は、崩れ落ちた老人を支えながら優しく感謝を伝えた。老人は感激し、この青年に話してよかった、とつくづく感じた。
青年は小姓と共に老人の屋敷で一泊し、翌日の早朝、小姓と老人と三人で王都安邑へ旅立った。道中、三人は自己紹介をおこなった。以下にその内容をまとめておこう。
青年の名前は衛鞅。小国、衛の公族出身で大変身分が高く、そして文武両道なため、未来の宰相最有力候補として将来を嘱望されていたが、先月に突然衛を出て、一人の小姓と馬車だけを連れて魏へ向かった。衛のような小国で高い地位を手にするより、激動の中華で暴れまくりたいので国を出たという。田耳とは身分と国は違うなれど、無二の親友である。
小姓の名前は王刮。衛鞅の小姓たちは旧主を支えるよりも自身の出世を優先し、ほとんどが衛に残ったが、唯一衛鞅に付いてきた忠義者。
そして老人の名前は田蒼。田耳の父であり、魏国内で有数の豪農である。農民ながら武功を挙げまくり、褒美を貰いまくった結果、一代でこれだけの富を築いた。今は高齢のため戦に出ておらず、悠々自適に生活かと思いきや、息子の田耳が冤罪で王都安邑の牢獄に連行されたため、老体に鞭打って農作業に励んでいる。
半月後、魏国王都安邑にて
「やっと着きましたな、殿」
小姓の王刮が、束縛から解放された時のような満面の笑みを浮かべながら言った。
「そうだな。さてさて、問題はここからだ」